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<閑話休題>老人はなぜ昔話しかしないのか?

答えは簡単だ。老人が未来のことを話すとすれば,いつ死ぬか,どうやって死ぬかしないからだ。

一方,若者は未来について沢山語るべき夢や希望がある。しかし,老人ほど長生きしているわけではないから,語れるような「昔」を持っていない。

歴史は,国とか民族とか大きな全体だけのものではなくて,こうした老人一人一人の昔話の集合だとも言える。もちろん一人一人の記憶は違っている他,中には間違って記憶している場合もあるから,その集合体となる歴史も,見方によって違ってくるのは当然だ。

だからといって,歴史には客観性はない,真実はないと主張して,中国や韓国のような,自らの極めて政治的な主観に合わせた架空のものを,真実の歴史とすることは明らかな間違いだろう。

多くの記憶の集合体として,その最大公約数をまとめたものが歴史の真実になるのではないだろうか。

では,未来についてはどうだろうか。個々の若者の夢や希望の集合体が,そのまま未来に実現するだろうか?

実際にはそのようなことはない。まず,未来を築く社会の中枢で権力を握っているのは,未来のない老人たちだから,もちろんその前提を大切にし,優れた経験値で過ちのないように未来を築いていくことは重要だ。

また,こうしたことを踏まえない単なる思いつきによる,浅薄で偏った構想の未来は,ひどく危険でもある。しかし,そうした中からでしか,イノベーションは生まれてこないから,やはり,未来は「そこ」に生きているというだけでなく,若者のものだと思う。

しかし,その若者は,あっという間に老人になってしまい,昔持っていた未来の構想を,昔話として若者から忌避されながら,蕩々と語り出す。これは,「未来」という良いイメージではなく,単なる輪廻転生のような繰り返し=再生にしか思えない。

老人のような経験値を持った未来構想のある若者,若者のような未来構想を持った経験値ある老人。言葉では表現可能だが,こうした人物の実現は無理そうだ。ただし,良くも悪くも時間の経過を必要とする経験値を前提にすれば,老人のような経験値を持った未来構想のある若者は実現不可能だが,若者のような未来構想を持った経験値ある老人は実現可能だ。

そうすると,現在も未来も支配するのは,老人ということか...
まあ,私は正真正銘の老人そのものなので,可も無く不可も無く,という感じですが。

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