見出し画像

自分と社会に求めるモラルの原則

ホンマでっかTVに出演されている、武田教授の情報で「考えが足りないな」と打ちのめされた。

それがモラルについてです。

自分の成長、社会の成長双方を阻む幼稚なモラル

自分の中のモラルは、おそらく小学校の道徳授業の「嘘をつかない」云々、北斗の拳等の当時の漫画から得られたもので、本来はもっと成長をしていなければならないことだと感じています。

その1例に「人の嫌がることはしない」というものがあります。
まあ、これだけを見ると、「そりゃそうだ」と共感を得られそうですが、実は正しくありません。
誤解なきようにいうと、間違えでもありませんが…

この「人の嫌がることをしない」の裏には、「誰かの間違ったことに対しても、相手が嫌がるかもしれない」という忖度が起き、その相手の気づきや成長機会を奪うこと、ひいては社会の成長を阻むことにもつながります。

私は、自分の事をある程度理解をしてもらえている人には、そういった忖度をせずに伝える事をしていますが、それ以外には行動を起こさない事がほとんどでした。

そこを考え直し、
SNSの中で実名を使って、自分の課題を提起する事。
→リアル世界の関係者が見ていて、嫌な気持ちになるかもしれない
忖度なしに、相手に問題点と自分の案を伝える。
→揉め事になるかもしれない<より良くするためにどうするか
等々、モラルの考え方を変えて、行動も変えつつあります。

そのためには、自分に対しての正しい指摘についても、願っています。

最も大事なモラルの基準

次に、1番大事なモラルの基準。
上記のモラルに対する考え方を変えても、基準が間違っていたら、ただの口うるさい迷惑なひとですね。

この基準は大きく2つあると考えます。

1.他人に求めるモラル
 なんとなくではなく、はっきりとした基準が必要
2.自分のモラル
 他人に求めるモラル+自分だけのモラルで構成されます

画像1

今、ネットニュースやSNSに出る非難は少なからず「自分のモラルを他人に押し付けている」ことだと感じています。

これは「表現の自由」の権利があったとしても、その例外となる「他者の自由を侵害する」にあたるのではないかと思います。

となると、重要なのは、「他人に求めるモラル」は何か?です。
「自分のモラル」は、他人に求めるモラルより厳しければ、個人の自由です。

他人、自分に求める共通のモラル

それは、リアル、バーチャルな環境で適用される、法令や規則です。
その環境に於いては、それに準じた行動をすることがモラルだと言うことです。
当たり前ですが、これを気付かされた時に、ガーンという衝撃を受けました。

なんとなくじゃありませんでした。

日本国内であれば、日本国憲法からの法体系
会社員であれば、社則
交通機関を利用しているのであれば、そこのルール
SNSを利用しているのであればそこのルール
となります。

新幹線のリクライニング

一時期、新幹線のリクライニングシートの声がけ「するべき」「しなくても良い」がネット場で賑わっていましたが、本来はJR東日本やJR東海等の鉄道会社ルールに基づくことが正しいと思うのですが、簡単にwebページで検索しても見当たりませんでした。

「譲り合い」という曖昧な状況だと思うのですが、これでは車内で起きる小競り合いは無くなりそうもありませんね。
おそらく、どちらかに寄ったルールを作ると、矛先が鉄道会社に向く事を恐れているのではないでしょうか。
このような、解決しないこともあるのは、仕方ありません。

ただ、ルールが明確に無い以上は、「人や物を傷つける事が無い範囲であれば、声がけは不要」だと思います。
声がけいただける人は、「優しいひと」という加点であって、声がけしない人への減点といった評価はしないという心持ちになる事が、モラルではないでしょうか。

なぜ原則という表現か

私の抑えられない行動への言い訳…

このモラルに反する事を自分でもしてしまいます。
上記の図の完全に外の行動。

車も人もいなければ、赤信号を渡ってしまいます…

このようなことも考え直しをし続けていきます。

よろしければサポートお願いします。サポートは、未来の学校づくりに役立てさせていただきます。