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お笑い芸人が人を笑わせるまでの1日

小雨のパラつく神保町。
カフェでパソコンを叩きながら時間を潰していたところ一通のLINEが入った。

『人を笑わせる』
その一点に向けて全てを賭ける男からの連絡。
新宿の劇場からタクシーで神保町へ向かうとのこと。

そう、この日は19時から神保町で、お笑いライブがある。

私はそのライブの企画構成を担当している。
ライブの中身に携わるスタッフは私1人。
誰にも相談できないぶん、それなりの責任感と緊張感は伴う。傘は持っていないので、小走りで劇場へと向かう。楽屋には当然、私1人。
ライブ開始までは、あと1時間ほど。

缶コーヒーを飲みながら、あれこれシュミレーションする。
私がこれから向き合う芸人さんは本物の中の本物。
真剣に120%出して、ついていくのがやっとだ。

「面白い」「センスがある」
お笑いの世界において、それ以上のステータスはない。

どれだけ喧嘩が強くても自慢にならない。
どれだけ賢くても自慢にならない。
どれだけ顔が整っていても自慢にならない。

面白いことだけが自慢。
そんな笑いの強者と相対することは、脳の中身を覗き見られているようで恐ろしい。

約2時間ほどのライブだが、至って構成はシンプル。
前半は1人しゃべり。後半はゲストとの2人しゃべり。

ゆえに台本のようなものはあってないようなもの。私が10分ほどの短時間でサラッと書いた進行表だけが楽屋にはポツンとある。

肝心なのは1人しゃべりの中身とゲストとの2人しゃべりの構成。
コントや芝居仕立てのコメディーでもない限り、台本に大切なことは書かれていない。

お笑いは出たとこ勝負。
決めきった段取りは時にスベりやすい。
ゆえに、準備しすぎることが正解なのか…?
自問自答する時もある。

しかし、考えて考えて考えて捻り出して、行き着いた先に奇跡は待つ。
何も考えずして笑いの神様は降りてこない。

5分後、今日のライブの主役が楽屋に到着した。
大きなリュックサックを背負い、右手にはスーツバッグ。
芸歴は25年以上、1人で大きな荷物と共に現場入り。
マネージャーは複数のタレントを掛け持つので全ての現場には行けない。
最初はタレントの1人移動は不自然にも思えたが、もはや当たり前のようにも見えてくる。
そうやって積み重ねて違和感をなくした芸人さんは強い。

駆け出しのグラビアアイドルのような女の子にもマネージャーは帯同する。近頃では、そちらのほうに違和感を抱く。

本日の主役の芸人さんは、とてつもなく気を遣ってくれる人だ。
ゆえに、着眼点に優れ、感性が豊か。
そういった心が細やかな人の中に本物は混ざっている。

缶コーヒーを2本買ってきてくれていた。
その1本を私の前に置き、開口一番自信なさげにこう言った。
「大丈夫かな、今日…」

何度客前に出ても、何度テレビ番組に出ても慣れない。
ある種の職業病なのかもしれないが、芸人はスベることも想定する。
仮に、スベり知らずであっても想定する。
不安と自信を行ったり来たり…開始時間になると仕方なくステージに飛び出す。
開始時間がいつでもいいと言われたなら、おそらく芸人は一生ステージに飛び出さない。

私は自分で買った缶コーヒーを飲み干し、頂いた缶コーヒーをプシュっと開けて打ち合わせに入った。

話の筋を確認する。言い方や言葉のチョイスを選定する。構成を微調整する。

本来こんなことをやり始めたら、時間はいくらあっても足りない。

実は2分ほどのエピソードトークを構築するのに1時間以上費やすことなど珍しいことではない。
考え始めたらキリはなく、何が正解かを手探りで手繰り寄せる。

どういった構成で話すべきか?どの言葉をチョイスすべきか?オチの言い方はこれで合っているのか?

アイデアは無限。
私はどんな素人の話でも面白くアレンジできる自信がある。
その自信が出てきたキッカケはこういった本物の芸人さんとエピソードやネタを考えていく経験からだ。

打ち合わせを重ね、話し合いを重ね…答えは出ない。客前に立つまで答えなど存在しない。

「出たとこ勝負でいくしかない」心の中で思っても、私はそれを口にしない。
それは私にとって仕事放棄に近い。
結果的に「出たとこ勝負」だとしても、準備は最後までする。
いろんな構成作家がいるが、私はそういったタイプだ。

『できる限り理屈で不安を解消する』
これが私流の、お笑い芸人との向き合い方。

そして、後半に待ち構えるゲストとの話になる。

「何をしゃべったらいいんかな?」
ここにも不安要素は当然ある。

そのゲストの芸人さんと面識は多少あれど、そこまで旧知の仲ではない。
さらに、そのゲストは賞レースを優勝し、勢いに乗っている芸人さんであるがゆえ余計に考えることは多いだろう。

私は事前に準備した質問案やトークテーマ案を20個ほど見せた。

その案を無言で見つめる。時折眉間にシワが寄る。時間にして、ほんの30秒ほどだが体感はとても長い。

「うんうん、なるほど」
独り言のようにつぶやきタバコに火をつけた。
間髪入れずに私は内容を補足し、展開方法や考えられるパターンを提案する。

これは私にとって勝負の時間でもある。
「面白くなりそうだな」
嘘でも、そう思わせなければ私のいる意味はない。

「まあ、いけるかな」
おぼろげながらゴーサインが出た。いつの間にか開演まであと15分を切っていた。

衣装のスーツに着替えながら、ブツブツとしゃべる。今からステージで話す内容の確認を再度しているのだ。

私はそれを聞きながら、うんうんとひたすら頷き、時に笑う。時計の針は18時58分。
もう時間が迫れば、あとはやるだけだ。

「そろそろ準備お願いします!」舞台の進行さんが言いにきた。

「いつでも大丈夫です」と進行さんに告げ、もう一本タバコに火をつけた。
いつの間にか、今にも吐きそうなくらい顔は真っ青になっている。
「ウエっ!オオエっ!」タバコを吸いながら時折えずく。
1人でステージに立つ人間の裏側は想像以上に激しい。
おそらく、この光景を初めて見る人は「本当にこの状態で今から舞台に立つの?」と不思議に思うだろう。

出囃子が鳴り響いた。
私が用意した曲はロッキー4のテーマ曲Hearts On Fire。
死を覚悟してリングに上がるロッキーと、1人で舞台に立つ芸人を重ね合わせてチョイスした曲だ。

鳴り響く出囃子。照明がユラユラ揺れ、満員のお客さんは今か今かと主役の登場を待つ。

しかし…
ん…?ステージに行かない。タバコを吸ったまま下を向きステージへ飛び出さない。

劇場に鳴り続けるHearts On Fire。
30秒…1分…1分30秒…主役が舞台に登場しないまま時間だけが過ぎていく。

その時…

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