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【無料】ガハハオヤジにならないため自分を特別視する

おそらく誰もが一度は遭遇したことがあるガハハオヤジ。

とにかく、声が大きくてデリカシーがない。
よく食べるが、あまり味にこだわりはなさそう(偏見)ガハハハ笑ってくれるのでムードメーカーなのかと思いきや、クレームをつける時の顔はガチで恐ろしい。
メダルにこそ噛みつかずとも、飲食店の店員さんやタクシーの運転手さんに噛みつく回数は多いイメージだ。

ただ、そんなガハハオヤジだって1日にしてならず。

ある日を境に突然「うわ…品のないおじさんやなあ…」となるはずがない。
人格は積み重ねの結果であり、ガハハオヤジ予備軍は10代20代の中にも存在している。

例えば、私は中高生の頃、席が空いていなければ電車の中で地面に座り込んでいた。
当然マナー違反だが、ここで問題なのはマナーを違反していることより、周囲を威嚇している意思の現れだった思考の痛さ。

電車でドアの前にドッシリと座り込みながらのドヤ顔。こんな俺どう?という気持ちが心のどこかにあり、マナーを無視できている自分がカッコいいと勘違いしている激痛野郎。
眉間にシワを寄せた大人たちから怪訝そうに見られることにさえ、ある種の優越感があった。
ダセエ…今思えば電車の地面に座り込んでいる様のどこがカッコいいのか…大人からすればただの迷惑者でしかない。
そこを俯瞰でジャッジできなかったあの頃の自分は未熟以外の何者でもありません。

とは言っても、間違いは若さがカバーしてくれる。
若さで許され、若さで笑い話にも昇華できる。
基本的に若さは無敵であり、「まあ、あの頃は若かったからね…」とまとめれば大抵の失態は青春の1ページへと変わる。

若さボーナスで許されたとて、どこかで気がつかなければ人は変わらない。

誰もが等しく年齢を重ねるが、経験と共に感性もレベルアップされなければ激痛のまま突っ走っていく大人になってしまう。
自分は良かれと思っていることでも、周囲が許してくれなくなるタイミングが訪れる。

そこそこの年齢になってしまえば、もはや誰も注意してくれない。
それゆえ、年齢に見合った所作や振る舞いや言葉遣いは絶対に必要不可欠。

根底にあるのはセンスの有無。
センスのズレが間違った言動を誘発してしまうので、センスの軌道修正はできる限り若い頃に終えておきたい。

なにが笑えて、なにが笑えないか?
笑える笑えないだけに限らず、タイミングや空気の読み方などもふくめ、何事に対しても良し悪しを見極められる審美眼を養う。

そうやって自分を客観視できるアンテナを持ちながら
"自分は許されない人間"なのだと思い込む。

ある程度長く生きてきたり、何か調子に乗りそうな出来事が舞い込むと、「自分は許される」のスイッチを押してしまう場合がある。

まあ、これくらい許されるよね?
年齢を重ねることは偉くなっているわけではないのに、自分に都合の良い思考回路が突如として頭の中に降りてくる。

そのうち芽生えてくる「みんなやってるようなことだし大丈夫」というちょっとした油断。。。
この些細な気の緩みが、時に後戻りを許さない瞬間を人生の中に作ってしまう。

だからこそ、自分だけは許されないと思い込んで
逆の意味で、自分のことを特別視する。

仮に、他の人がやっていたとしても自分だけはダメなのだと。
不公平を自らに課すのは正直辛いので、理不尽な思いに駆られる時だってある。
でも、それくらい極端な気持ちを持っているくらいで丁度良い。

「俺、こんな奴やから許してや」と言い訳しながら
見逃されてきた歴史が、未来のガハハオヤジの基礎を作り上げていく。

それは見逃されていただけで許されていたわけじゃない。

品格を身につけるのは日々の積み重ねだが、品格を損なうのは一秒。

自戒の念を込めて。


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