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好きな写真について #1

こんばんは、平井です。

毎日同じテーマで写真についてnoteを書いたら、どんな内容になるのか興味があるので書くことにしました。12/23という文字列を見ると、天皇誕生日だから休みという感覚にまだなってしまいます。生まれてからほとんど休みだったからもう仕方が無いと諦めています。有給使えば休みにできますからね。令和4年の天皇誕生日がいつなのかボクは知りません。

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昨晩、眠気と戦いながら選んだテーマは「好きな写真」。散々いろんな人が語ってきたテーマにあえて突っ込んでいく自分が好きだ。テーマを決めた途端に、自分がどんな写真が好きなのか、分からなくなる。おもしろい! このテーマにして正解だった! 未来はきっと明るい! LEDで照らせば数万時間は消えることなく、照らし続けてくれるのだから。暗くなったときには半永久的に消えないランプが開発されているはずだ。便利なものをどんどん作れば作るほど、不自由を求めてしまう人類が好きだ。愛さずにいられない。好きな人には好きだと伝え、嫌いな人にも好きだと伝える。偽りの愛は、偽りだと気付かれなければ真実の愛になるのか。なることもあるだろうし、ならないこともあるだろう。好きじゃなくても、好きだと思い続ければ、好きになることがあるくらいなのだから。愛と好きについてはまたいつか書きたい。今日からは「好きな写真」について書きたいのに、なかなか本題に入ろうとしないのはなぜだろう。不安があるのだろう。他の人は、もっと深く考察していたと思われるのが怖いのだろう。そんなもの捨ててしまって、2022年の最後に、ボクが思うように「好きな写真」について自由に書けばいい。愛されるより愛したい。

布団の中で寝ながら考えていた。好きな写真と、良い写真はイコールではないと。たとえば、青山で開催された写真展でおじいちゃんとおばあちゃんが笑顔で写っている写真を見たら、ボクは良い写真だなと感じるだろう。でも、好きだとは思わないだろう。好きな写真家の濱田英明さんがお子さんを写した写真を見ても、良いなとは思うけど、別に好きだとは思わない。濵田さんがボクの好きな女優の写真を撮っていたら、この写真めっちゃ好きだし、めっちゃ良いと叫ぶだろう。おい、ちゃんと写真を見ろ。そう自分に言ってやりたい。ちゃんと写真を見ろ。ちゃんと写真を見ろ。何度でも言ってやりたいがこれくらいにしておく。夜が明けてしまいそうだから。

自分の「好き」の基準がいまいちよく分からない。毎日「好き」について書いていたら、いつか分かるときがくるかもしれない。ずっと分からないままかもしれない。なんて無駄な時間を過ごしていたんだと後悔するかもしれない。だけど、クソ無駄な時間になるだろうと思っていた雑草部で過ごした1年間はボクにとってかけがえのないものになっている。何事もやってみなきゃ分からない。毎日1000文字程度のコラムを書けたことは自信にもなった。

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写真が好き。良い写真だね。好きと良いのニュアンスの違い。

「なんで好きなの?」 
見たままを記録していて、そこへ行ったような気持ちにさせてくれるから好き。

「どこが良いと思ったの?」 
窓から差し込む光がキラキラして美しい場面を切り取っているから良いと思った。

上手く区別できるかなと思ったけどそう簡単ではなさそうだ。窓から差し込む光が綺麗だからこの写真が好きとも言えるし、そこに行ったような気持ちにさせる魅力があるから良い写真だとも言える。好きは主観的、良いは客観的。そんな一言では終わらせない。

「あなたのことはとても良い人だと思う。だけど、好きにはなれない。」

「あなたのことが好き。だけど、あなたは良い人じゃない。」

こんなセリフを口にするような場面を想像しながら、「あなた」を「目の前にある写真」、「人」を「写真」に置き換えてみる。好きだけど、良いと思えない写真って、どんな写真だろうか。ある写真集で蝉の死骸を見たとき、写真は好きだけど、良いなとは思えなかった。きっとこの写真が撮られたときに誰かが悲しんでいたかもしれないから。僅かな時間を懸命に生きたであろう蝉。蝉に感情があるのかは分からない。だけど眠りを妨げるほどの大声でコミュニケーションをとっているのだから、相手に興味をもって欲しいという欲求はボクと同じように存在するはずだ。その共通点がボクに好きと思わせ、終わりを迎えた姿を良いとは思わせなかった。もし、ボクが彼の懸命に生きる姿を見ていたなら、死骸を写した写真を「好きだし良い写真だ」と見守れたかもしれない。

好きや良いは、時間や状況によって変化する。考えようとしているテーマの厄介であり、おもしろい部分だ。たぶんググればいろんな意見が出てくると思う。それらを読んで、同じだとか、ちょっと違うと批評するようなことをしても、ボクの血にも骨にも肉にもならない。写真を撮るのも同じなんだけど、一度自分でしたことは経験として記憶に残るんですよね。誰かが時間を費やして導いた結果を何も行動せずに見てしまうと、程度の差はあれ影響を受けてしまう可能性がある。できる限り綺麗な状態で取り組みたいから前例は見ない。すでに読んでしまっていて、記憶の奥に眠っているかもしれないものが、何かのキッカケで思い出されたときは、喜んでそれを受け入れる。

もし誰かと今後同じテーマについて話すことがあれば、似たようなことを考えていることが確認できたら、違ったアプローチができたら楽しそうだ。思考を深め、1人じゃ辿り着けなかった場所へ行けるかもしれないから。回り道ではあるけれど、ゆっくり「好きな写真」について考えてみよう。結局、長々と書いてきたけれど、全然整理できなかった。

好きになれることは、幸せなこと。2023年はたくさんの「好き」に出会いたい。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!