【小説】六月の精霊【再録】

針谷恵、三十歳。無職。
死因、バイク走行中に水たまりで滑った事による頭部への打撃。
六月二十日、死去。
「ーーって死ねるかこんな事で!!!!!」
あまりの情けなさに飛び起きると、周りには医者や看護師が自分を囲っていた。曖昧な頭では理解が出来ないが、どうやら自分が目を覚ましたのは奇跡らしい。喜びながらもバタバタする医者達、泣き出す親兄弟、そしてよくわからん少年。
落ち着いて一人になった時には、日が暮れて面会禁止の時間になっていた。のに、まだ少年はベッドの脇でニコニコとこちらを眺めている。
「お前、誰だ?」
ずっと気になっていた。だって記憶の限りでは高校生くらいの少年は知り合いにはいないし(バイトもしていないのだから当たり前だ)親や医者がノータッチ、を通り越して総スルーなのから見ても、恵が事故った時の関係者とも思えない。だったらなにか。
すぐに恵の頭には一筋の電撃が過った。
「まさか……この部屋で無念に死んだ幽霊……?!」
「違います」
違ったらしい。少年は遺憾だとでも言うように頬を膨らますと遅めの自己紹介を始めた。
「僕はレイン。梅雨限定の、六月の精霊です」
「はあ?」
幽霊じゃなく精霊ときた。信じられない恵にレインは見せつけるように顔の前で手を振る。その手の先には見えるはずのない壁が見えて、彼の身体が半透明である事を証拠付けていた。
「他にも十一人いて全員コンプする旅に出ろとか言わねえよな」
「精霊は六月の精霊しかいません。だってほら、六月って雨が多いし休日無いし、いい事なしじゃ無いですか。だから神さまが僕たちを作ったんです。哀れな人間達に少しでも幸せを届けられるように」
「で?その六月の精霊がなんだって俺に?」
「幸せを届けにきたんです」
「はあ」
無職、金無し、保険無し。そんな自分に半端な幸せをくれても焼け石に水だと思う。ラッキー程度じゃなくて宝くじくらい当たらないと人生の起死回生はできないと思うのだが、彼の言う幸せとはどこまでが範囲なのだろう。
「で、その幸せって?」
「六月の精霊は二つの願いを叶えます。最初の願いは貴方の『死にたくない』残りは一つですね」
「はあ?死にたくないなんて願った覚えねえけど」
「言いましたよ。起きてすぐに」
『ーーって死ねるかこんな事で!!!!!』
そういえば言った気がする。もし、あそこで叫んでなかったら自分は死んでいたのだろうか。そう思うとゾッとした。いくら人生のどん底にいて、死にたいと思ったとしても、死と言う概念はいつだって怖い。
「そうしたらあと一つか。じゃあ金だな」
即座に答えると、レインは申し訳なさそうに眉を下げた。
「生憎、我々精霊は金品など他人の人生を不幸にする可能性のあるものについては権限を持ちません」
宝くじ一等が当たって人生大逆転からの転落という話は、やっかみもあるだろうが腐るほど聞く。つまりは人生を狂わす金や女は対象の範囲外という事なのだろう。だとしたら正社員になりたいとかはどうだろうかと一瞬考えるが、残り一つの弾丸をそこに使うのはなんだかもったいない気もした。
「それって保留してもオーケー?」
「六月が終わる三十日までなら大丈夫ですね」
三十日まであと今日を含めて数日ある。それまでのんびり考えよう。そう心に決めた恵にレインは不安そうに問いかけた。
「ですが、僕は恵様に一回憑いた精霊です。命令をいただくまでは貴方のお側にいなければならないのですが大丈夫でしょうか?」
「ああ、大丈夫大丈夫」
他人といることは得意ではないが、レインは一目見て不思議と一緒にいる事に不快感を覚えなかった。ショタコンなのか、はたまた人外だからか、知りたくない性癖の事は考えたくない。
「まぁ色々考えてみるからさ、ちょっと待っててよ」
と、ヘラヘラ笑って数日。
「……全く決まらない」
恵は悩みに悩んでいた。レインへの「お願い」が全く決まらないのだ。
「だって女も金もダメだろ?だったら思いつかないわ」
