【無料】"おしゃべり上手"と"口先が上手い"の違いとは?
「おしゃべりが上手い」
もし、本当におしゃべりが上手いのなら、それは最強の武器。
トーク巧者のスキルは本当に凄まじく、トップクラスともなれば、もはや職人レベル。
「口先が上手い」
同じように喋りを評価されてはいるのだが、「口先が上手い」と称される人はスキルが高いわけではなく変に小器用なだけ。むしろ胡散くさいと称される場面もしばしば。
この2つ…同じように喋ることを評価されているのに、ほぼ真逆。
経験値の浅い人なら見分けられないことも多い。
この2つ…似て非なるものだが、何がそこまで違いを生むのか?
そろそろ見極められる人を増やしておかないと真っ暗闇な未来が待ち受けます。
さすがに少し心配になってきましたので、分かりやすく違いを書かせていただきます。
まず、おしゃべりが上手い人は肩に力が入っておらず自然体。
自分の言葉で喋っているから話運びに安定感があり、抑揚のつけかたも自分自身でコントロールしているのでトークの体幹がブレない。
対して、口先の上手い人は肩に力が入っており、どこか不自然。
「テンポさえあれば達者」との思い込みから必死で喋ろうとしている雰囲気が漏れ伝わってくる。
教科書通りのテクニック論を鵜呑みにした喋り方なので言葉が軽く聞こえる。
多くの大人はここの違いから見抜けるはずなのですが、経験不足ならばその段階から見抜けない人も多い。
なので、できる限り分かりやすく説明していきますが
大抵の場合、早口だけを前に押し出して喋っているのは、おしゃべり上手ではありません。
心のない早口をテンポの良い軽快な喋りだと勘違いしてしまうと永遠に騙され続ける人生が待ち受けます。
そこにあるのは単純におしゃべり上手な人の模倣であり、リスペクトも全く感じられない。
書いて字の如く「口先が上手い」というのは、口だけが先に出て心なく喋っているだけ。
本当に思っていないことや誰かを貶める嘘を平気でペラペラペラペラまくしたて、人を不愉快にさせます。
「実は…あの話には裏話があって…」
極論、このツカミから入る人は大抵口先だけで喋っております。
「実は実は」を連呼する人は大抵早口で人を騙しにくる人です。
変なセールスとか、怪しい勧誘してくる人ってほとんど早口だと思いませんか?
あの類だと思ってください。あれをおしゃべり上手と呼ぶ人は騙されて変な契約書にサインしてしまう可能性大なので気をつけてください。
信用できない人間性を相手にバレさせないために言葉で間を埋めてガードする早口。
それを我々は口先の上手さと呼んでいます。
他にも見分け方があるとすれば、これは少し伝わりにくいかもしれませんが、
言葉をはめる時のキーを外さないこと。
おしゃべりは歌と似ているので、場面場面に音の正解があります。
寸分の狂いもなくピタッと正解のキーに合わせられる人が真のおしゃべり上手であり、達人の域にもなれば勝手にキーがブレずピタッと音が合います。
以前、言い方の大切さを論じた記事を書いたこともありますが
この「言い方」の中にもキーの要素は大きく関係しています。
言葉を組み立てながら随所にキラーワードを刺しつつ大爆笑を掻っさらう瞬間…
見事に声のトーンが正解の音にハマっており、絶妙なタイミングで溜飲の下がる言葉を落とし込んでくる。
誰もが感嘆しながらも笑わずにはいられない。
トークで正解の音を導き出せる根元には当然才能の要素も多分にありますが、決して生まれ持ったセンスや天賦の才だけではありません。
人間が出す声色には心根の部分が影響していきます。
真っ直ぐ自分の言葉で喋っていれば、見よう見まねのテンポに支配されるはずがないのです。
自分の間で呼吸を整えて、きっちりと言葉を一つ一つ伝える。
おしゃべり上手への第一歩は形から入るのでなく心から入るのです。
今は胡散くさい系の早口がブームとなってしまい、数々の本物たちが築き上げてきたおしゃべり文化は崩壊寸前です。
この早口ブームの原因を作ってしまった一因は間違いなくYouTubeなどの動画プラットフォーム。
視聴時間が収益にも直結するので、編集はジャンプカットの多用でしゃべりに矢継ぎ早のテロップを入れて視聴者に動画を観させ続ける文化が生まれました。
素早く流れていく文字を目で追ってしまう習性を人間は持っておりますので、バンバン目の前に文字が出てくると結果的に動画視聴時間は長くなります。
再生回数は増えますが、間を楽しめない喋りには血の通いがありません。ハッキリ言って中身はスカスカ。
だが、血の通いや中身などは二の次三の次。
再生数と再生時間さえ稼げればOKの世界においては、動画視聴を継続させるためだけの工夫こそが大切。
それでもパイオニアは凄いと思います。
動画との親和性を考慮し、編集の妙で新たな道を掘り当てたのは1つの発明だからです。
ただ、追いかける二番煎じは恥ずかしい。
しかも、プロがアマチュアを追いかけて二番煎じをやる時代…
そうやって文化は塗り替えながら潰されていき、若者が審美眼を養う行為も阻止され、どんどん口先の上手い人に騙される人口を増やしていく。
誰が守らなければいけないのか?
このまま突き進むとどんな未来が待ち受けるのか…
真剣に考え出すと本当に恐ろしい。
とは言っても、札束で頬を殴られると人は悲しいくらいになびいてしまう。
お金は人を変えてしまい、それが行き過ぎると世の中も変えてしまう。
だからこそ、観る側が見る目を養わなければ永遠にこの流れは止まらない。
ここまで、"おしゃべり上手"と口先が上手い"の違いをつらつらと書き連ねましたが、それでも、どんな説明をしたって分からない人には分からない。。。
本物に触れて感性を磨いていく経験値でしか人はセンスを養うことはできない。
自分から見るもの聞くものを選べる時代であるがゆえ、知らない人は知らないまま。
ようするに、知るキッカケさえも訪れない時代。
どれだけ教えたくても教えられるものでもないので、感性を磨いてセンスを養って心で感じてもらうしかない。
きちんと話を聞いて内容があるか?ちゃんと話に聞き応えがあるか?
言葉の一言一句に心が込められているか?言葉に血が通っているか?
酸いも甘いも噛み分けてきた経験値を積む大人が聞いて納得できるものなのか?
これら全ては心根の話に起因します。
ぼちぼち気づかないと一生騙される人生になっていきます。
一生騙される人生ということは…
いつか誰かを知らぬ間に騙してしまう人生にも直結していきます。
なぜなら、人間形成の根本には、、、
自らの感性が大きく影響するからです。
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