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がんと闘う母の記録を残します

母は末期の肺がんです。

これまでブログやTwitterでは母の病気についてあまり触れてきませんでしたが、かれこれ5年くらい闘病生活を続けています。現在50歳です。
最初にがんと聞いたときは驚いたものの、「最近はがんを克服した芸能人とかの話もよく聞くし、全然元気そうだし、まあ大丈夫だろう」という軽い気持ちでいました。進行度合いや病状について私から詳しく聞くこともしませんでした。

それがここ1、2年で病状はどんどん悪化し、「どうやら母はあまり長く生きられないらしい」ということを知りました。
忙しく生きているとあっという間に過ぎていく日々の中で、母が病気と闘いながらも懸命に生きている記録を残さなければと思いました。

人間は忘れていく生き物だから。
特に私は記憶力が本当に悪いので、これは自分のための記録です。

抗がん剤治療

がんが見つかってからまず手術を受けました。
しかし手術後も転移がみられ、抗がん剤治療に移りました。

ドラマなどでは副作用で髪の毛がすべて抜けてしまう描写がよくありますが、抗がん剤とひとくちに言っても薬の種類や量、相性によっても脱毛が起こるかは個人差が大きいそうです。
母は治療に向けて医療用ウィッグや帽子を買い揃えていましたが、しばらくはほとんど出番がありませんでした。



脳転移

2018年に母のがんは脳に転移し、専門的な治療(ガンマナイフ)を要するため県外の病院に数日間入院しました。
脳に転移していると聞いたときはさすがに心配しました。
このとき聞いた話だと5年生存率が30%とかなんとか言っていたような気がします。信じたくなかったのであまり覚えていません。

12月に初めて母と2人で旅行に行きました。
行き先はグアム。2人とも初の海外旅行でした。
このときは母もまだまだ元気だったので、バナナボートに乗ったりパラセーリングしたりと、思いっきりアクティブに遊びました。

髄膜転移

2019年10月に髄膜への転移が見つかりました。
髄膜は脳を包み込んでいる膜で、ガンマナイフでも治療ができない場所だと聞きました。

薬の効き方や進行速度も個人差があるので一概には言えませんが、母が主治医に聞いたところによると(主治医の経験則上)余命は「3ヶ月」
進行すると脳神経障害(痴呆のような症状)も出る可能性があるらしい…と。
もしそうなったら眠らせてくれと母は言いました。

母の前ではただただ頷くことしかできませんでしたが、帰ってからしばらくは涙が止まりませんでした。

副作用

10月から薬の種類が変わりました。(詳しい名称などは分かりません)
それまでより強い抗がん剤で、その分副作用も強く出るそうです。

ずっと行きたがっていた沖縄旅行を11月に行こうと約束しました。
しかし新しい治療の副作用が思っていた以上に辛く、治療の後1週間ほどは食事も吐いてしまい寝たきりの状態。
これまでずっと前向きだった母もいつになく弱気になっていました。
日程の相談にも「旅行に行けるか自信がない」と返されてしまい私もどうしたらいいのか迷いましたが、職場の店長にも相談して休みをいれてもらいました。

治療から10日経過した頃には徐々に体調が戻り、11月は無事に旅行に行くことができました。
強い薬になってから一気に髪が抜けてしまったので、ウィッグを着用。
といっても完全にツルツルではなく、生後数ヶ月の赤ちゃんくらいの毛量です。

ちょうど沖縄は雨の予報だったので行き先は大分に変更しました。
旅行中は少し体調が悪くなる場面もありつつも、おおむね良好でした。

帰ってくるとまた少し体調を崩していたようですが、またすぐに復活。
1月に家族で台湾旅行も計画していましたが、飛行機や海外で急に体調が悪くなったときのことも考え中止になりました。

症状の悪化

12月頭の治療から年末年始を挟んで1月の治療までいつもより期間が空いたので、新年は元気な状態で迎えられました。
大みそかの夜は久しぶりに母と同じ布団で一緒に寝ました。

いつからか「めまいがする」「足元がふらつく」ということで車の運転を辞めました。
これまでは自力で通院していましたが、私や父が休みを合わせて付き添いするように。
家事は同居している祖母がしてくれています。ただ祖母も足が悪いので昔のようには上手くいかないことも多々ある様子です。

1月には父と夫婦2人で県内の温泉地へプチ旅行へ行っていました。
私が昔コスプレで使った金髪や青髪の派手なウィッグでおしゃれを楽しんでいるようでちょっと複雑な気持ちになりつつも微笑ましく見守りました。

旅行中は元気なのに旅行から帰ってくると体調が崩れるのはやっぱり精神的なものも影響するのかなんなのか、ばっちり体調を崩して寝込む母。

ある日の朝、祖母から「母の体調が悪いから帰宅して」とLINE。
仕事まで時間があったので実家に立ち寄ると、頭痛にうなされる母の姿。
苦しそうな母を見るのは本当に辛かった。

落ち着いた頃職場に向かいましたが、「心配だろうから帰っていい」というありがたい声に甘えてその日は休みをもらって母の側にいました。
ちょうどその後もともと2連休だったので昼間はずっと実家にいることにしました。

それからも仕事前、仕事帰り、休日、できるだけ時間があれば実家に寄るようにしています。
今母はほとんど寝たきりで起き上がっても自分の体重を支えきれずにフラフラと歩いている状態です。
食事もやっと食べても吐いてしまうことが多く、一気に痩せてしまいました。

これが副作用によるものなのか、病気そのものによるものなのか、わたしには分かりません。
先日の通院で現在の症状などを主治医に訴え、母は入院することになりました。


これからのことは全くわからないけど、どんな小さなことも忘れないように記録に残していきたいと思います。

桜が咲いたらお花見に行こうね、6月になったら紫陽花も。

今の私にできることは母の側にいること、できるだけ希望を聞いてあげること、自分の人生を精一杯生きること。




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