【小説】きっと。【短編百合】
ぼろぼろになったドレスはわたしには似合わない。
体育の時間の間にはさみを入れられたセーラー服をゴミ箱から拾い上げながらわたしはそう思った。
お姫様から「かわいい」を奪い去ったら何が残るのだろう。フリルをふんだんに取り入れたドレスも不細工が着ればただのボロ布だ。
だからわたしはリップを塗り、顔を作る。本来のわたしが見つからないくらいの「わたし」を作る。
「わ、ぶっさ」
美織姫香に素顔を見られたのは、学校の裏庭だった。頭上からは笑い声、わたしの二枚目のセーラー服はかけられたバケツのぬるま湯でびちょびちょで、メイクも崩れている。水でも崩れないと謳う化粧品もぬるま湯には勝てなかった。そんなわたしの崩れた顔を彼女はわざわざ覗き込んで言ったのだ。不細工だ、と。そんなの自分が一番よく知っている。
「ぬるま湯でも風邪ひくからさっさと着替えなよ」
姫香はわたしの頭の上のハンドタオルを置いて去っていく。足元だけの姿を見送り、下を向いたまま頭の上のタオルを手に取るとそれは有名な姫系ブランドのハンドタオルだった。ムカつく女だ。
美織姫香と言う人間はその名に引けを取らないほど美しい、と言うのがやっかみを抜いての周囲の評価だ。艶やかでよく手入れのされた黒く長い髪、マスカラやカラコン要らずの印象的で大きな瞳、熟れた桃のような頬と唇の色はかわいらしさを助長させ身長は女の子らしい服装が似合うほどほどの小ささ。化粧が特技のわたしからみて、だから確実だが化粧はしていない。素でその可愛さをひっさげているお姫様。なのに口だけが悪くているもひとりでいる。
わたしはその正反対の人間だった。不細工なのを化粧で隠して、スタイルが悪いのをあの手この手でよく見せていた。友達も多くなきゃいけないと思って無理にカースト上位に取り入った。が、このざまだ。イジメの主犯である元友人の彼氏、その後、わたしの彼氏(もう別れたが)に収まった男に、素顔の写真をばらまかれた。元友人に彼氏の素性を言っていなかったのもあいまり、友人の彼氏を化けの皮を使って奪ったと誤解され、今まで友達だった人間からおもちゃにされている。中学三年生、あとすこし我慢すれば受験で嫌がらせも無くなる。不登校なんてことは親に申し訳なくてできないのでわたしには耐えると言う選択肢以外なかった。
そこに姫香が現れた。
ファーストコンタクトがそのハンドタオルの件。後日、わたしはそれを洗って彼女の元へ持っていった。「ありがとう」と一言添えて。なのに姫香は言ったのだ。
「ああ、あげる。あんたの方が似合うし」
「……いやみ?」
わたしの化粧は姫香の様に可愛らしくない。自分を強く見せる為のわたしの化粧は所謂ギャルに近いもので、例えるならば色として原色に近い。パステルカラーのこのピンクのハンドタオルは似合うはずがないのだ。
「どうとでもとって。要らなかったら捨ててくれていいよ」
「あんた、可愛いからって調子乗って……」
「姫香」
「え?」
「あたしの名前。美織姫香。姫香って呼んでいいよ。って言うか呼べ」
それから姫香はわたしの傍にいるようになった。
「あんたと昼食べたくないんだけど」
「弁当捨てられたいなら他の場所でどうぞ」
「いやここわたしの席」
理由は分からない。ヒーロー気取り? 人と関わろうとしないこの女が?