「そんな金・暴力・SEX!みたいな思考やめてくださいよ……。気を落とさないでください。ほら、気分転換に外でも行きましょう。丁度曇り空で過ごしやすい天気ですし」
「あぁ……」
痛む身体をおして外に出る。今日は退院日だった。恵の身体は右手骨折諸々となかなかのものだったが、歩けないことも、外に出れない事はない。比較的軽傷で済んだのは奇跡に近いと医者は言った。なんでも事故現場はそれは悲惨な有様だったとか。
「恵様は、腕が完治したらやりたいことなどないのですか?」
「やりたいことぉ?そうだな……」
恵は思考を一巡させて答えた。
「なにもないな」
「本当になにも?」
「あぁ」
会社は少し前に辞めた。原因は上司の不倫に、見て見ぬ振りをするのが限界だったからだ。不倫相手は仲の良い同期の女の子で、それを見ているのが辛かった。『奥さんと別れてくれない』『私は一番になれない』と愚痴を聞く度に不毛な事を、と思った。恋愛感情はなかった。それでも、一人の人間が堕ちていく姿は恵にはもう見ていられなかったのだ。それ以外にもあった気がするが、よほど不快だったのだろう。忘れてしまった。
「そうですか。じゃあ探しましょう!」
「なにを?」
「本当の幸いです!きっと恵さんにも見つかるはずです!」
「本当の幸いだあ?じゃあ聞くが、お前にとって幸せってなんなんだよ」
「勿論、一度憑いた方の願いを叶えて消える事です!」
「消える?」
「はい!梅雨の精霊は雨粒が干からびるのと同じように願いを叶えたら無になります。人間で言うなら死の概念に近いのですが……でも、それは精霊にとっては非常に光栄なことで、それが僕の幸いなんです」
「それは……」
本当に幸せな事なのだろうか。
口に出かけた言葉をつぐむ。
友人が上司と共にある事を選んだように、人には人の幸せがある。それをとやかく言う権利は自分にはない様に思えた。趣味嗜好が人によって違う様に、希望のある終わりだって人によって様々なのだ。それがいくら意味のないものだったとしても。
「じゃあお前の為にも探さなきゃな、願いってやつ」
「はい!」
久しぶりに帰った自宅は自分の部屋とは言えしばらく見ないうちに泥棒が入ったかと疑うくらい悲惨な有様になっていた。なにもない病室に寝泊まりしていたからかもしれない。久しぶりに見た自室はゴミ屋敷のように物が散乱しており、片手での掃除は何年もの月日を費やすレベルと言っても良いかもしれない。恵は掃除が苦手だ。
「なぁ、願い事なんだけど」
一瞬浮かんだ下らない願いを口に出しかける。レインはニヤッと笑って鼻高々に答えた。
「恵様がそれでよろしいのでしたら僕は構いませんが?」
「嘘だよ、うそうそ」
とりあえず寝床周辺だけでも片付けなくては。ぽいぽいとビニール袋にゴミを突っ込んでいくと、他のゴミとは違う硬い何かに指が当たった。
「……ん?」
木製らしいそれを引っ張り出してみると、それは写真立てらしい。そこにはめ込まれた写真の中では若き日の自分とレインによく似た少年が二人で笑っていた。
「……なんだこれ」
「貴方が願った事ですよ」
レインはふわふわと浮きながら横から写真を眺めている。
「本当は六月の精霊が叶えられる願いは魔人のランプよろしく三つなんです。貴方は一つ言いました。死にたくない。そしてもう一つ言いました。お前に似ているその少年の事を忘れたい、と」
「……本当にそれを俺が願ったのか?」
「はい」
だが、思い出せない。この少年の事も、それを言った日のことも。そもそもなんで、自分はバイクで事故なんか起こしたんだ?頭の中が思い出そうとすると痛む。
「その方の事、気になりますか?」
「……ああ」
忘れちゃいけない人な気がする。大事な人だった気がする。直感的なものだったが、恵は確かにそう思った。何より写真の中で並んで笑う自分とその少年が、誰よりもそれを証明していた。
「でしたら、身近な人に聞いた方がいいのではないですか?ご家族とか」
「ご家族……」
