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昭和平成令和の漫才史〜笑いの進化論〜

2019年、お笑いブームと言えるほどの勢いはない現状だが、お笑い文化が日本に根づいたと言える昨今、お笑いの歴史をたどることで未来のお笑いの在り方が見えてくるかもしれない。

何事も過去を戦い抜いた先人の上で成り立っていることを忘れず、完全に正確な情報かは少し不透明な部分もあるが、この業界を10年以上やってきた者として、1度漫才の歴史をまとめてみようと思う。

■そもそも漫才の始まりとは

語源である万歳(まんざい)とは平安時代に始まった芸能であり、家の繁栄や長寿を祈るため寺社などで祝言を述べ、歌舞を披露するところがそもそものスタートである。

この時代においての万歳はマイクの前でしゃべり合うという現行のスタイルは形成されておらず、笑わせることよりもお祝い事の要素が強かったのではないか。

大正時代に関西でこの芸を舞台の上で演じたことを経て大衆娯楽への足がかりとなり、昭和に現行の漫才スタイルにほぼ定着することとなるのは漫才の祖とも言えるエンタツアチャコが登場してからのことである。

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エンタツアチャコ(横山エンタツ.花菱アチャコ)

■漫才はエンターテイメントへ

エンタツアチャコはしゃべくり漫才の基礎を作り、横山の漫才師一門の始祖である。のちに大阪府知事となる横山ノックなども弟子に当たる。

大正末期にあった漫談からちなみ、ここから漫才へと名称も変わり、関西圏で人気を博した漫才が全国規模になると、関西圏の漫才を上方漫才と呼ぶようになる。

そして、1960年代を席巻する夢路いとし喜味こいし、中田ダイマルラケットなどが漫才を大衆エンターテイメントに昇華させ、漫才界のレジェンドとして上方漫才界の宝と呼ばれ、今なお尊敬の念を集めている。

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夢路いとし喜味こいし

ボケが面白いことを言い、ツッコミがその間違いを指摘して客に説明をしていく現行漫才フォーマットの完成である。

■空前絶後の漫才ブームへ

そして、その後やすしきよしの台頭があり、テレビ番組の司会者になるなど、活躍の幅は漫才だけにとどまらなくなる。
その流れは1980年代初期に起きた爆発的漫才ブームへとつながっていく。

ツービート、紳助竜介、B&B、ザ.ぼんちなど、この1980年代に巻き起こった漫才ブームは若者を熱狂させる社会現象に。

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紳助竜介

この頃の漫才が若者に火をつけた1つの理由として、ボケが一方的にしゃべり続けるテンポの良さと手数の多さ、そしてこれまでは漫才作家がネタを書くことが主流であったが、このあたりから漫才師自らがネタを作成することで生まれた熱があるのではないかと推測される。
テクニック以上にパッションがほとばしる漫才が台頭していく。

■昭和〜平成へ 漫才は多種多様な形に変化

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