……ありえないな。
姫香といると嫌がらせを受けない。姫香自身が周りから遠巻きにされているからだ。男子は話かけることも恐れ多い、女子は姫香の気が強すぎて関わりたくない、酷いことを言われて傷つきたくないから。姫香は人が傷つく言葉を平気で言うような女だ。
「この学校の奴ってみんなくだらない。イジメとか何が楽しいんだか。教師も動かないし」
「わたしが不細工だからでしょ」
「ああ、あんたたまにすごい顔するもんね」
「いや顔のつくりの問題だけど」
わたしがそう言うと、姫香はサンドイッチを頬張りながら言う。
「地味顔なだけじゃん。あと細部に難がある」
「それを不細工って言うのよ」
「それをその顔に出来るならすごいと思うけど。将来はメイクさんにでもなれば? あたしにメイクしてよ、したことないから」
「化粧要らずの顔でマウント取るのは楽しい?」
わたしの顔面は二時間かけて作られている。そのくらい手間暇をかけないと可愛くなれないのに、この女ときたら、ゼロ秒でこの顔だ。心底羨ましい。
「あんたってネガティブよね」
「不細工だからね」
「不細工」そう自分で言うたびに心が軋む。可愛くなりたい。美人になれるように人一倍努力も研究もしているけれど、わたしは美人じゃなくて「可愛くなりたい」のだ。姫香の様に。童話のお姫様の様に。
「……たまにぶっさ、とは思うけど不細工とは思わないよ、あたしは」
姫香がそう呟く。わたしはピンク色のピックを刺した肉巻きを箸で持ち上げる。もう姫香と以外ご飯は食べないから、好きなお弁当で好きな色のピックを使っていい。それがキャラに似合わなくても。
「どう違うのよ」
「自分で考えて」
姫香が珍しく遅刻してきた日があった。どうやら家庭の事情らしく、昼まで来ないらしい。わたしは久しぶりに平穏を得たと思ったのだが。
「お面被りの金魚のフン、今日は本体がいなくて寂しそうじゃん」
「……別に、好きで一緒にいるわけじゃない」
元友人がわたしの机に腰をかける。周りにはその取り巻きがわらわらと集まってきて、ああ、始まったと思った。
「不細工が可愛い子と一緒にいて惨めにならないわけ? ま、私はアンタと違って素でも可愛いから気持ちわかんないけど~」
「そう、それは良かったわね」
「……その余裕ぶってる不細工な顔、ほんとムカつく。アレ持ってきて」
元友人は取り巻きにそう指示すると自分の水筒を持ってこさせる。そうするとボトルのキャップを開けて、食べかけの弁当に中身をぶちまけた。びちょびちょになる弁当。それに頭を掴まれ顔を押し付けられる。顔面に弁当箱の縁が当たって痛かった。
「いッ……!」
「はっ、いい化粧じゃん」
そのままぐりぐりと顔を食べ物の中に押しつけられて息苦しい。ピックみたいなものが無かった上、全く手を付けていなくて良かった。もしかしたら怪我をしていたかもしれない。
「ほんと、その顔で生きてて楽しい?」
楽しいわけないだろ。こんなことされて。
そんな事もわからない元友人は私の無様な姿を写真に撮らせる。もう嫌だ。
「言っとくけど私らの方が傷ついてるんだからね。裏切られて、憧れてたのに」
「わたしは何も変わってない」
化粧をしたわたしも、してないわたしも、見せられないだけで全部わたしだ。中身は二重人格でもないんだし、少しも変わっちゃいない。なのに、彼女は自分だけが傷ついたような被害者意識満々で叫ぶ。
「死ね!」
上半身を思い切り蹴られ、バランスを崩して椅子から落ちる。床に身体が叩きつけられ、隣の机の脚に頭をぶつけた。
「……いこ、みんな」
気が済んだのか、正気に返ってやり過ぎたと感じたのか、彼女は場を去ってゆく。嵐が過ぎ去ったような静寂の後、それ以外の巻き込まれたくないが故に傍観者を貫いていた生徒がひそひそ話を始めた。
結局、知らない間に姫香に守られていたのだ。なんだそれ。何? 強くて、可愛くて、弱いものを守ってって童話の中のお姫様? そんなのわたしの理想じゃん。そんなのを意識するくらいなら虐められてた方がマシだ。
