チョコチップとピーナッツバター
昨晩、哲学研究者の永井玲衣さんの新著が発売されていることを知り、朝から本屋さんまで買いに行ってきた。スヌーピーの漫画はこれまでにも何度か読んでいるから知っているエピソードだけれど、忘れているものもあるし、何より永井玲衣さんの解釈と一緒に1テーマずつゆっくり考える時間は、ゴールデンウィークを有意義なものにしてくれそうな気がする。翻訳は谷川俊太郎さんが担当している。この名を聞くと、小学生の頃に教科書に載っていたスイミーを思い出す。
タイトルは「同時にふたりのおんなのこを愛するなんて可能かなあ・・・」というチャーリー・ブラウンの問いに対して、スヌーピーがふたつ愛したことのある例として出てきている。このやりとりに対して、永井さんがコメントを書かれている。少しでも気になると思ったら、本屋さんで立ち読みして欲しい。他のページを見て、落ち着いてじっくり考えたいなあと思ったら、ぜひ本棚に迎えてあげてください。
考えながら読み進めるのって難しいですよね。だからボクはnoteに思ったことをつらつらと書き出すことにしました。見当違いなことを書いて、「何を書いてるの?」と思われるかもしれないという怖さは少しあります。だけど、ボクが書いたことに対してもしかしたら、「わたしはこう思います」とコメントをもらえるかもしれません。永井さんの哲学対話では、「よく聞く、偉い人の言葉が絶対ではない、人それぞれにしない、正解を出そうとしない、問いが増えていくことを楽しむ」ということを仰られているので、このnoteでそんな体験ができたらいいなと思う。(きっと誰からもコメントがくることはないだろうけど)
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「同時にふたりのおんなのこを愛するなんて可能かなあ・・・」
ボクには、2台のカメラを同時に愛することはできなかった。新しいカメラを買いたくなっても躊躇し続けているのは、愛しているカメラがあるからだ。ボクが見た景色を共有したいのは君だけだ。君が見た世界をボクは見たい。他のカメラしか持ってなかったとき、どうしても君が見たらどう見えたのか考えてしまう。
恋は下心、愛は真心と、小学生くらいの頃に初めて聞いた。真の心が2つあれば、2つの対象を同時に愛することも可能なのかもしれない。好きな写真集をいくつも挙げられるのは、「好き」だからであって、「愛する写真集は?」と問われたら、ボクは答えられない。「愛する」のハードルがかなり高いんだと思う。言葉のイメージは、いつ定着するんだろう? 全ての単語を国語辞典で調べてことはないから、これまで生きてきた時間の中で、言葉に触れながら定着していったんだと思う。育ってきた場所、関わってきた人によって、言葉の印象はきっと異なる。ボクの「愛する」と、誰かの「愛する」は同じものであるとは考えにくい。
「愛する」って何なんでしょうね。
写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!