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<閑話休題>「ノーサイドゲーム」感想、そして息子の幼稚園時の思い出

アオテアロアもクルセイダーズの優勝が決まってしまい、再びラグビーネタが枯渇するようになってしまった。スーパーラグビーがあった頃は、毎週4~5試合のメンバー確認、プレビュー掲載、TV視聴、結果掲載と、かなり多忙だったが、ラグビー中継がない国へ転勤し、さらにCOVID19でラグビーが開催されなくなってしまった。これではもう、どうしようもないと諦めるしかない。

それで、日本のTVドラマ「ノーサイドゲーム」をDVDで見て喜んでいるのだが、先日、まだ見ていなかった後半を一気に見た。例によって奥様は、ひどく感情移入して、画面に向かって文句をつけ、さらに泣いたりしていた。はい、確かに試合前のロッカールームの緊張と選手一人一人の背負っているものを想像すると、見ているこちらまで胸が熱くなってしまいます。ましてや、怪我をした広畑さんが必死にタックルする姿には、ラグビードラマの最良の部分が凝縮されていました。

でもね、多少ともラグビーをかじった人間としては、ちょっと違うなというのがぽろぽろと出てくるので、ついつい文句つけたくなっちゃうのですよ。

まず、スクラムは一応組んでいるから違和感は少ないものの、真剣にぶつかっていないし、押し合ってもいない。これがモールになると、もう姿勢が高すぎて、これじゃあモールとは呼べませんわ。さらにですよ、ラック。息子の高校ラグビーでは「通過」と言ってたようですが、要するに七尾君ができなかったラックへ頭から突っ込んでいくやつです。

これは、アタック側もディフェンス側も基本は一緒で、孤立して参加するのではなく、スクラム同様に複数でバインドして参加しなくてはなりません(近くにいる味方のジャージをつかんで、一緒に突っ込む感じ)。また、あまり激しく当たると最近は反則(シンビンを含む)を取られてしまいますが、思い切りダッシュしてスクラムの姿勢同様に低くなって参加しなくては、相手に当たり負けしてしまいます。

これが、モール同様に姿勢が高いし、勢いがないし、真剣に押し合っていない。ただ、組んでいるだけですやん(注:もう気分は「怖い」広畑さんです)。

もっと言うと、タックルです。映像的には良いのでしょうが、危険な投げ飛ばすタックルが多すぎますねん。今だったら、一発でシンビンちゃいまっか?もし、このドラマを見て子供たちが「ラグビーやりたい!」、「タックルしたい!」って、真似したら困りますやん?

と、文句を言っていたら、最後の広畑さんから七尾君につないだトライ。最初に思ったのは、「なんで誰もサポートにおんねん?」でした。80分間走りまくり、家族としてお互いにサポートしまくるアストロズであれば、あそこは、オールブラックス並みに大勢のサポートがついてないとだめでしょう。

そして、あんな「いかにも」な個人技のトライではなく、できれば短いパスを大勢がつないで、最後にタックルされた人を残りの人が押し込んでトライする。そういうシナリオに出来なかったのは、やはり良く勉強しているとはいえ、ラグビーを熟知していないためだったのかなと考えています。

でも、ドラマとはこういうものなのでしょう。現実と理想との狭間(隙間)に感動はあるのですから(観阿弥・世阿弥「虚実皮膜論」)。

今、家の片づけをしていて(簡単に言えば、終活ですね)、息子が幼稚園に行っていた時の母(つまり若い頃の奥様)と先生との連絡帳を見つけました。そこに、節分のときの会話が書いてありました。

母「今日、幼稚園で豆まきやったのでしょう。楽しかった?」

息子「うん、鬼が出て来て楽しかった!」

母「どんな鬼だった?」

息子「山本先生だった」

母「鬼が山本先生!?」

息子「ちがった!山本先生みたいな声の鬼だった!」

ドラマとは、この幼稚園当時の息子のように、楽しまなければならないようです。


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