わたしは、姫香にはなれない。
「……あたしがいない間に酷くやられたね」
気がつかなかった。教室の再度の静寂に。
遅れて鞄をひっさげてきた姫香はしゃがみ込みわたしと同じ目線に立つ。そしてあの時のタオルハンカチを差し出すのだ。
「顔、汚れてるから拭きな」
「何? 不細工がさらに不細工って?」
「そんなこと言ってない」
姫香は真面目に答える。そしてこう続けたのだ。
「あたしはあんたのそういう自分を卑下すること言うの、好きじゃない」
かあ、っと頭が沸くのを感じた。私は横にあった空の弁当箱をひっつかみ、姫香に思いきり投げつけた。死ね、と思った。わたしの何がわかるんだよ。なんでももってるあんたに。だから叫んだ。
「あんたに分かるわけないでしょ⁉ わたしの気持ちを理解できない顔でわたしを理解しようとしないで!」
わたしは差し出されたタオルハンカチを投げつけ、立ち上がり近くの女子トイレに駆け込む。鏡を見たら化け物が写っていた。内面も、外見も汚い。
「……もう嫌ぁ……」
いじめはまだ耐えられる。
わたしは姫香と一緒にいる方が耐えられない。自分の足りないところがわかってしまうから。
お姫様になりたかったのに、わたしは。
わたしは、あのハンカチを取れなかった。差し出された手を振り払って、あまつさえ暴言まで吐いてしまった。
お姫様なんて程遠い、最悪の人間だ。
姫香はそれからも学校に遅れることが多くなった。運よく来れて昼前、そのほかは大体昼過ぎ。あんなことがあっても姫香はわたしの傍を離れなかった。一緒にいれる時は隣にいた。話したくないから話すことは無い。ただ、一緒にいた。
それでも姫香がいない時間の方が多いわけでいじめは加速していく。
「学校くんなよ」
「……目ざわりなら無視でもすれば?」
「コイツ……!」
滅多に使われない女子トイレの壁に突き飛ばされ、背中に痛みが走る。教室よりこうしてどこか人気の無い所に呼び出された方がありがたい。今日は教科書をごっそり持っていかれて返してほしければ来いとの事なので来てみたが、ここなら姫香だって気づかないだろうと考えたのだろうか。
「本当うざいわけ、彼氏もアンタのこと死ねって思ってる。俺は騙されたって! もう私達の汚点なの! アンタの存在が! だからもう学校くんなよ! 視界から消えろ!」
噂だが彼女は元彼氏とは元鞘に収まったらしい。わたしは今は興味もない。あっちから告白してきて、あっちから幻滅して、勝手な男だと思う。その点では彼女もそうだが。似た者同士カップルか。
「今日こそ二度と学校来れないようにしてやるから。そいつの制服脱がせて」
取り巻きが私を押さえつける。彼女は裁ちばさみを持っていて、今から何が行われるのか察しがついた。母親に買ってもらった制服。二枚の内一枚は切られてしまって着れなくなってしまったから、今着ているものをだいなしにされたら夏服の替えはもうない。
「ま、待って、きゃっ!」
押し倒され、スカーフを外される。数の暴力では叶わず、脱がされ、制服が元友人に手渡される。鋏が開かれた、その時だった。
「なにやってんの」
息を切らして女子トイレの入り口に立っていたのは姫香だった。どうしてここに、小さな私のつぶやきはハッキリした彼女の声で返される。
「片っ端からクラスの人間に聞いた。で? この状況はなに?」
「それ、は」
しどろもどろになりながら元友人が口をもごつかせる。流石に度が過ぎている自覚はあるのだろう。
「っていうか、美織さんこそ何? 私達グループと関係ないよね? 口出す権利無くない?」
取り巻きのひとりがそう言うと元友人はハッとしてそれに乗っかった。
「そうよ! 少し可愛いくらいで! どうせ美織さんだってコイツのこと引き立て役だとしか思ってないんでしょ! だから一緒にいるんだ!」
それは一番聞きたくなかった言葉。お姫様が手を差し伸べる理由なんか一つしかない。それはわたしが弱いから。わたしが惨めで、自分を輝かせる飾りになりえるから。