そういえば目を覚まして以来、家族には会っていなかった。三十路の一人暮らしの無職の男が頻繁に実家に頼るのもなんだか格好が付かないし、と遠巻きにしていたが、心配もかけた事だし顔くらい出してもいいかもしれない。
「……じゃあ聞いてみるか」
電車に揺られて数時間。何年振りかに帰った実家は記憶の中のものとなに一つ変わらなかった。
母親に心配かけてとどやされながらも本題に移る。
自宅から持ってきた写真立てを見せると母親は恵に向かって怪訝な顔をして答えた。
「雨宮さんとこの幸太郎くんじゃない。……あんた、覚えてないの?」
「幸太郎くん?」
「あんたがずっと家庭教師してた子よ」
反応の薄い恵に母親は驚いた顔で言った。
「あんた、本当に忘れちゃったの?あんなにショック受けてたのに」
「ショック?」
「幸太郎くん、去年自殺しちゃったじゃない」
雨宮幸太郎とは、教師と生徒の関係だったらしい。
元々自分が引っ越す前のご近所さんと言うこともあり、親同士の仲が良く、恵さんが良い大学に入っていられるなら是非ウチの子の家庭教師にと言う親同士の約束だったのだと。
当時の恵は趣味もなく暇していたこともあり、すぐにその話に飛びついた。幸太郎も十歳も上の男に大層懐いていたそうで、関係は長いこと良好だった様だ。
それが変わったのが一年前の六月。
幸太郎が自殺した。
理由は母親もわからないらしい。ただ、雨宮の父方が不倫をしていたと言う噂がその時期に飛び交っていて、それが原因ではないかと邪推しているようだ。
以上が、我が母親から聞けた情報。どれも自分が「雨宮幸太郎を忘れたい」と願う理由にはなりそうにない。
「線香とか上げに行かないんですか?」
「忘れん坊にそんな資格はねえよ。さ、ゴミ掃除の続きに帰るぞ」
帰宅してゴミの分別を始める。ペットボトルは木曜日、燃えるゴミは火曜日。燃えないゴミは……。片付けをしていくうちに小さなお菓子の缶が見つかった。
「なんだこれ」
「開けてみたらどうです?」
レインに言われるまま缶の箱を開けるとそこには大量の手紙が入っていた。ノートの切れ端から便箋までギチギチに詰め込まれたそれは箱を開けた瞬間溢れ出す。
そのうちの一枚を手に取ると、それは綺麗な字で書かれた幸太郎から恵宛ての手紙だった。
『めぐにいちゃんへ』
はじめの一行目にそう書かれた手紙を読み進めていく。数枚読み進めていくうちに、これは家庭教師時代からの密談なのだという事が察せられた。この時の恵と幸太郎はその内容から親にバレずに会話する必要があり、それに筆談を使ったらしい。
数枚目のある便箋に気になる文章を見つける。
『神さまのところへ行きます』
手紙によると高校生になった幸太郎は宗教のようなものにハマっているようだった。インターネットで名前を調べると有名な宗教ではなく比較的最近できた新興宗教らしいことがわかった。
「キナ臭いな……」
最後の手紙の日付は六月。この手紙を最後に幸太郎は自殺したようだ。享年二十歳。あまりにも早すぎる死だった。
「なんでお前に似てるんだろうな」
今更の様に写真と目の前の精霊を見比べる。二人は鏡写しの様に同じ姿で恵の目の前にあった。首をかしげる恵に、レインは幸太郎を指差して答えた。
「僕たち精霊には、容姿というものがありません。水に映る姿の様に取り憑いた方の大事な方、記憶に深く焼き付いている方の姿に映るそうです。それだけ、貴方さまにとって幸太郎様は大事な人だったのでは?」
大事な人。
そんな事を言われても思い出せない。
手紙を読んだって、跡を辿ったって何も。
どうして自分はこの少年を忘れようとしたのだろう。忘れることは本当の意味での死と同義だ。自分だったら大事な人のことを忘れようなんか思わない。
「なあレイン」
「はい」
だったら、やることは一つだけだ。
「俺はこの子のことを思い出したい。それって願いとして問題ないか?」
