惟人

文藝と武術を探求して、真理の根源を希求する。 真理の追求から、魂(心)の法則を悟り、…

惟人

文藝と武術を探求して、真理の根源を希求する。 真理の追求から、魂(心)の法則を悟り、惟人学(惟式)を創始。

マガジン

  • 「神技」という迷妄の奥から

    不可能を可能とする心身操作を追求する。 惟式(身式であり武式)による護身術の教科書

  • 我(あ)は、思う。

    ふとした、気づきを放つ場。

  • 惟式、開かれる宇宙観

    真理を手にする公式学

  • 日常的な言の葉

    日々の生活で訪れる問いかけと答えに応えた言の葉を綴りたいと思います。

最近の記事

  • 固定された記事

混沌と化す世界

世界は、混沌と化していく。 隠されていた人間の本質が露わになる。 クズとクソとボケだらけの世界で生きるためには自衛が必要不可欠になる。 その中で死と向き合う者は真実に目を向けるしかなくなる。 惟式は答を示せる。 世に溢れる嘘を暴いて、公式を数式で示し真理を解く。 最近本当に酷い人間ばかりの中にいて、かつ、ただ立っていることを仕事にしてわかった。 惟式として公式としての真理で理解出来ていたことを、感情として、感覚を情報としてとらえて腑に落ちた。 一は正解。 一

    • 惟式草稿

      ここは惟式の教科書をまとめる為の草稿保存所 感情がどのようにして生まれるのかの仕組みが解けました。 感情とは感覚を情報から逆算して生み出すもので、情報を感覚器官が再現して感覚として報告されたもので、その感覚が正確である為には感覚として受け取った情報が正解である必要があり、正解を解く為には必死と懸命を必要とする。 必死と懸命を得るなら不満を得ることになる。 不満が出口とするのは衝動。口から出て来た不満は否となり気持ちを過度に揺らす。ここで音の能力を必要とする。必死は必四

      • 神武創生のことわり

        人は力に魅せられる、それは力が無いよりも有る方が有利だから。 有利の反対は? 有利の対語は何だろう、無理かな、不利かな。 武であろうと魔であろうとそれが術や法と続くならそこには技があるはずである。 形は素質、才能が占める。 であるなら技とは何か? それは動き。力の流れ。 僕は自分なりの形や動きを見つけるためにあらゆる武術の研究をしてみたが、武術以外にも舞踊や遊戯などもありとあらゆるという言葉に反する意味にならないようにありとあらゆるものを見たり、聞いたりしてみた

        • 正しさが生む勢の力

          惟式には真言がある。 惟式の真言とは、真実の言葉と認識することを可能とする言葉の呪文。 真言は理を基にして数式と重ねて体系化している。 始め(零)の真言 真言は零の位置から始まる。 零の真言とは 「求めよ、されば開かれん」 零とは無と似ている。 惟式は公式である。公式は万人に向けて開かれた式であり、貧富の差を必要としない。 持たない者が持つ為に開かれるのが惟式。 だから、惟式は零から始まる。 惟式で用いるのは音。 音とは振動の形。 振動を神道に変換し

        • 固定された記事

        混沌と化す世界

        マガジン

        • 「神技」という迷妄の奥から
          10本
        • 我(あ)は、思う。
          2本
        • 惟式、開かれる宇宙観
          6本
        • 日常的な言の葉
          1本

        記事

          振動からの浸透

          僕は、この世界の答は最終的に振動となって現れると考えている。 しかし、振動のままでは答は分からない。だから振動を音に変える。振動は音となるから。 言葉とは音である。意味と内容に合う音。 音という形の容れ物の中に、同じ音の異なる意味と内容を入れても、音という形は変わらない。 僕は答の源泉をそこに求める。 だから、感覚を的確にするには間隔を思考する。 時間の感覚を間隔にすると、源泉は厳選しなくてはならない。 時とは命の時間であり、命は生死の間に病がある。だから秒を思

          振動からの浸透

          気づかないことに氣づく世界

          僕達は気という漢字を気というものに当てはめて思考するように癖を付けさせられている。 気とは本来は氣と書かれていた。漢字とは基本が象形であり、象形の中身は機能である。形を象っている内容は意味で意味は機能としてある。 であるなら本当は氣であるはずの気には本当は形として象られるはずの機能が隠されている。 気という形が隠している本来は象るはずの何かは氣という本当の意味と内容を象った漢字を知ると分かる。 隠された何かとは、米。 実は隠されるものは奥義に通じるもの。 奥義とは

          気づかないことに氣づく世界

          気持ちにおいて

          心って何と聞かれたら、僕は感覚と答える。 感覚とは何と聞かれたら、覚えた感じと答える。 では何を感じて覚えたのか。 それは気。 気を感じて覚えたものが心の正体だと僕は考えている。 では感じて覚えた気とは何か。 答は、最も小さい、感じられる限りの何か。 人が知覚し得る最も小さい何らかの実感を気と呼んでいるのだと思う。 気は知覚し得る感覚器官を持てば実体として感知出来る性質のもの。 感覚器官が知覚し得る感覚を鋭敏に研ぎ澄まさなくても、誰でも普段から何となくは気を

