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好きな写真について #36

嫌いな写真じゃなくて、好きな写真について書こうと決めたのは、その方が幸せだと思ったからだ。

階段を登るときに、傘の先端を後ろに向けて歩いている人をまだ見かけることがある。後ろの人の目に刺さったら責任取れるのか?と問いたくなるけど、悲しい人だなと思うだけに留めている。ここに書くことで、ボクの中にあった負の感情も成仏してくれればいいのだが、どうなることか。梅雨が近づいており、週間予報を見るのも億劫になる。写真は晴れた日に撮りたいし、雨の日にも撮りたいから、どちらを望むのかという2択を迫られると答えにくく、好きか、嫌いでしか選べない社会が生きづらいのも同じ理由だろう。ボクは曖昧さが好きだ。

曖昧な写真は何を撮っているのか分かりづらい。撮影者が意図せず撮れてしまった写真も少なくないと思う。ボクは日の丸構図ラブな人間なので、何を撮ろうとしたか見た人に伝わりやすい。昨年の個展でも、おじいさんに「あなたの写真は何を撮ろうとしたか伝わってくる」と言ってもらえた。椅子なのか、通行人なのか、草なのか。日本語をわかりづらく並べた写真展の解説を読むより、小学生でも分かるような説明が添えられた写真展で過ごすことをボクは好む。コンセプトの意味がわからず何を撮ったか分からない写真を見せられたときは、貴重な時間をこのために使わされたことに対して憤りを覚えることもあった。あの頃、ボクはとても若かったし、めちゃくちゃ心がトゲトゲしていた。SNSの数字がすべてだった頃があり、それを乗り越えて写真に執着しなくなった今がある。どちらの時期の写真が好きか聞かれたら困るが。前者は勢いがあり今見てもゾクゾクする写真が多い。気持ちに正直に撮ったかというとそうではないが、観てくれる人の反応ばかりを考えていた。それが悪いこととは思わないし、まあるくなった最近の写真を魅せるときにも、そのときの考え方は活かされている。どれだけいい写真でも、魅せ方が残念だと、残念な写真になってしまう。つまり可能性としての話になるが、それほど思い入れのなかった写真だとしても、魅せ方次第ではハートを鷲掴みにされる写真に返信することは十分に考えられる。まったく気にしてなかった女の子に、落とした鉛筆を拾ってもらったときに手が触れてしまって、「綺麗な指だね。」と視線を合わさずに言われたときに心臓を矢で貫かれるような感じと言えば伝わる人には伝わるかもしれない。そういう偶然撮れてしまった写真もボクは好きだ。

初めてハーフカメラを使った日に撮れた写真。



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