——そうだ、よね。それしかないよね。
「ふざけんな」
わたしの不安をかき消す怒号。小さく華奢で可愛い身体からは考えもつかないその声にそこにいる全員が固まった。
「そりゃ、あたしは可愛いわよ。あたりまえじゃない! でもね、そのあたしよりも努力して可愛いを突き詰めてるこいつの方が何倍も可愛いの! 人の面笑ってるあんたたちみたいな不細工より何百倍も可愛い!」
「な……!」
「てか知ってる? お前の今の彼氏? あたしのこと好きで毎日連絡入れてくるんだわ。で、ここにあるのが今までのお前らの嫌がらせの証拠」
そう言って姫香はスマートフォンを取り出し何かを見せる。音声からは元友人の暴言が流れていた。ここからは見えないが彼女の蒼白の顔面から誰かに見せられたらまずいものなのだろう。
「な、なに? 脅しのつもり? 彼だってそいつの素顔笑ってたしきっと理解……」
「うっっさい不細工。だったとしてもテメ―の性根が不細工なのは変わんねーんだよ。大好きなバカ男に今までの動画送られたくなければさっさとこいつの前から消えろ」
「……ッ! このブス共!」
捨て台詞を吐き主犯が逃げると、取り巻きもそれに続いていく。残ったのはわたしと姫香と、床に投げ捨てられた切れ目の入っていない夏服のシャツだけ。
姫香はそれを手に取るとわたしの肩にかける。ごめん、早く来ればよかったと言って。
「……助けたつもり?」
「そんなことないけど。ムカついたからやっただけ」
「ムカつくのはあんたよ!」
気がついたらそう言っていた。違うのに、言いたいのはそうじゃない。助けてくれてありがとう、嬉しかったと、そう言いたいのに。
「可愛くって、ひとりでも大丈夫で、強くって、これ以上わたしの理想にならないでよ!」
だけどこぼれてしまう。あまりにも綺麗なお人形。それになりたいのになれない。ガラスケースの中のお人形ならよかった。なのに、姫香はわたしにこんなに近い。
いつだって、ガラスを越えてわたしの所に来てくれる。
なのに、わたしはこう思ってしまうのだ。
「姫香といると劣等感で死にたくなる……」
身勝手な劣等感。こんな女なんて頬っておけばいい。なのに姫香はわたしに笑顔を向ける。
「やっと名前呼んだじゃん。嬉しい」
馬鹿にされたと思った。気持ちすらも、受け止めてくれないのか、と。
「馬鹿!」
わたしはセーラー服を掴み、女子トイレから走り去る。助けてくれた姫香を残して。
こんな事をしたいわけじゃないのに。
その日は放課後になっても姫香が傍に来ることは無かった。
夜のインターホンで起こされる。母親の宅配便かと思い不用心に確認もせずにドアを開けると、そこには姫香が立っていた。
「あんた、なんで……」
「先生に聞いた。嫌われたままじゃ嫌だったから」
いろいろ問題だろう。プライバシーとか。そんな事を考えている間に、姫香は真剣な表情でわたしを視線でとらえる。
「美晴」
「……なに、認識してたの。わたしの事」
「あたりまえじゃん、じゃなきゃ声かけない。イジメられてる奴に関わるなんてめんどくさいし」
「いつから」
「入学してからずっと。美晴があたしの持ち物羨ましそうに見てた時から」
「な……!」
そんなのだいぶ前からじゃないか。あんぐりと口を開けて驚愕するわたしを見て、姫香は少し元気な下げに笑った後、口を開いた。
「親がさ、お姫様みたいな子に育ってほしかったんだって。あたしに。でもいくら面が可愛くてもあたしはちょっとお姫様の格好は好きになれなかった。でも母さんはあたしのことをどうにか矯正したくって身の回りのものお姫様ちっくにしたがっててさ。そんな作られた見た目に寄ってくる奴らになんて興味ないからひとりでいた」
入学時から後ろの席で窓の外を見ていた姫香。彼女はそんな事を想っていたのか。中学生なのに、どこか大人びた彼女の危うさはそこの内心から来ていたのかもしれない。ずっと気になっていた。触ってしまったら壊れてしまいそうなガラス細工をフリルやリボンで飾ったお姫様みたいな子。あんな女の子になれたらいいのに。せめて物だけでも同じにして見たかった。少しでも近づきたくて。
