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悲しみの向こう側に【3.11】

※この記事には東日本大震災に関する情報や、当時の状況を思い起こす可能性のある内容が含まれています。ご了承ください。

どうも、ゆいぴです。
今回は震災について少し真面目にお話してみようかな、と。


当時のこと

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方を中心に東日本に大きな被害をもたらしました。今年で発生から13年が経ちます。この記事を読んでくれているあなたは、当時のことを覚えていますか?

不安な夜と星空

私は中学1年生でした。地震は英語の授業中に発生しました。クラスのみんなが「揺れてる?」とザワザワし始めたのも束の間、とんでもない揺れに襲われました。叫ぶ子、泣きわめく子、現場はパニック状態でした。

私が住んでいた地域は震度5強を記録。ただ、発生直後は情報が錯乱していたためか「震度7!震度7!」という大人たちの声が廊下から聞こえたのを覚えています。その後も何度か余震が続きました。

地域全体で停電・断水になったため、その日は下校を余儀なくされました。帰宅後もライフラインが復旧することはなく、暗い部屋で不安な夜を過ごしました。街中の電気が消えたその日の星空はとても綺麗でした。

流される“街並み”

地震発生から2日後、電気が復旧しました。復旧した瞬間って心から嬉しいんですよ。でも、そんな喜びを上回るほどの衝撃が私の目に映りました。

2日間テレビを見ることができなかったので、そこで初めてあの惨状を目にしたんです。最初は何を見せられているのかよく分かりませんでした。私たちは家族そろって呆然とテレビ画面を見ていました。知らない間に恐ろしいことが起きていた、しかもそう遠くない東北の地で。

石巻市へ

震災から5年が経ち、高校を卒業した私は宮城県石巻市に向かいました。震源から最も近い石巻市は、地震と津波の大きな被害を受けて死者は3000人を超え、行方不明者はいまだ400人以上いるとされています。

宮城県に親戚や友人がいるわけでもないし、ぶっちゃけ縁もゆかりもない土地でした。それでも18歳の私は石巻市でひとり、生活を始めました。

2017年 石巻市鮎川浜

目の当たりにする

まず驚いたのは、震災から5年経っているのに全くもって復興を感じられなかったことです。どこもかしこも工事中、建物があっただろう場所は更地、公共施設も住居も仮設。自らの目で、改めて被害の大きさを感じました。

その後、石巻市に住みながら多くの被災地を訪れました。宮城県は女川町、南三陸町、気仙沼市、東松島市など。お隣の岩手県は釜石市、宮古市など。

2018年 女川町女川駅前

身をもって知る

そして私自身も、東日本大震災の余震と呼ばれる地震に何度も遭いました。あまりにも多いので、震度3程度ならば日常茶飯事になっていました。それは私だけでなく、周りの石巻市民も同じだったように思います。

その中でもかなり大きく揺れたことが2回ほど。特に大きかったのは2022年3月の福島県沖地震。夜中にダラダラとしていたら急にゴゴゴゴ…と地鳴りがして、異変を感じた瞬間に立てないほどの揺れが起こりました。

鳴り響くサイレンと「津波がきます!」と警告するニュース番組。私はとにかく逃げなければ、とマンホールから水が湧き出て浸水する道路を車で走りました。アクセルを踏む足は、抑えられないくらい震えていました。

避難後、泣きながら母親に安否連絡をしました。石巻市に住んでいる以上、地震や津波への心構えは必須です。私もそれは心得ているつもりでした。それでもこんなに怖いんだ、と自然災害の恐ろしさを痛感した夜でした。

地震発生直後 友人とのLINE

ございん石巻

2023年3月、私は石巻市を離れることになりました。
約6年間お世話になった土地に別れを告げるため、改めて市内各所に訪れました。せっかくなのでいくつかご紹介いたします!

日和山公園

ここは石巻屈指の桜の名所です。公園内にある鹿島御児神社の鳥居は、テレビや新聞等で見たことがある方もいるかもしれませんね。標高が高く、市内を一望できます。東日本大震災の際は多くの市民が避難しました。

いしのまき元気いちば

石巻の特産品を買うならここ一択です。2階には元気食堂というお食事処があります。テラス席で食べる新鮮な海鮮は最高です。(眺めも最高!)

石ノ森萬画館

仮面ライダーやサイボーグ009などで知られる漫画家、石ノ森章太郎先生のミュージアムです。個人的に平成仮面ライダーのファンということもあり何度も訪れました。1番お世話になった気がします(笑)

石巻南浜津波復興祈念公園

東日本大震災の被害が特に大きかった南浜地区を整備してできた公園です。実はここには思い入れがありまして。私は石巻で建設会社に勤めていて、この公園の建設にも携わっていました。整備工事メインでしたが、完成した時は素直に嬉しかったです。

とにかく広い公園で、敷地内にはみやぎ東日本大震災津波伝承館という施設があります。また、震災関連の番組でよく目にする「がんばろう!石巻」看板も見ることができます。近くには震災遺構の門脇小学校もあります。

花は咲く

石巻に移住して、自分の目で被災地を見て、地元の方から直接お話を聞いて、各地を訪れて、やっと震災について深く知ることができました。

毎年3月11日が近づくと、震災に関する特集や報道がテレビで放送されますよね。地元の方の中には「この時ばっかり取材に来て…」と不快感をあらわにする方もいらっしゃいます。

それでも、年に1回だとしても、全国に向けて被災地のことを発信し続けてほしいなあと思います。風化させないことが1番の防災だと考えています。私も、3月11日にはSNSで被災地についての発信をしてきました。

そこで必ず言うことがひとつ、「石巻に遊びに来てね」。

遊びに来てください。石巻に、女川に、南三陸に、気仙沼に。
震災について学ばなきゃとか、被災地に貢献しなきゃとか、そんな考えはとりあえず置いておいて。旅行先の候補のひとつに、宮城県を。

2022年 南三陸町震災復興祈念公園

今年もまた3月11日がやってきます。
年々欠かさず14時46分には黙祷を捧げます。

私は故郷や家族を失ったわけではありません。それでも毎年この時間には涙が流れます。それは、災害で多くの命が失われた悲しみだけでなく、石巻市で過ごし、復興の歩みを傍で感じていたからだと思っています。

東日本大震災のみならず、年始に発生した能登半島地震やこれまでの災害で犠牲になられた全ての御魂が安らかでありますようお祈りいたします。

悲しみの向こう側に、花は咲くと信じて。

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