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引退するんだなと本気で思った試合

まだ引退はしません。
でも今年の日本選手権は負けたら引退しようと本気で思ってました。

20歳の時に恩師である国士舘大学の岡田監督から「ここから10年かけて力をつけて世界に勝負していくんだぞ」と声をかけられ、その時から2020年のオリンピックで決勝に残ることを目標に競技を続けてきました。
2020年のオリンピックでは僕は30歳(12月で31歳)、選手としてのピークを迎えるタイミングで結果を残すために常に思考を続けました。
そこでどういうプランでキャリアを進めていくか考えたことはまた別の機会に、ということなんですが、とにかく僕の勝負してきた10年余りが終わりました。

勝負が終わってからの僕の2021年後半シーズンは、それはそれはヒドいものでした。

集中力に欠ける、メンタルの強さが売りなのに。
1投目にうまく投げられない、1投目に強いのが良さなのに。
ピーキングがちゃんとできない、試合にきちんと合わせるのが当たり前なのに。
自分がどういう風に投げてるのかわからない、積み重ねてきた技術に自信があったのに。

自己ベストや60mを投げられないことが問題なのではなく、
自分のパフォーマンスを半分も出せていないと思うことがたまらなく悔しく、
それでもなお自分の心の炎がメラメラと燃えてくれないことがたまらなく虚しかった。
みんな自分の最高の投げをしようと力を振り絞って投げているのに、
自分は力なく、うまさもなく、勝ちたい投げたいという欲もなく、ただ試合の場にいるだけだった。


そして9月の全日本実業団をいいところなく負け、僕はどん底まで落ち込んだ。
試合には家族が応援に来てくれる。
僕が目当てじゃなくても、たまたまでも、何かのきっかけに円盤投の試合を観てくれている方がいる。
そういう人たちに凄いと思ってくれるパフォーマンスをしたいと毎試合思っている。
たとえ良い記録が出なくても、これが日本のトップなんだと思ってもらえるような凄みを見せたいと毎試合思っている。

でも自分を客観的に見たとき、僕は僕の思う「堤雄司の在り方」を全く出せていませんでした。


その時は本当に、こんな試合しかできないなら引退した方がいいんじゃないかと思いました。
妻に相談し、妻に説得され、僕は現役を続けることにしました。

その時に考えたのは、社会人になるときに自分自身に定めた覚悟でした。

トレーニングだけに集中させてもらえる選手が、そうでない他の選手に負けてはならない。

その覚悟を完遂できなくなったときが辞め時。
来年の日本選手権で負けたら引退する。
そう決めました。


そうして迎えた今年の日本選手権。
緊張しすぎて試合が近づくにつれて調子が落ちていったのは笑いました。
湯上選手が1投目から59m、僕はなんと42m。
普段ならもうダメなパターン。
でもなんとかなんとか修正して3投目で逆転。

4、5投目を失敗し、迎えた最終投てき。
ひとつ前に投げる湯上選手の投てきはオーロラビジョン越しに見ていました。
僕自身は彼が投げる瞬間までは、彼がどんな記録を出しても自分の投げをすることだけにフォーカスできていました。
でも彼がターンをはじめ、右足がついて右手がビジョンに見えたあたりで「あ、これ投げるわ」と思ってしまいました。
円盤が宙に舞い、フィールドの60mラインの手前に落ちた時は「あー、絶対超えた」とさっきまでの集中はなんだったのか絶望してしまいました。
今でもあの瞬間の飛んでいく円盤が記憶に残っています。
あの瞬間は僕の世界がゆっくり動いていたようにも思います。

やや左側に飛んだため、カメラマンさんと測定器の射線が被り、測定に多少時間がかかっている間、
あー、これで引退かー、とか
最後に逆転されてドラマチックに負けて終わるのも世代交代としてはいいのかな、とか
そんなようなことを思っていました。もう投げる気ないじゃん。

勝った。

勝ってしまったのかもしれない。
何者かが勝たせてくれたのかもしれない。
そう思えるような試合でした。

2cm差での勝利。
僕が超えたと思っていたあの円盤は、最後の最後で僕の記録のほんの少し手前で落ちたようです。

内容でも中身でも負けていたけど、勝ったということはまだ続けてていいんだなと思えました。

今は日々自分の身体が衰えていることを感じる。
心の炎もまだ消えてしまったまま。
正直目標も何もない。

それでも自分が自分の在り方、「堤雄司としての生き方」を全うできるように、まだもう少し続けていこうと思います。


以上で今回のお話は終了です。
話がとっ散らかっちゃったかもしれません。すみません。
またね。

不定期で投稿したりしなかったりします。 気が向いたらまた見に来ていただけると嬉しいです。