"あえて感"の極意
「あえて」
何かしらを指摘された時に
「あえてやっている」
そんな切り返しかたがある。
しかし、この「あえて」という言葉
決して万能ではなく
実際、言い訳と捉えられることも多い。
「寝癖ついてるよ」
「あえてね」
「味つけ濃すぎない?」
「あえてね」
「部屋、散らかってるね」
「あえてね」
ここで例えとして出している指摘が余計なお世話な一言なのは百も承知で
いろんな場面で「あえて」とか「わざと」
そんな言葉で切り返すパターンがあるが
ウソつけー。と思ってしまう時と
本当に「あえてだろうな」と思ってしまう時がある。
これは無意識のうちに思ってしまう感覚なのだが
おそらく、この感覚は当たっている。
ウソつけー。と感じた時はウソで
「本当にあえてだろうな」と思った時は、本当にあえてだと思う。
なぜなら、人の"あえて"に対する印象は
どこまで行っても受け取る側の主観なのだ。
そして、この"あえて感"
なかなかバカにはできない。
それどころか、"あえて"を感じさせることは非常に大切。
以前、ファッションと笑いの共通点について書いた記事があり、ここにも通じる話かもしれないが…
例えば、フォーマルな格好でキャップをかぶる。
ダッドシューズと言われるものが近年流行ったが、オシャレに無頓着なおじさんが履くようなスニーカーを履きこなせるか否か。
もちろん好みは多少あれど…
これを"あえて"と捉えることができるか、ファッションに無頓着と捉えるか?
そこにオシャレな人とダサい人を隔てる分厚い壁があり
それは笑いの世界にも共通している。
何かしらダメ出しをした時に
「あえて、そうしてるんですよ」
…もう返す言葉がなくなる。
こっちだって一応プロだ。
あえてしてる人には言わない。
しかも、あえてやっているのなら、功を奏してナンボである。
功を奏さない「あえて」なら、やめたほうがいい。
もちろんそれだけではないが、勝敗を決めてしまうのは"あえて感"の有無だったりもする。
こちら側に、あえて感を感じさせる人は本当に強い。
いくら、本人が「あえて」を連発したところで全く意味はない。
先ほども述べたように、それは受け取る側の主観であり、その印象を言葉でひっくり返すことはできない。
そんななか…先日、笑いの世界における絵に描いたような『あえて感』を観た。
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