<閑話休題>「ダメ人間」とグノーム、そして「花」と「土」
リビングにある鋏が切れなくなっていた。妻がメルカリの梱包・発送をするために、ガムテープを鋏で切るのだが、その都度粘着物質が刃にこびりつき、切れ味が悪くなっていたのだ。それで、カッターの刃の反対側を使って、鋏の刃にこびりついた粘着物質を取り除き、セロテープを使って少しずつ剥がしていった。しばらくすると、切れ味が良くなった。その後、妻には何も言っていなかったが。先日この掃除した件を話したら、「そういえば、使いやすくなっていた」と、まるで鋏が自動的に掃除されたように言っていた。
その時、「私はグノームか?」と独り言をつぶやいていた。グノームをわからない人がいると思うので説明すれば、グノームとは、ケルト神話に出てくる小人の妖精で、おおざっぱにわかりやすく言うと「白雪姫と七人の小人」の小人たちだ。ケルト=アイルランドということで、彼らは緑の服と長い髭が特徴で、夜中に人が寝ている間に作業して、沢山の立派な革靴を縫い上げてしまう。また、金属工芸にも秀でていると言われている。
妻が「ダメ人間になりまーす」と宣言して、ソファーで寛いでいる間に、勤勉な私は鋏を掃除し、荒っぽい使い方で刃こぼれした包丁を研ぎ、ねじが緩んだ鍋の取っ手を修理し、汚れたガスコンロやシンクをピカピカにする。まさに、地下で生活するグノームのような日の当たらない仕事だ。そして、振り返ってみれば、私のサラリーマン生活はこれ以上の「日の当たらない仕事」だったな、とふと思い出した。
シェイクスピアは「世界は一つの舞台」と言った。つまり、人それぞれには役者のように役割分担がある。主役と脇役、ヒーローと悪役、メインキャストと通行人役などの違いはあっても、どの役割も、どの役者もその舞台(世界、社会)には必要なものであり、何一つ欠けても舞台は成立しない。もっと言えば、これらの役者に加えて、裏方と呼ばれる大道具、小道具、照明、コスチューム、メイクアップなどの人たちも沢山いる。
早稲田ラグビーが好きな人たちは、よく花と土にこれを例える。つまり、最後にトライを取る「花」となる選手と、そのための起点となるポイントで良いボールを供給した「土」となる選手だ。例えば、「土」の選手が良いタックルをして、相手がボールをこぼす。このチャンスを生かすため、自分の身体を使ってマイボールにキープする別の「土」の選手がいる。
さらに、そのポイントから出てきたボールを生かすため、相手が自分にタックルを来るようにして、その寸前にパスを出すまた別の「土」の選手もいる。そして、最後の「花」の選手がトライをする。大多数の人は、トライをした選手を「良くトライを取った」と絶賛する。
その時、自分一人の力でトライを取ったように錯覚してしまうような選手は、ラグビーで「花」の役割であっても、人生では「花」が咲かない場合が多い。逆にラグビーで「土」であった選手は、人生で「花」が咲くことが多いのではないか、と私は思っている。また、もし「花」が咲かなくとも、「土」であった経験はいろいろなことに役立つと信じている。
「お天道様は、いつでもどこでもお見通しだ」と子供の頃に、東京下町の庶民である親から繰り返し教えられたことを、ずっと信じて生きてきたのかも知れない。
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