思い出したい。一度忘れたいと願うくらいだ、よくない思い出なのはわかっている。だけど、きっとこれは目を背けてはいけない思い出だ。このまま忘れて暮らしていたら、きっと後悔する。
「ええ。では最後の願いとしてそれを受け入れましょう」
レインはそう言うと、恵の額を人差し指でトン、と触れた。満足そうにレインは指先から泡の様に消えていく。
そこから洪水の様に流れ出してきたのは、最愛の人、雨宮幸太郎との大切な思い出だった。


『めぐにいちゃん?』
一目惚れだった。
中学生にしては未発達な身体、高い声、まあるく大きい目によく整えられた細い茶髪。
天使がいるならこんな容姿なのだろうと思えるような、雨宮幸太郎はそんな子供だった。
『毎週日曜日にこの子の勉強を見ればいいんですか?』
『ええ、休日にごめんなさいね。誰かが見てないとこの子すぐ脱走しちゃうんだから』
どうせ会社の休みの日など何もすることなんてないのだ。当時二十四歳だった恵は、幸太郎の母親の頼みに二つ返事で了承した。
『よろしくね!』
幸太郎は少しだけ頭が弱く、それが益々天使の様だった。汚れのない小さな子供。
『幸太郎、ここ間違ってるぞ』
『えっと……こう?』
『物分かりがいいな』
そう頭を撫でてやると照れ臭そうに幸太郎は笑う。
そんな素直な幸太郎に恵は日に日に淡い恋心を積もらせるようになっていった。
幼い頃、虐められた経験があったからだと思う。頭の少し足りない優しい少年は、どんな汚い自分も受け入れてくれそうで、恵はそれを期待したのだ。まるで、神に対するそれの様に、恵は心の中で幸太郎に傾倒していった。
中学生から高校生へ、高校生から大学生へ。
すくすくと成長していき、もう自分の助けがいらなくなった頃、滅多に鳴らない携帯電話が震えて着信を知らせた。人生の大半を見守ってきた思い人が苦しそうな声で助けを求めてきたのも、ちょうどこんな雨が多い季節だった。
幸太郎の家はプライバシーもない小さな家だ。だから文通を幸太郎から希望していたのに珍しいこともあるものだ、そう通話ボタンを押すと、スピーカーからは泣きじゃくる声が聞こえてきた。
『父さんと母さん、離婚するかもしれない』
電話口でその相談を受けたのは、六月の煩いくらい強い雨の日だった。スピーカー越しに聞こえてくる雨の音がいやに耳に焼きついた。
『父さん、浮気してたんだって』
恵はそれを知っていた。何せ、件の恵の上司こそ、幸太郎の父親だったからだ。同期と不倫をここ数年続けていて、それを知っていて恵は隠していたのだから恵も同罪と言えよう。その話題を出された時、心に重しがかかった様に気分がすぐれなくなった。
『ねえ、めぐにいちゃん。オレ、どうしたら良いかなあ。家族仲良くするのは、もう無理なのかなあ……』
恵は何も答えられなかった。気の利いた言葉一つもかけられなかった。だってここで慰めてどうなる?雨宮家の崩壊は自分がどうにかできるものではないし、家族の傷は他人で埋められない。上司の不倫を告発したところで、自分が飛ばされるか、雨宮の家にさらに亀裂が入るだけだ。
そうして誰にも答えを出してもらえず、追い込まれた幸太郎が出会ったのが『神さま』だった。
神さまに出会った時、幸太郎は救われたのだと言った。神様なら家族をどうにかしてくれるかもしれない。そう言って付き添われて紹介された『六月の会』は狂った思想に染まっていた。
『六月の雨の日、身を投げれば神様が水の中から身を投げた者を掬ってくださる。掬われた者は誰かを救う六月の精霊として身近な者の幸せの糧になれるのだ』
その演説を聞いた時、狂っていると思った。自殺教唆。莫大な金を払うことにより身を投げることができるシステムは馬鹿らしいとさえ思えた。
しかし、幸太郎は違った。
金のためにバイトを詰めて、挙句には売春まで始めたのだ。他の男に抱かれた後、疲れ切った顔で笑う幸太郎の姿を今でも記憶に色濃く覚えている。
『……もう諦めろよ、しょうがないんだって。今から何かしても変わることなんてない。事実は覆らない。それよりも自分を大切にしてくれ』