「美晴はずっとあたしのこと羨ましそうに見てたね。本当は可愛いのが好きなんだろうなって、知ってた」
バレていたのか、そう思うと途端に恥ずかしくなる。
「だからいつか、仲良くなれたりしたらあげたいなって思ってたの。なんでも。欲しいって言うなら全部。その時の顔が見たくって」
セリフだけ聞いたらまるでお姫様から平民への施しだ。だけどわたしはこの子が伝えるのが得意でないだけで、ちゃんとわたしの事を想っているのを知っている。
「可愛いものに囲まれて喜ぶ顔が見たかったんだ。……転校しちゃうからもう見れないけどね」
「え……」
「お嬢様校、遠くのね。寮付きの所で直してもらうんだって、ガサツなところを」
姫香は引き攣った笑顔で言った。
「中学生って面倒だね、好きに生きることも出来ない」
痛々しい笑顔はわたしの心まで引き裂かれるような感覚になる。
「だから会いに来たの、最後に美晴の顔が見たくって。あと、欲しいものがあって」
「欲しいもの?」
「美晴の笑顔と、あたしに似合う、かっこいいリップ、ここにないかな?」
おかしくって笑ってしまった。キザな女だな、なんて。
「親御さんは?」
「仕事。うち片親でキャバ嬢だから」
寂しい夜の狭い団地の一室。でもそれは今日は好都合だった。自室に姫香を連れ込み、ドレッサーに座らせる。引き出しにはお小遣いをすべて使って集めたコスメたち。わたしの宝物。
「どんな風になりたいの?」
「かっこいい、美人な女。美晴みたいな」
「かっこいいってどこが」
「嫌がらせされても折れないとこ、あたしはかっこいいと思ったけど」
そんなことを言われたら手を抜けないじゃないか。わたしは何本もあるティントリップの中からマットタイプの真っ赤なリップを選んだ。お姫様から程遠い色。イエローベースだとかブルーベースだとかはこの際関係ない。わたしは、姫香にはこの色が一番合うと思った。かっこいい、女の色。
それから、全体的な化粧をした。下地に粉を置いて、きつめのブラックのアイブロウ。チークは薄めに、マスカラはボリュームを盛ってアイラインははね上げる、髪はアレンジして短く見えるようにした。切ることは許されないと言っていたから。服は体系が同じだからそのまま着ない服を着せた。そうしたらお姫様なんてどこにも居なくて、そこには美織姫香そのものが立っていた。
「……かっこいい?」
「とっても」
「じゃあ次は美晴の番」
「……いいのかな、わたしみたいなのが可愛くなって」
ずっと思っていたこと。技術的にはいつだって理想の顔に出来た。でも、それをしなかったのは劣等感からで。こんなわたしが、そんな資格あるのかな、と。
でも、それを取り払ってくれたのも姫香だった。
「美晴は可愛いよ」
「え……」
「表情豊かで見てて飽きない。そりゃ、顔のつくりは自分的には満足してないだろうけど、それ以外の、貪欲な部分のとことか、あたしは好き」
はじめて、誰かに肯定された。
顔が全てだと思ってた。人は見た目が九割、不細工なわたしはどうにかして顔を作らなければならないと。でも、こんな人もいたんだ。
——わたし自身を見てくれる人。
それから、理想の顔面を姫香の前で作った。
姫香は化粧の最中、何も言わなかった。それでも化粧が終わったわたしの姿を見て「可愛いよ」と言ってくれた。それが心からのものなのは、短い付き合いでもわかる。美織姫香はおべっかが使えるほど器用な人間では無い。
姫香が着ていた可愛い服を着て、わたしの服を着た姫香が帰宅する時間はもう明け方になっていた。お互いの理想のドレスを着て、姫香を家まで送る際中、不意に彼女が「かわたれ時だ」と呟く。「なにそれ」と口に出すと姫香は得意げに言った。
「『彼は誰時』ってこと。明け方の薄暗さで誰かわからなくなる時間、でもね、あたしはわかるよ」
