気づかないことに氣づく世界

僕達は気という漢字を気というものに当てはめて思考するように癖を付けさせられている。

気とは本来は氣と書かれていた。漢字とは基本が象形であり、象形の中身は機能である。形を象っている内容は意味で意味は機能としてある。

であるなら本当は氣であるはずの気には本当は形として象られるはずの機能が隠されている。

気という形が隠している本来は象るはずの何かは氣という本当の意味と内容を象った漢字を知ると分かる。

隠された何かとは、米。

実は隠されるものは奥義に通じるもの。

奥義とは義がないとわからない。

正しく解くなら、それが正義だと理解出来る。

奥にあるのは、一に止まる義。それは羊としての我。

羊としての我は向こうに大きくなる為の米を隠す。

それは蓄えられた糧。

羊は大きくなって美となる。

美しさを知るのは犠牲となる我、失われる子羊だけである。

気ではけしてきづけない氣の世界。

それは正しさを与えることで我に求められる糧となる。

一は大きくなり天となる時、天意を無音で語る。

数は一からはじまり多くなることで九となる。九に口はある。

九を象るには丸を描くしかない。

探究し追求するなら求められるのは玉だときづくだろう。

宝とは何か、気づけないなら凶が現れるように世界は出来ている。

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