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写真エッセイ〜2024年3月〜

「ウインナーか、ツナマヨかな?」

閉店後のパン屋さんの前で、メニューを指さしながら老父婦が話をしていた。本屋さんで定期購読している「スピン」という雑誌を受け取り、図書館で本の返却、貸し出しを終えたボクは、楽しそうな雰囲気を感じ取り自転車の速度を落とした。そうして聞こえてきた惣菜パンの話をもっと聞きたいと思いながらも、近くに自転車を停めてスマホをいじるのも会話の邪魔になるだろうから軽快に自転車を漕いで帰宅した。街灯が少なく、いのちだいじにしない人も多いから、無灯火の自転車には十分注意して。

坂道を息を切らしながら全速で駆け上ると、家を出る前に食べた551の餃子のタレご飯の香りがマスクの中に充満していた。帰ったら2回くらい歯を磨こう。ブレスケアで体の中からいい香りにすることも忘れちゃいけない、家にあっただろうか? 数年ぶりに食べた餃子のタレごはんは美味しかったけれど、その後のケアのことをすっかり忘れていた。少しずつ食べられるものを増やしていこうと、主治医とも話をしている。次の診察では、「牛タン食べました!」と報告できたらいいなと思う。仙台に行くか、天王寺で食べるか。ポジティブに食事のことを考えられるときは調子が良い。写真の悩みは尽きないし、新しい悩みも静岡土産として持ち帰ってきた。それでもまだ撮ることをやめたくないから、今月も撮った写真をnoteで紹介します。

写真を見返しながら思ったことを書く

和歌浦に行った日

和歌祭に向けて少しずつ動き出しており、東照宮へ用事で行った帰りに近くを散歩した。曇りのち雨の予報だったけど午前中は青空が見えることもあり、バスに乗っているときに市役所の隣くらいにあるビルの壁に綺麗な影ができていた。途中下車したいと思った。だけど、雲の流れがとても早かったから、雨が降る前に宮司さんと話をするために、終点までバスに揺られることにした。車内の様子も何枚か撮っている。いつか公開することがあるかもしれないし、ずっとボクの思い出として残り続けるかもしれない。誰にも見せない写真に意味があるかという議論に答えはないと思っている。その瞬間に撮りたいと思い、撮ったという事実があるなら、それを見せるか見せないかは関係ない。安易に「投稿するの?」と考えてしまっているときは、SNSに思考を乗っ取られちゃった症候群だと意識すれば、少しは考え方が変化するかもしれない。これはボクの考えだから、合わないならスルーしてくださいね。

バス停に向かうときに撮った写真。赤いカブがかわいかった。

話を戻すと、久しぶりに訪れた東照宮は相変わらずそびえ立つ階段を登らないと神社に辿り着けない。階段の左には、緩やかな坂道も用意されているけど、往復ともに階段を避けることはまだボクのプライドが許さなかった。だって、おじいさんが頑張って階段を登っているのに、ボクが坂道で楽するなんて、なんか申し訳ないじゃないですか。

雨の日、コメダに行った

午後から通院の予定だったから、有休消化も兼ねて午後休ではなく、1日休暇を取得した。曇り空で写真を撮る気分でもなかったから、一駅隣にあるコメダで過ごせるだけ過ごすことにした。前日に買い直したセブンイレブンのビニール傘が、誤って誰かに持ち帰られてしまわないように傘の持ち手に養生テープをぐるぐる巻きにした。時間が経てば剥がれ、そこに空気中の塵が付着しそうだなと思ったけど、そのときは貼り直せばいい。新品のビニール傘だと気付かれないようにカモフラージュしているようで少し興奮した。いっその事、プラモデル用の塗料で白い持ち手に、赤と青のインクを使って、床屋のクルクルみたいにすれば誰も間違えないんじゃない? そう思ったのも束の間、綺麗に塗れてしまったら、ビニール傘の価値向上により逆に狙われてしまう可能性が上がることに気付き、ボクの密かな楽しみは実現することなく消えてしまった。

コメダの塩

パンにかけられることなく、伝票が空調で飛ばないようにテーブル中央へ運ばれた。不本意だったかもしれないけど、この日この塩が一番綺麗に撮れた。前日にFUJIFILM X100Vのフィルムシミュレーションの設定を見直していたが、まさかここまでドンピシャにハマってしまうとは、ボクのセンスの良さに驚きしかありませんでした。コメダを出ると雨がポツポツと降り始めていた。ボクは図書館に立ち寄り、背表紙を順番に眺めることにした。天気予報だと後数十分で猛烈な雨が降りそうだった。もう少し待とう。当たるのか、当たらないのかよく分からない天気予報にボクの時間を預けてしまっているようであまりいい心地はしなかった。

天気予報は当たった。上の写真もそのおかげで撮れた。傘を刺したサラリーマンはいつ見てもエモい。エモエモだ。エモいなんて言葉、来年には消えてしまえばいいと思っている。日本語にはもっと美しく気持ちを表現する言葉があるはずだから。

静岡で撮ったどこでも撮れるような植物の写真にときめいている

こちらです。

語り過ぎるのは良くないのかもしれないから簡単に説明する。ボクたち人間は、植物が光合成をしてくれているから、毎日呼吸して生きていられる。もし寝て起きて植物が全て枯れてしまったら、ボクたちは酸素ボンベを手放せない生活を送るしかないのだろうか? 専門家じゃないから分からないけど、酸素がなくなってしまうなら生きていくために酸素を作る必要がある。人間は植物によって生かされている。人間だけじゃない。地球上の全ての生物は自然の中で生きており、自然を支えているのが植物だ。なかなかお礼の言葉が言えてなかったから、ここで地球にいるすべての植物にありがとうと言わせてください。

再び図書館へ向かった話

返却し忘れた絵本を一冊だけ持って徒歩15分程度の道のりを往復した。本当なら自転車に乗りたかったけど、20分後には雨が降るという天気予報を信じた。

歩きながら、夜の住宅地でも目を引く対象は必ず存在することについて考えていた。デコレーションされたツリー、玄関先のプランター、爆音・ノーヘルで悠々と道路の真ん中を走るバイク。バイクの音は、誰かに自分の存在に気づいて欲しい叫び声のように聞こえる。駐車場の前を通ると、防犯用の超音波が耳を突いた。ボクが駐車場の前を通り過ぎたあとに、車が同じように通行すると再び超音波が鳴り響いた。頭がギンギンした。それなのに帰り道も同じ超音波を聞いた、いや撃たれに行ったと書いた方が感覚的には近い。そんな嫌な音だった。写真が分からないなと思い始めたときは、楽しいことを意識しないとどんどん塞ぎ込んでしまう。気を付けよう。

静岡でうなぎパイを買い忘れたことを昨日からずっと悔やんでいる。これも気を付けよう。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
来月も素敵な写真生活をお過ごしください。

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1年前の写真エッセイです。読み返してないけど、1年前はどんなこと考えてたんだろうな。

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