相手が美晴なら薄暗い所の中だってわかる、彼女はそう言い、わたしの手を握った。
だって一目でこの子と仲良くなりたいなって思ったもん、姫香は言う。出会ったのがきっと素顔の状態でも、彼女はそう言っただろう。わたしも、そう思いたかった。始めから仲良くできていればよかったのに。もっと話したい、もっと一緒にいたいなんてどんなに思っても公立の学区内の家間の距離なんてたかが知れている。わたし達はこれ以上一緒にいられない。豪邸の前で足を止める。美織の表札が掲げてあるそこに来て、わたし達のタイムリミットが訪れるのを知った。姫香は目を細めて寂しそうに笑った。
「今日はきっと雲ひとつない美しい晴れの日だよ、今日は美晴の名前にぴったりだ」
「……うん」
「ねえ、美晴」
手が、離れる。体温を分かち合っていた手がほどけてふたりからひとりになる。姫香はその一連の流れの後、惜しむようにもう一度わたしの手に触れようし、結局手を下ろした。
「あたし、美晴がどんなに変わって、誰だ、って言われても、こんなに顔が見えなくなるような空の下でも、あたしだけはちゃんと見つけるから。だから覚えてて」
手が離れたその代わり。
姫香はわたしの事を思い切り抱き寄せた。きつく、苦しいくらい。でも、その力の強さが泣きたいくらい嬉しかったのだ。
姫香も、わたしと同じ。本当は別れたくなんかない、と。そう伝わってくるから。
「素顔がどんなでも、どれだけ理想の自分と違うように見せてても、少なくともあたしにとっては美晴はちゃんとお姫様だってこと」
「……うん、ありがと……」
気がついたら嗚咽がこぼれていて、化粧を覚えてから初めて、化粧が崩れるのを気にせず泣けた。姫香は笑う。ぶっさいくな顔、と。笑ってた方が良いのに、と。
「リップのお返し。大切にしてね」
身体が離れ、あの時投げつけたハンドタオルが差し出される。あの日に頭に降ってきた思い出のタオル。
わたしには、お姫様みたいなフリルも、ピンクも、可愛いものも何も似合わないけれど、それでもこのハンドタオルだけは持っていよう。パステルピンクのリボンとフリルが付いた、お姫様みたいなそれは、たぶんこの世界で唯一、わたしをお姫様だと言ってくれた人からの魔法。きっとコスメよりも可愛い洋服よりもわたしを支えてくれる。
「じゃあね、美晴。元気で」
門を押し、姫香がわたしに背を向ける。わたしは自然と都の背に投げかけていた。
「姫香ッ!」
喉から勝手に出た声は震えていてかっこ悪い。でも。
「すぐに会いに行く。次はわたしが迎えに行く」
どうしても伝えたかった。
ガラスの靴が一足なら、右足はわたし、左足は姫香の分。お互いに迎えに行こう。どこに居たって、自分を認めてくれた人の為にどこまでも。
「……待ってる」
知ってる。現実はそんなに甘くない事。姫香に会うのは簡単では無い事。どう頑張っても、子どもであるわたしたちは、今の私達である限り一緒にいられない事。それでも、わたしは絶対に行く。どんなに時間がかかってでも。
だって。
「わ、ぶっさ」
あの時の姫香の声は、わたしを侮蔑するものでは無かったから。あの時迎えに来てくれた姫香は、確かに他の人とは違ってたから。不細工なわたしを見たって、ばかにしてたのは不貞腐れたわたしの表情で、わたしの顔じゃなかったの、ちゃんと伝わってたから。
だから、会いに行く。どこに居たって。
貴方がわたしを見つけてくれたこの晴れが、十二時を過ぎても続く限り。
朝日が顔を出したその瞬間、朝焼けに照らされた姫香の顔には涙が一筋零れていて、わたしはそれを、とても愛おしいと思った。
迎えに行くから。
そう呟いた声は朝の澄んだ空気に消える。姫香には聞こえているかわからないけれど、自分に言い聞かせるようにわたしは言うのだ。
きっと、迎えに行くからと。
(了)
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