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<閑話休題>映画の幸福な時間


#映画館の思い出

 人には誰にでもお気に入りの場所とお気に入りのものたちによる幸福な時間がある。

 たとえば、海辺で遠く客船の彼方に沈む真っ赤な夕陽を眺めながら語らう、恋人とともにいる幸福な時間。仕事から帰ってきた父親が、愛する妻がやさしくあやす赤ん坊をみるときの幸福な時間。自分が最もお気に入りのお人形とともに遊んでいる女の子の幸福な時間。

 ずっと欲しかった戦車の模型が、近所の野原の小山を乗り越えて走りまくったときの少年の幸福な時間。アンノン風にいえば、南青山のC’est le blanc(それは白い)といったわけのわからないフランス語の名がついた、白いインテリアのベル・エポック風の洒落たお店で、初夏の午下がりゆっくりとお茶を楽しむ幸福ない時間。エトセトラ。

 こうしたものに比べれば、実にたわいもなくつまらないものだが、私にはかつて幸福な映画の時間があった。そして、それはもう決して訪れることはない。なぜなら、幸福な時間の重要な条件である、お気に入りの場所がなくなってしまったからだ。

 その場所とは、京橋にあった映画館「テアトル東京」である。映画産業の衰退とは裏腹に、消えゆく蝋燭の炎の最後の輝きのようにしてあったこの映画館は、シネラマというスクリーンと床が舞台をおかずに直接接している上映方式を、日本で唯一とっていた。またそのスクリーン自体は、全体に扇形のカーブを描いており、最前列中央に座った観客には、自分の前だけではなく左右斜め前方にも映画を見ることができた。

 ごくつまらないことかもしれない。しかし、たったこれだけのことが、たんにスクリーンを眺めることだけではない異世界を疑似体験するという、映画の根本の面白さを味わせてくれた。

 それはなによりもSF-宇宙の物語において最も魅力を発揮した。「スター・ウォーズ」、「未知との遭遇」といった作品は、この映画館に誠に相応しいものだった。でも私は、この作品こそ、この稀な映画館が狂喜して受け入れたものだったと思う。

 それは、あの「2001年宇宙の旅」である。

 この作品については、いまさら何ら説明することはないだろう。私にとって、これまでの映画体験において最も幸福な時間を持ちえたのは、テアトル東京で「2001年宇宙の旅」を観たときだった。

 とある夏の日の午後、街には人通りも少なく、いつもの沢山の会社員よりはむしろ、まばらな家族連れが目立つ中、これから体験する時間への期待を胸に秘め、いつもの馴れた映画館へ行く。地下鉄銀座一丁目の駅よりわずかのところにテアトル東京はあった。

 一歩映画館に入ると、よく冷房が効いていて、ほどよく集まった観客(映画の観客は多すぎても少なすぎてもいけない)が次回の上映を待つ中を、小走りに二階へ駆け上がる。もちろん手には、入口で買った「2001年宇宙の旅」のパンフレットを握りしめて(またもちろん、パンフレットの表紙下側には「テアトル東京」の文字が入っている)。二階に着くと、ほとんど観客はいない。わりあいに広い二階ロビーで、誰もいないソファーにゆったりと一人で座る。見ることもなくパンフレットを広げて、一枚一枚となにげなくページをめくっていく。

 もうわかりきっている宇宙飛行士が暗闇を飛んでいるといった写真類を確認し終えると、もうじき開くであろう観客席へ入る扉をチラッと見る。とたんに頭の中がカラッポになる。今自分はどこにいるのだろうか。ロビーには誰もいない。ソファーはゆったりと私一人で座っている。ときおり、観客席から映画の音楽や効果音が聞こえてくる。そうだ、ここは私のお気に入りの映画館なのだ。

 今、映画はどのへんかな。もうそろそろクライマックスかな。あと何分で僕の番かな。ジュースでも買おうかな。ふと立ち上がったとき、人のざわめきとともに、観客席の扉が大きく開かれた。

 静かに「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れ出した。

 私の映画の幸福な時間も、オーケストラの音とともに頂点を迎えようとしている。

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