写真を撮っていても楽しくない日はある

午前中ずっと散歩していたのに、何一つトキメクことなくカメラで首の筋トレだけした日。こんなことなら本を読んだり、勉強したりできたじゃないかと思うこともある。シャッターを切るだけだから、好きな写真なら簡単に撮れるけど、それでは満足できないとき、しばらく写真から離れて生活したくなる。スマホでSNSに投稿される写真見ないだけど、随分と気持ちが楽になる。そんな経験をした人も少なくないと思っている。

家に帰ると、壁に写真が飾っていたり、写真集やカメラが転がっていたりと、意識して見ることはなくても、写真が日常に存在している。コナンのクリアファイルや、HUNTER×HUNTERの複製原画も壁に飾っているが、毎日同じ写真を見ては安心している自分がいる。撮るのが辛いなら、撮らない。撮れなくても撮ろうとする荒療治は今のボクには合わない。ファインダー越しに世界を見なくても、裸眼で世界を切り取るだけで満足できるようになったのかもしれない。データとして残すことはできず、他人と共有することもできないが、自分との対話のために写真を撮っているのであれば、ボクが認識できればそれで十分だ。今日のボクは何に興味を示すのだろう? 

何でもかんでも残そうとするのは、探すストレスを未来に送る行為であり賢明とは言えない。撮影のたびにデータを整理したとしても、切り過ぎたシャッターは選択するとき意志力を疲弊させ、とりあえず全部残すという決断を迫り、無抵抗なボクの思想はそれを受け入れ続ける。寝かしているだけだと言えば、聞こえは良いかもしれないが、見返さない写真を撮る必要はない。

ボクは子どもの頃、旅行に行った後、薬局にフィルムを出して、27枚くらいのプリントを見ている時間が好きだった。アルバムに写真を順番通りに入れるときに、妹と写真の取り合いをしたような記憶もある。今はフィルムで撮っても、スマホで見て終わりのことも多い。保育園では集合写真を引き延ばして渡してくれるが、それを見ながら子どもたちが指をさしながら、どこに自分がいるか教えてくれる。時代は変化するものだから、昔に囚われ続けるのは良くないし、タブレットは写真を拡大することもできる。どちらが良いとか悪いとかじゃなくて、どちらも経験することで、世界は広がるんだと思う。

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