          気持ちにおいて

          心の音

          日常的な言の葉の一回目として語るのは、最近僕が特に感じていることにしたいと思います。 それは言葉について。 僕は特殊な業務を行う省庁の出入管理を仕事としているので、挨拶や言葉をとても大事に扱っています。 僕は魂や心というものにとても関心があり、その存在と本質について思案することがとても多く、言葉についても納得のいく意味や内容を探して来ました。 僕が辿り着いた答えは、言葉は心の音というものです。 言葉は声で発します。では声とは何でしょう。 声とは心の音。 しかし、

          惟人学(惟式)

          惟人学(惟式)とは、僕があらゆる学問を学ぶ事で辿り着いた解答式。 惟人学(惟式)では、心身を用いて生命の源泉から与えられる問の答えを解いていく。 惟人学(惟式)はまず二つに大きく分かれる。 心式と身式。心式はまたの名を文式、身式はまたの名を武式と言う。 惟人学(惟式)で用いる解答式は理に適うことで導く。 惟人学(惟式)とは、人が生きるうえでかかる圧力を活かして路傍の石ころである花崗岩の人生を金剛石の人生に変える魔法の式。 自身の光は、自らを花崗岩から金剛石に変える

          惟人学(惟式)

          基礎的な理論ー動き

          惟式(身式であり武式)の理論の根本理論である動きについて解明する。 動きとは何か。動きとは、動くこと。 動くとは何か。動くとは、ある位置やある状態から他の位置や他の状態に移ること。 つまり、動きとは位置や状態を移すことを言う。 では惟式(身式であり武式)における動きとは何か。 惟式(身式であり武式)においての動きとは、必然により位置や状態を移すことを言う。 惟式(身式であり武式)にとって最も必要なものは必然であり、惟式(身式であり武式)は理から必然を紡ぎ、動きにする

          基礎的な理論ー動き

          基礎的な理論ー特殊な力(勁)

          特殊な力(勁)について。 惟式(身式であり武式)が発するのは特殊な力(勁)。特殊な力(勁)が発せれないなら惟式(身式であり武式)は出来ない。 なので、惟式(身式であり武式)の理論の初めは特殊な力(勁)についてとなる。 特殊な力(勁)とは何か。 勁とは力。しかし普通の力ではない。普通とは通常であり、普通でないということは異常であり、特殊ということ。 力と異なる勁はどこが普通の力と違うのかというと、勁は強いという意味の言葉で、つよく張ってたるみがない力。 解字だと巠は

          基礎的な理論ー特殊な力(勁)

          心身創質

          武術というか、護身というか要は自身の身を護るためにする動きを追求していくとある動きに突き当たる。 その動きがどんな動きかは想像して頂きたい。 例えば何々拳とか色々と名前があり、その名前はつまるところある決められた動きの形を繋げることで成り立っているものだが、その動きが本当に通用する動きかどうかは実際の場で試されないとわかりようもないが、それがどのような動きでもその動きの本質を捉えているならその動きが本当に通用する動きかどうかは判断出来ると僕は考えている。 僕は最低の線か

          心身創質

          惟式(身式であり武式)による基礎的な理論

          根本原理の解明 力。 力とは何か。 力とは、物事が変化する原因となるものを指す。 変化とは何か。 ある状態や性質などが他の状態や性質に変わること。 では解字から紐解く変の意味とは。化の意味とは。 変とは旧字では變と書く。 變の解字は会意。䜌レンは「絲+言」の会意文字で、乱れた糸を解こうとしても解けないさま。 変にもつれた意を含み、乱と同系のことば。變ヘンは、「䜌(もつれる)+攴(動詞の記号)」で、不安定にもつれてかわりやすいこと。 化は金文の左は倒れた人、

          惟式(身式であり武式)による基礎的な理論

          魔術を根本原理とした護身の技術ー惟式(身式であり武式)

          僕の創始した、魔術を根本原理とした護身の技術を惟式(身式であり武式)と言う。 惟式(身式であり武式)は魔術理論を方法論に変換することで技術を体系化し操体する。 戦術思考は至高を目的とする。 惟式(身式であり武式)は最弱を最強に変換することを目的として創始した。 理とは仕組みであり、自然の仕組みを数理的に解明することで時間と空間の仕組みを解く。 惟式(身式であり武式)は無理と無駄を排することで誤解から正解を説く。 惟式(身式であり武式)の基本は均衡の維持であり、自重

          魔術を根本原理とした護身の技術ー惟式(身式であり武式)

          心臓と心象

          心臓の動きは大きく二つに分かれている。それは吸うと、吐くという肺の動きに繋がっている。 呼吸とは吸うことを呼ぶことで、実質的には呼ぶのは吐くこと。人は吸い続けることも吐き続けることも出来ない。当たり前のことだけど吸った量以上に吐くことは出来ない。 動きとは肺にその力の源を持つ。 それは酸素という動力源がなければ人は動き続けることは出来ないからで、動き続けないと死んでしまう場所があり、それが心臓なわけで、だから心臓は止まることを赦されない。 つまり歩のように止まる少なく

          心臓と心象

          心を蔵するもの

          惟式の武術の始まりについて語る。 僕が本当にしたいことは武術で、武を極めるために文を窮めようとしている。 なぜ武術を極めたいのかというと、強くなりたいからで、なぜ強くなりたいのかというとそれは「弱い」から。 現在の僕は強いのか?と問われたら弱いと答えるしかない。 それは、弱さの追求から惟式の武術の追求を始めたから。 なぜ強さを求めているのに強さを追求せずに弱さを追求しているのか? それは僕が最も弱い人になることでしか最も弱い人を強くする方法や技術が身に付かないから

          心を蔵するもの