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人生に「。」をつけたい

どうぞよろしく世界。

今日、

とある有名な方亡くなられた。と報道があった。

私はその方に慣れ親しんだ世代ではなかったため、
不敬、とまではいかないが「ふーん」と思っていた。

このニュースに友情系などの少年漫画が好きな私の恋人は、こう呟いていた。
『ご冥福をお祈りいたします』
『どうぞゆっくり休んでください』と。

その瞬間にふっ、とあるフレーズが引っ掛かった。
「ゆっくりやすんでください」

それは
「死んだらゆっくり休める、休んでも誰も怒らないってこと??」


思えば、

今週は忙しかった。
次から次へと、舞い込むクレーム電話。
上司の指示は曖昧で、やり方は他の忙しそうな先輩たちの時間をいただいて形にしていく。
あまりの疲れに今日はエナジードリンクを流し込む。

私は今恋人と叶えたい夢があって、資金調達という名の貯金にいそしんでいる。
家計簿を付けて、サブスクはほぼすべて契約解除を行い。
昼は決まったワンコイン定食。ワンコインすら惜しくて食べない日もある。
好きだった洋服を見に行くこともやめた。
デパートに昼休みにウインドーショッピングするのもやめた。

と、おもえば財布を持ってふらりとゲーセンの前に通りかかると
気が付くと、散財している。
家計簿にあかいしるしで「無駄なお金 ゲーセン ○○○○円」と書き込む。

全部無駄。私の好きなことは無駄ばかり。

一番お金を使わないのは、家と会社だけをひたすらに往復すること。
ずっと。ずっと。ずっと。

そんな日常に降り注いだ「死」というピリオドは、
とてつもなく、幸せに感じた。


あれは、

いつからだっただろう。
いつでも自分の行動コマンドに「死ぬ」が追加されたのは。
上司にパワハラされた時??
就活がうまくいかなかったとき??
それとも、いじめられた果てに自分で自分に死ね、といった小学4年生のとき??

わからない。
でもいつでも私の行動コマンドには「死ぬ」が用意されている。

最近、

私のSNSのタイムラインに自死遺族の方のつぶやきが流れてきた。
仕事柄、そういった方々ともお会いすることがあるため、
淡々と眺めた。

気づいてあげられなかった後悔、おもいで。
そして、よくあるフレーズは
「来週は友達とこんな約束があったのに、来月はこんなに楽しいことがあって。準備も約束もしていたのにどうして」

ああ、そうか。

普通の人には「死ぬ」ってコマンドないんだ。見えてないんだ。
私たちにはあるありふれたコマンドは。いつでも選んでないだけで。
そこにあるのよ。
貴方とどれだけ笑っていても。思っていても。

いつでも選べるのよ。


あぁ、

つかれた。
もうやすみたい。

もうやめたい。なにもかんがえたくない。
みらいなんかどうでもいいし
あしただってどうでもいい。

やすみたい
ゆっくりなにもおわれずに、なにもかんがえずに。

。でおわるなら
たった一画で終わるのに。

私が死んだら恋人は
「ゆっくり休んでね」って言ってくれるかな。
「もうなんにも考えなくていいからね」ってみんないってくれるでしょう??

死んだらやっと無責任な大人でいいんでしょ??


安心してほしい。
私にはいつも死のコマンドが見えているけど
勇気もない。手段もない。
誰かを巻き込む恨みつらみもない。

なにも変わらない。
ただ、コマンドに「死ぬ」とあるのを眺めるだけ。

ただ、それだけ。