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<芸術> キャパとピカソ

(まだnoteを始めたばかりなので、自己紹介代わりとして、様々な項目のエッセイあるいは日記をご紹介したいと思います。このエッセイには、画像があるとより分かりやすいと思いますが、著作権の関係もあり、省略しています。もし画像を見られたいのであれば、それぞれの作品名で検索すれば、容易に見られます。なお、初出時より修文し、また言葉使いを丁寧にしています。)

恐らく人類史上最初の戦場カメラマンで、スター的扱いをされた人物。20世紀半ばの人だから、多くの人は知らないだろうが、最近写真に関心のあるような芸能人が軽々しくキャパの名前を連呼していたのを、TVで見た記憶がある。これにはキャパを冒涜されたように感じてしまったが、「スター」なのだから仕方がないか。

ロバート・キャパは写真を売るための芸名で、本名はフリードマン・エンドレというユダヤ系ハンガリー人だ(フランス式に言えば、アンドレ・フリードマン)。彼を有名にしたのは、スペイン内戦(と言っても今の若い人たちは大体知らないと思う。第2次世界大戦がヨーロッパで始まる前に、左翼共和制政権だったスペインでファシストのフランコ将軍が反乱を起こして激しい内戦となり、最後はフランコ将軍側が勝利した。第2次世界大戦にスペインは参戦しなかったので、戦後もしばらくフランコ体制は続いた。)の取材で撮影した「倒れゆく民兵」が雑誌ライフに掲載されたことだった。


この写真は、キャパの有名な第2次世界大戦従軍記録である「ちょっとピンぼけ」で最初に見たのだが、初見したときから私は、これが銃弾に打たれて倒れる兵士の姿には見えなかった。その疑問を解消してくれたのが、最近読了した沢木耕太郎の「キャパの十字架」だった(注:同書では、この写真を「崩れ落ちる兵士」と表記)。

結論としては、これは演習中に偶然足を滑らせて倒れたものであり、しかもキャパが撮影したのではなく、当時の彼の恋人で一緒に「フォト・キャパ」という芸名で仕事をしていた、ポーランド系ユダヤ人のゲルダ・タロー(本名はゲルダ・ポホリレ。当時にパリにいた岡本太郎から芸名を付けた)が撮影したものだったということになる。

しかし、この写真は、撮影者の意図とは全く無関係に、スペイン内戦の共和国政府を象徴するものとして世界中に流布し、今や歴史の中の一部になってしまっている。そのためキャパは、その真実を生涯明かすことなく偽りの生活に耐える一方、虚像「キャパ」に自らが近づくべくノルマンディー上陸作戦に参加し、こちらでは正真正銘本物の戦場写真を記録して、虚像を実像にしてみせた。


しかし、世界大戦が終わった後のキャパは抜け殻となってしまい、女優のイングリッド・バーグマンと結婚寸前まで行きながら、スペイン内戦中にゲルダが暴走した共和国側戦車に轢き殺された後の人生を清算するかのように、1954年フランスからの独立戦争をしていたベトナムで取材中に、地雷を踏んで死ぬ。

キャパの「ちょっとピンぼけ」は最高に面白いノンフィクションであり、彼の生き急いだ人生は、余人にはまねのできない魅力あふれるものだ。しかし、彼の出世作が真実と異なる扱いを受けてしまい、それを正すことすらできなくなってしまうことに歴史の不思議さを感じる。

それはまた、写真というのが現実を写し取ったものでありながら、実は使用する側や受け取る側によって、いかようにでも変更できる虚構のものだということが実感される。

考えてみれば、ピカソの「ゲルニカ」だって、ピカソの最高傑作では決してないと思うが、スペイン内戦を批判する側のプロパガンダによって、実際にフランコ軍に爆撃された写真(モデル)がないゲルニカの町を象徴する存在に祭り上げられてしまったと言える。

(ところで、ピカソの最高傑作は「青の時代」に集中し、その後は単なる余生でしかないと思える作品に満ちているが、愛人だった「ドラマールの肖像」は傑作だと思う。」)

キャパにしろ、ピカソにしろ、一度世間に持ち上げられてしまった以上、それを自ら追いかけ、追いつくことになってしまうということなのだろう。かつて「悲しみをこんにちわ」を出したフランソワーズ・サガンは、次作を出すのに非常に苦労したが、結局最初の作品に並ぶことはできなかった。J・D・サリンジャーも、「ライ麦畑で捕まえて」以降は、隠遁するしかなくなってしまった。

結局、芸術家の最良の作品は、1作しかできない。それが最初に出る(キャパ、サガン、ピカソ)のか、最後に出る(アーネスト・ヘミングウェイ)のかは、偶然なのかも知れない。


キャパの関係でピカソについて述べたので、改めて画像を掲載してピカソを語りたい。

ピカソは、そもそも天才的なデッサン力を持った画家だった。まるで写真のようなデッサンを多く残している。それゆえ、具象画を描けばそれだけで素晴らしい作品になるだろう。しかし、20世紀前半のパリという時代と場所から、彼はマイノリティーに注目することになった。その時代の作品−青の時代(青色を多用したことから、こう称される)−が、結果的にその描かれた背景を含めて、ピカソの最高傑作になった。

代表作は、やはり「サルタンバンク(サーカス芸人)」だろう。


類稀なデッサン力による力強い人物造形、必要最低限に抑えた彩色、そしてモデルの内面にまで踏み込んで描き出された天与の表現力が、ここまで発揮された結果なのだと言える。

次に優れているのは、「アルルカンと女友達」だ。


人物の配置、造形、視線、配色、全てにわたって、見る側に訴えてくる力は、画家の画力によって多方面に増幅され、さらに様々な思いを巡らせてくれる。これほど感情豊かで、物語性に富んだ作品は、他にないのではないだろうか。

そして、個人的に好きなのは、既にキュービズムに入った後の作品だが、それでもモデルの内面までも描き出す確かなデッサン力を味合わせてくれる、「ドラマールの肖像」だ。


「モナリザ」がルネッサンスを代表する美人であるならば、「ドラマールは」20世紀初頭及びキュービズムを代表する美人ではないだろうか。私は、モデルの姿をここまで破壊・再構築しながら、その内面及び外面の美を大きく増幅させた絵画を知らない。

その中で、スペイン内戦に際して政治的に利用されただけの「ゲルニカ」は、大作だというだけで、美術作品としての魅力を何ら感じられないと言ったら、言い過ぎだろうか。


ピカソは、「芸術の基準」として、1.古いもの、2.この世に存在したことがないもの、3.自らを模倣していないもの、の3点を挙げた。

しかし、青の時代で全てを表現しつくしてしまったピカソは、その後の時代を「自らの模倣」で過ごしていたのではないだろうか。

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