そう言った恵に幸太郎は暗い瞳で答えた。
『それでも神さまなら救ってくれるよ。命とお金と引き換えになんでも叶えてくださるっていってたもん』
全ては家族の為。大事な大事な宝物の為。
恵はそんな幸太郎を見ていられなくて、距離を置き始めた。家から距離のある場所に引っ越して、幸太郎に会わないように。メッセージも手紙も開封しなかった。一番側にいなければならなかったのに、日に日に狂っていく姿に耐えられなかったのだ。
そうしてしばらくして、幸太郎はこの世を去った。
六月の雨の日、電車のホームから飛び降りたのだ。
通勤ラッシュを避ける理性はあったのだろう。お昼過ぎにかかってきた電話を仕事の都合で取れなかったのを恵は今でも悔やんでいる。不在着信の記録だけが、機種変更が出来ない携帯に今も残り続けていた。
もし電話に出ていたら幸太郎は自殺をやめただろうか。
もし電話に出ていたら、思い直してくれただろうか。
もし電話に出ていたら、なんの心残りもなく死ねただろうか。
残ったのは一通の手紙だけだった。
わざわざ日付指定されてまで送られてきた手紙の封を開けると一枚の便箋が出てきた。
『めぐにいちゃんへ
ひとりにしてごめんね。父さんと母さんはもう無理だと思うから、もし、オレが六月の精霊になれたら一番にめぐにいちゃんの所に行くね。いままでありがとう』
幸太郎は、心の何処かでわかっていたのだと思う。家族がもうどうにもならないことを。
それでも信じて、信じて、信じて、最後の最後で諦めた。
『……だったら死ぬなよ……』
確かにあの宗教も一理ある。
死は救いだ。
だから幸太郎は死の先の幸福に向かって飛んだのだ。
だけど残された者はどうすればいい?
それからすぐに、オレは会社を辞めた。
一身上の都合。幸太郎が死んでからも不倫を続ける父親を見たくなかったからだ。
そうして一年経って、一周忌がやってきた。
あの日と同じ雨の日だった。
墓前にバイクで向かう途中、水たまりでスリップを起こしてガードレールに衝突。死んだ、と直感的に思った。そこで現れたのだ。白い衣服に身を包んだ幸太郎によく似た少年が。
オカルトなんて信じない。だけどその幻覚はあまりにも一年間夢にまで見たその人で。涙が出てきたのだ。今更どうして、電話に出れなくてごめん、力になれなくてごめん。頭から流れる血と共に溢れ出る懺悔に恵はたまらない気持ちになって呟いた。
「こんな思いするなら、アイツのこと全部忘れさせてくれ……」


「幸太郎……」
レインは、もういない。幸太郎そのものだったのだろうかどうかも願いを叶えてしまった今は確かめることはできない。
願いを叶えて消えて行く直前、レインは満足そうに笑った。
『人間で言うなら死の概念に近いのですが……でも、それは精霊にとっては非常に光栄なことで、それが僕の幸いなんです』
レインは願いを叶えて消える事についてそう言っていた。それならレインは、もしくは幸太郎は、幸せな最期を遂げられたのかもしれない。
死んだ人間は戻ってこない。死んだ人間が幸せだったかなんて他人には計れない。
「本当の幸い、か」
思い出せてよかった、と思う。
幸太郎の死は受け入れられない。きっと何年も何十年も後悔して、傷をのこしたまま自分はこれから生きていくのだろう。
だけど、思い出は側に寄り添ってくれる。幸太郎と過ごしてきた幸せだった日々はいつだって側にあってくれる。
それに目を背けないことが恵にとっての願いであり、償いであり、幸いだった。
幸太郎にとってきっと死は救いだった。多分それは自分自身も。だけど、自分は生きなければならない。
誰にも知られなかった幸太郎、死んで記憶の中から消えるだけの彼をを心の中で生かすことが出来るのは自分だけなのだから。
雨が降ればやがて雲は晴れる。雨続きだった空は晴れ、小さな虹が見えた。

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