読みやすい文章にこだわる必要は無いのかもしれない

5年間毎日noteを書くことを決めて以来、読みやすい文章を書くことを意識してきた。意識しているだけで、実際に読みやすいかはここでは触れないがみなさまの心の中に留めておいてください。

「良い文章=読みやすい文章」ではないと、本を読みながら思うことが増えた。これまでは本の内容しか気にならなかったけど、最近では本の読み方が変わってきていて、内容なんかどうでも良くて文章の構成を勉強するために読むこともある。好きな作家さんの文章には、心地良いリズムが存在していて、先へ先へどんどん読み進めたくなるのだけど、エッセイのテーマや伏線回収の仕方を紐解いては、ため息をついた後ニヤニヤが押し寄せてくる。文章で世界を救えるのではと本気で思わされてしまう。ボクも使えるような単語ばかりの文章なのに、どうしてこれほど美しい風景を見せられるのだろうと頭をぐらんぐらんに揺らされ、心地良いさが気持ち悪さに変わることもたまにある。これを成長痛と捉えれば、この先はぐんっとボクの文章にも魅力が加わるはずだから、苦しみもがき、毎日言葉と仲良くなれるように本を読み、書き続けます。

ボクには続けることしかできないし、それができることは強みだと思っていて、これまでもこれからも変わらない自信はある。

文章の書き方について学ぼうとすると、簡潔に分かりやすく書くことと、教えてくれることがある。間違ってないし、実際そうした方が、読み手にやさしくて、多くの人に読んでもらいやすいと思う。ただ、ボクが文章を書く目的は、たくさんの人に読んでもらうことではなくて、今考えていることを記録することであるから、答えが出ていないような、脳内の円卓でいろんなボクが意見を出し合っている様子をそのまま表現すれば良いはずなんです。昨晩、そう思ってTwitterに写真と一緒に言葉を添えて投稿しました。

少し長いなと、自分でも感じるくらい長い1文を書いているとボクは楽しくなる。まだ終わらせたくない。あと一つ点をつけて、文章の可能性を引きずり出せるか試したい。病弱なのに、「しぶとく生き残りそう」と言われるくらいの人間だから、写真も文章もボクが死んでも宇宙の端っこで分解されずに漂い続けていたら面白いなと思う。冷凍保存して宇宙の果てまでロケットに乗せて飛ばせるサービスができたら、ボクは何を入れるだろう。写真や文章を入れても、受け取った宇宙人が興味を示さず目から出たレーザーで焼き尽くしてしまう場面を想像すると何も入れてやりたくないと思ってしまう。頼まれても無いのに、こんな態度をとっていてはNASAから掛かるかもしれないお声掛けもなくなってしまうかもしれないから、ここは素直にボクは写真家として「写真と文章をまとめた冊子を入れます」と宣言して今日のnoteを終わりにします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。これで終わるのはとっても寂しくて、この気持ちは毎日書いているnoteでもたまに思うことがあって、毎日じゃないから今日みたいな特別な日には気持ちを伝えなきゃダメだと思ったんです。ダッシュボードの数字を見ても、実際にどれくらいの人がちゃんと読んでくれているかなんて分かりません。同じように書いている人になら伝わるかもしれないから書くけど、コメントもらえることって本当に、とっても嬉しくて、どれくらい嬉しいか分かりやすく書くと、「おもちゃ屋さんで床に転がっておもちゃ欲しいと泣き叫んでいた子どもが、根負けした親におもちゃを買ってもらってお店からおもちゃを抱えて出ていくときの子ども」の気持ちと同じくらいです。もちろん、あなたがボクを喜ばせる必要なんてなくて、それが分かっていても締めの挨拶の後に、長いあとがきを書くってことは、それくらいボクは自信がないんだと思います。数年後、自分の文章に自信をもつことができたら、今は想像もできないような価値観で物事を考えられるようになっているかもしれません。自分と向き合うことは大変なことも多いし、行き着く先も分からないけれど、微かな光は確かに見えていて、それはこれからボクが前に向かって進み続ければ必ず手が届くと思っています。

明日はBiSHのライブ映像を観ながら過ごします。ボクにとっての東京ドームってなんだろうとか考えながら、オーケストラ聴いて泣くんだろうな。

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