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<閑話休題>サンタクロースの効能とは?

貧乏人(注:これは私の子供時代の実体験を元にしていて,私の家庭は高度経済成長時代に取り残された,東京下町の貧乏家庭そのものでした)にサンタクロースが来なかったら,不公平で夢がない話だが,現実には,サンタ(親)は経済活動と密接につながっているため,金持ちの子供には,毎年サンタ(親)は願い通りのプレゼントを届けてくれて,貧乏人の子供には,そもそもプレゼントすら届けられないことが多い。

だから,サンタがいるかいないかという「子供の夢を大事にしたい」などという戯言は,金持ちだからこそ言えるのであり,貧乏人の子供は,生まれた時からサンタなんかこの世にいないし,クリスマススに家族でごちそうを食べ,サンタに自分が願っているプレゼントをトナカイが引く橇で届けてもらうなんていうのは,たんなる文字通り言葉だけの夢物語にしかすぎない。だから,貧乏人の子供は,サンタなんか嘘っぱちだと,大人から教えられる以前に痛いほど自覚している。

もしも,サンタが本当にいて,子供たち皆へ平等にプレゼントをくれるのであれば,特に貧乏人の子供には食えないおもちゃではなく,食事そのものと生活費になる現金100万円ぐらいを配ってくれたのなら,世の中は公平に作られていて,神様は皆をしっかりと見守っていて,困っている人を助けてくれると信じられるだろう。そう,貧乏人の子供はリアリストなのだ。

そういう点では,クリスマスとサンタのプレゼントというのは,子供にとって,特に貧乏人の子供にとっては実に冷酷でむごいイベントでしかない。

だから,「サンタさんがプレゼントをくれる!」と夢見て育った金持ちの子供と比べて,「サンタなんてのは,嘘っぱちだ!」という過酷な現実を身にしみて思い知らされる貧乏人の子供は,子供のうちから,世間の厳しい現実を嫌でも学ばされる。それは,建前と本音,理想と現実というような,聞こえの良い言葉とは裏腹に現実はむしろ正反対であり,自分の目の前には飯が食えないという冷酷な現実があるということなのだ。「夢とか愛とか,そんな言葉遊びは止めにして,食い物をくれ!」

昔,東京ぼん太という寄席芸人が「夢も希望(「ちぼう」と訛って発言)もない」とぼやいていたが,貧乏人の子供には,正に将来についての「夢も希望も持てない」。そこにあるのは,毎日の飯をどうやって食うか,どうやって己の命を永続させるかという,動物的な欲求のみでしかない。でも,その酷い現実から逃れるためには,食う以外のことが必要であり,武器となる。それは,教養(学力のみではなく,それを使いこなす術を含む)であり,己の心身を使って世間を生き抜くための総合的な人間力だ。

こうした人生経験があると,政治家が選挙のときにだけ,耳さわりの良い公約を言っても,当選したら絶対に実行しないだろうなということは,本能的に自覚している。また,詐欺師から,貧乏な人生を瞬時に逆転できるような儲け話を聞いても,「世間は,そんなに甘くない」と思って,騙されることは少ない。

ところが,こうした詐欺師に騙されるのは,世間知らずの金持ちのぼんぼんだけと思いきや,金のない貧乏人も騙されている。これは,金持ちが基本的に他人を信じ易いということが理由であるのに対し,貧乏人は一発逆転して大儲けしてやろうという,いわば賭けの気持ち(欲得)が強いからではないかと思う。

そういう点からは,サンタクロースが来ることを金持ちの子供がいつまでも信じられるのと同様に,貧乏人の子供は,「いつかはきっと,サンタさんがこの貧しさを救ってくれる」と期待する気持ちが強すぎて,金持ちの子供以上にサンタを信じる気持ちが強くなっているのかも知れないし,またそう信じるしか道がないことが哀しい。

ここまで,いろいろと考えたが,貧乏人の子供である私は,小学校低学年で「サンタなんかいないよ」と確信していたし,還暦を過ぎた今も,この世で一発逆転できるような儲け話は絶対にないと信じている。人は,こうした私を見て「ロマンがないですね」とか,「リアリストの見方ですね」とか,「ニヒリズムに浸っていますね」と称するが,やはり,サンタはいないのだし,聖ニコラス(サンタのモデルは)は,とっくの昔に死んでいるのだ。

でもね.....
宇宙人(サンタ)は絶対にいるし,いつかはきっと地球に来て,迷いなく私を選んでくれて,一発逆転の別世界に連れて行ってくれると願っているのですよ,ホントはね,ハハハ。

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