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無観客が生んだ産物

コロナからエンターテイメントの無観客が基本となった。
もちろん劇場はそうも言ってられず、なんとか人数を減らしてお客さんを入れ始めてはいる。
しかし、無観客の現場は俄然多い。

普段、お客さんでギッシリなのが日常の光景として見慣れている私として、当然の違和感はある。
お笑いやバラエティの現場はお客さんの笑い声が基本にあり、そこの大小が1つのバロメーターともなっている。
もちろん、音楽のライブだってそうだろう。
お客さんの熱狂や盛り上がりもふくめて、ライブの完成形なのだ。

ようは、現場からリアクションが消えた。
これはかなり大きい。
面白いかどうかの判断基準に笑い声の多さや拍手など、お客さんのリアクションは相当関わっている。
当然、賞レースにおける審査だって、お客さんの笑い声だってジャッジの1つ。

誰も笑っていないけど合格!
そんなことはありえない。

だが、今は無観客が基本となり、大きな大きな判断基準を我々は失った。
何が正解で何が不正解なのか?
面白いものの定義を自分たちでジャッジしなければいけなくなった。

基本、お客さんのいない笑いは成立しない。
会議室や稽古場で1人の構成作家に向けるネタ見せと呼ばれるものがある。
どんな良いネタだと思っても…どんな悪いネタだと思っても…
1人の判断などアテにはならない。
客前でかけてみるまでは、何がどこで爆発するかは未知数。
客前でかけながらネタはブラッシュアップされていく。
お客さんがネタを育てていくのだ。

しかし、この不可抗力で訪れた状況。
突如として、そうは言ってられなくなった。

本当に面白いのかどうか?
本当に中身があるかないか?
大人が聞いて耐えられる内容なのか?

全ての判断が私たちに委ねられた。

その上で、無観客になって分かったこと。

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