写真ってなんですか?

まずは、毎日note継続のため、未完成で投稿した昨日のnoteについて。今朝、通勤電車で書き上げました。興味ある方は読んでください。読まなくてもこれから書くnoteと関係ない内容なので特に問題ないと思います。

写真を付けずに投稿したときだけ自動的につくられるこの画像が結構好きです。タイトルとハッシュタグと名前とロゴいうシンプルな構成だけど、これをうまく使えば訴求力が上がりそうな気がしています。もう少しボクの承認欲求が強ければ、試す気になれたのかもしれないけど、たくさんの人に読んでもらうより、自分が好きな文章を書きたいのです。

ボクは写真のことをほとんど知らない。「写真ってなんですか?」と聞かれたら、「スマホで写真撮ったことないの?」と尋ねるだろう。

あなたは写真を知っているから、スマホで写真を撮ろうとしました。撮った写真を見て、それがなんなのか自分で考えてみてください。分からないことを放置するくらいなら誰かに聞いた方が良いが、あなたの瞳は好奇心に満ちています。その輝きを失わないためにボクができることは、あなたの考える時間を奪わないことだけなのです。十分考えて、それでも写真がなんなのか分からないなら、それが今のあなたの答えなのです。

もしボクがこう言われて、素直に分かりましたと言えるだろうか。

写真とは、視覚情報を記録したモノである。デジタルデータとアナログデータが存在し、最近では一般的には扱いやすいデジタルデータが主流であるが、フィルムで撮ったり印刷したりして質量のある写真を好む人たちもいる。どちらも写真であるから優劣はない。デジタルデータは消えれば終わりだと言われるが、フィルムは物理的に損傷すれば終わりだ。無くなるときは無くなる。時間が経てば、存在すら忘れてしまう。だけど、不思議なモノで、好きで写真を撮っていると、古い写真を見るだけで当時の記憶が蘇ってくることがある。走馬灯を見たことはないが、似たような現象だと思う。そこで何をして、何に魅力を感じシャッターを切り、その感動を誰と共有したのか。忘れていたと思った記憶が、たった1枚の写真がトリガーになり、過去へと導いてくれる。そういう意味では、写真は記憶の鍵と言えるのかもしれない。

何かに惹かれてシャッターを切ると、そのときの記憶を閉じ込めた鍵がつくられる。だけど、ハードディスクに保存されているすべての写真に対して同じことが言えるかというとそうではない。この差が被写体に対する想いである。何も考えず撮った写真に対しては、鍵が作成されることはないだろう。想いが強い写真と弱い写真。これらを比較すると、見えてくることがあるのかもしれない。

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