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週末フォトグラファーの現状について 11

こんにちは、平井(@yuji87)です。

近況報告

先日、家にStartup Guide Japanという雑誌が届きました。その名の通り、日本のスタートアップ企業を中心にまとめられた本です。丁度1年くらい前に「大阪の企業を撮影してくれないか?」と英語のメールが届いたのがキッカケで、10企業ほど撮影させてもらいました。このとき撮影した写真が掲載されており、日本の取りまとめをしている方から、「良かったら1冊いかがですか?」と連絡を受け、「頂戴します!」という流れでボクの手元に雑誌がやってきました。

PDFデータは先にもらっていたんだけど、実際に雑誌で見るとボクよりも家族の反応が良かったです。ボクが撮影した写真や、Photographerの一覧が掲載されているページを見て、「いいやん!」と今まで素っ気なかったのが嘘のような言葉をもらいました。雑誌パワー恐るべし。

これがキッカケで動き出していたプロジェクトは今、ストップしています。再始動するのか、このままなくなってしまうか分からないので、久しぶりに自分から動くことに決めました。ターゲットは2025年の大阪万博。真正面から挑みます。

写真の解放について

ここからは、街を撮ることについて、今思っていることを書き連ねていきます。

誰でもシャッターを押せば写真は撮れる。それなのに世界中には、何人もの写真家と呼ばれる巨匠が存在する。何者にもなれなかった人との違いは何なのか? 「富、名声、力」、ワンピースのオープニングで語られるこの3要素の影響も勿論あると思う。でもそれ以上に「ただの変人だったのではないか!?」というのが、数年前に出た答えで今もこの結論は揺るがない。いつ何時もカメラを止めることなく、躊躇なくシャッターが切れる。「躊躇なく」というのは、ストリートで真正面から他人の顔を撮れるとは別の話であることを理解いただきたい。フレーミングや露出のことを指し、レンズの画角で世界を捉えられる感覚のことである。

デジタルカメラが存在しなかった時代に、ストリートを撮り続けていた写真家には本当に頭が上がらない。とてつもない感性の持ち主だと思うし、自分が如何に凡人であるかを叩きつけられているようで辛い時期もあった。でも、写真の面白さはそれを乗り越えたときに訪れる。2020年における写真発表の場は、主戦場がSNSになっている。写真コンテストや写真展もあるが、SNSで活躍している写真家の参加はまだまだ少ない。Canonが主催する写真新世紀の公開審査の様子を本当に少しだけ見たことがあるが、ボクには時期尚早もしくは、違和感しかなかった。真正面に写真家として進むのなら選択肢の一つにするのは良いと思う。ただ、一歩間違うと写真が嫌いになってしまうような世界がその先にあるのではないかとも思う。周りを気にせず自分のスタイルで挑めるのであればそれが一番理想的だろう。

街を撮るフォトグラファーの母数はこれからも増え続けるはずだ。X100Vのプロモーション映像が炎上したことを覚えている普通の人は、今はもうほとんどいないだろう。Instagramに同じような写真が溢れかえっている中で、そのまま同じスタイルを貫くのか、自分だけの視線を発信するのか? 承認欲求との葛藤をしながら模索している人も少なくはないはずだ。2020年12月、ボクのInstagramは淡々と写真を投稿する場にしている。反応が得られやすいような写真を意識して投稿している。理由は世界中が落ち込んでいるから、1人でも多くの日本に旅行することを目標にして今を乗り越えて欲しいと思っているから。逆にボクも、世界中のフォトグラファーの写真を見ると、落ち着いたらみんなに会いに行きたいと思わされる。ボクにとって写真はコミュニケーションツールであり、それを作品と捉えることが違和感の原因なのかもしれない。

今、このnoteに載せている写真はInstagramに載せることのない写真たち。見た人がこんな所に行ってみたいと思える写真ではなく、ボクが惹かれたありふれた風景だ。モノクロに仕上げたのは、色情報を抹消し、光の濃淡で表現されるテクスチャーを伝えたいから。数年前に街の中の幾何学模様ばかりをモノクロで撮り続けていたのも同じ理由だ。

スナップ写真には「人」を写さなければならないと思っている人もいるかもしれないが、そんなことはない。人を写すことで見る人に優しい写真にはなるが、撮影者自身がそれを望まないのであれば写さないことは一つの向き合い方になる。「人が写っていないけど、この写真からは人の気配を感じる」という写真を見た人はたくさんいると思う。経験的に知っているけど、それを発表することに躊躇している人は、周りを気にせず一歩踏み出すことをお勧めしたい。書きながらボク自身の背中を押しているようだ。Twitterで血の海を泳ぐのは心身ともに疲弊するので、1人で青い海を探すことから始めてみませんか? 1年後にTwitterで拡散されなくて良かったというnoteが書きたい。これだけ書いても拡散された後に迎えるであろう世界も想像してしまうから、煩悩とは本恐ろしいものである。

最後に

「撮れるけど撮らない」と、「撮らない」には大きな差がある。
「世界を知っているけど知らないと言うこと」と、「ただ世界を知らないこと」には大きな差があるように。

If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.

2020年も残り1ヶ月になろうとしていますね。

写真や旅のことだけじゃなく、今ボクが気になっていることをnoteに書いています!読んでいただきありがとうございます!