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なんの変哲も無い一冊のノートを捨てることへの恐れと痛み

あるノートを捨てた。なんの変哲も無い普通のノート。何がきっかけで手に入れたかも良く覚えていない。確か、何かを買った時にセットで付いてきたような気がする。それでも、いつか使おうと思って取っておいて結局使わずにいた5年間。

今年のテーマの一つが「色々デトックス」として、まずは目に見える”物”の手放しをすることから始め、一年以上使っていないものをまずは手放そうと決めて行動した矢先に僕の目に入ってきたノート。

手にとってゴミ袋に入れるとき、一度ためらった。捨てることにめちゃくちゃ勇気が必要だった。それでも、デトックスすることが次に繋がると新年で決めたので、袋の中にそっと入れた。

なぜそんなに勇気が必要だったのか。そのノートがないと困るから?書くものがなくなるから?愛着があるから?いや、違う。ノートが無くなることに関しての悲しみでなかった。

それよりは、今までそのノートを取っておいた過去の自分を否定することへの恐れや痛みだったのかもしれないなと気づいた。

それまで結局使わないで捨ててしまうノートを取っておいた自分に

「今まで取っておいて、結局使わないの?バカじゃない?」
「本当にいいの?もしかしたら使うかもしれないよ?」

そんな言葉を投げかけようとしてた。

ここに、自分の中で大きな固定観念があると思う、

物を最後まで使ってからでないと捨ててはいけない。
いつか使うであろうから、なんでも取っておいたほうがいい

この考えは、どこから来たのか、どこで作られたのかを振り返っていくと、両親から来てるなと思った。

両親(特に母)は物をとっておく。最近、僕が赤ちゃんの時に乗っていたおもちゃが家から出て来たぐらいだ。

昔から、何か捨てようとすると

「とりあえずとっときなさい、何か使うかもしれないでしょ?」

と言われて育ってきた。

なので、捨てることは悪。それぐらいの気持ちで今まできていたと思う。

でも、それは過去の自分。僕が今から生きるのは未来の自分。過去のアイデンティティを捨てて、前を向こうとおもった。



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