京都公演覚え書き その③ 本堂に舞台照明?
それらしい舞台「装置」は不要
公演会場となった法光寺。その本堂が建てられたのは昭和12年(1937年)とのこと。
この物語の舞台は「バラックに毛が生えた程度の簡易住宅」の室内ですから本公演では“それっぽく見せるための工夫”がほとんど要りませんでした。
舞台装置を置かずとも本物の障子・畳・板戸のしつらいが「ザ・和室」の空気感を醸し出してくれています。
この空気感が観客を昭和20年代の“簡易住宅”へ誘(いざ)なってくれるにちがいない。あとは演者を照らす照明のことを考えるだけで済みました。
舞台「照明」は要る?
本堂の既設の照明は、室内をまんべんなく照らす天井照明だけ。いかにも劇場らしく演者をきわ立たせてくれることはありません。しかも舞台の高さは畳1枚分のみ。
そこで舞台と客席を、光の明暗の差で区別する必要があると考えました。
光の方向も今回の芝居に適ったものにしなければなりません。
既設の天井照明の光は上から下に向かうのみ。本公演の演者は台本を手にしたまま演技しますが、舞台上を移動したり座ったり立ったり、身体の向きをさまざまに変えたりします。
演者の立ち位置や身体の角度が変化すれば、既設の天井照明だけなら台本の紙面に演者の頭の影が落ち、台本上の文字が読みづらくなる場面が生じてしまう。そのような弊害は予め除去しなければなりません。
そこで天井照明は使用せず、本公演に適した照明器具を運び込んで、さまざまな角度から舞台上を照らすことにしました。
家庭用スポットライトにひと工夫
電球はビーム球型のLEDライトを採用しました。
https://item.rakuten.co.jp/luxour/pr-nsx100/
ソケット側の器具は下記です。ライトの角度を自在に変えることができます。
https://item.rakuten.co.jp/beamtec/clipe26par38/
このLEDライトの特徴は次のとおり。
【メリット】
①100Vのコンセントで使用できて、火災防止安全装置として汎用品の漏電遮断器を使用できる。
②1台当たりの消費電流が0.15アンペアであり、20アンペアのブレーカー1台で多数台つかえて、径の小さな曲げやすい配線で済む。
③光に含まれる熱が極めて少ないLEDであるため、ライト本体・照射物が高温になりにくい。
④舞台専用照明器具と異なり、家庭用であるため極めてローコスト(1台4000円以下)
⑤軽いため、スプリング式クリップやアルミ粘着テープで固定できる。
⑥ソケットの口金サイズがE26であり、使用できる器具が多い(汎用性が高い)
【デメリット】
⑦光の明るさを徐々に変化させること(フェードイン&アウトおよびフェードダウン&アップ)ができず、ONとOFFのみ。
⑧リーズナブルなLEDライトは照射する光の広がりを狭くすることができないため、照射物以外にも光が当たってしまう。
上記デメリット⑦があるため、当該LEDライトの採用は、物語に描かれた光の変化(下記4とおり)を舞台照明で作り出すことをあきらめたことを意味します。
イ.雷雲が遠ざかり、晴れ間が見える
ロ.夜8時頃の室内。裸電球1個のみ
ハ.雨降る正午過ぎ
ニ.午後6時頃の室内
上記デメリット⑧については、アルミダクトホース(100Φ)を用いて光の広がりを抑えることでカバーしました。
アルミダクトホースは蛇腹式で、スポットライト用レンズよりも安価。万が一熱を帯びても燃えたり溶けたりしません。
https://www.totaku.co.jp/product/hoses/index.php?m=ProductDetail&id=151
上記メリット⑤は、本堂の壁や柱に固定用ビスやボルトを打ったり傷つけたりせずに済ませることに貢献しました。
照明器具の取付と配線に本堂の長押(なげし)を活用。
長押(なげし)とは、鴨居に板をかぶせたような木材のことで、ハンガーを引っかけるのに最適なしつらえのことです。
高い位置からの光源も必要だったため、金属管で手作りした“つっぱり棒”を縦に据え付けて、この途中を長押(なげし)に引っ掛けて“つっぱり棒”の転倒防止を図りました。
稲光りのような光は必要?
この物語は雷鳴と稲光りで始まりますが、芝居屋ゆいまの公演では照明器具による稲光りに似せた照明の発光は不要と判断しました。
たしかに、輝度の高いLEDライトを用いれば稲光りのような発光は可能なのですが、もし発光したとしても本堂の天井、壁、床、そこにいる人々が一瞬明るくなるだけで、観客の眼には「稲光りに似せた照明を発光させた」と思わせるだけ。
稲光りに似せた照明を発光させずとも、スピーカーから重低音の雷鳴を響かせ、雷におののく美津江の姿を見せれば観客は光のまぶしさを想像するだろう。観客の脳裏に浮かぶその光のほうが、照明器具で煌々と照らす光より幾倍もまぶしく、万物の残像さえも白く消し去るおぞましくも強烈な閃光として観客の脳裏に残るであろう、と考えたのです。
つまり、芝居屋ゆいまの「読み語り『父と暮せば』」の舞台照明は、幕明けから閉幕まで一切変化をつけない“地明かり”だけにし、光の明暗は観客の想像に終始委ねることにしたのでした。
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