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京都ゆんゆん日記。7

5/20(金)
京都生活も、今日で最終日である。
こんなとき「かえりたくなーい!」と思うんじゃないかと思うだろう。
私もそうなるだろうなぁと思っていた。
だがしかし、実際に朝起きて一番最初に思ったのは「早く帰りたい」だった。

そうはならんやろ。
なっとるやろがい!!!
そう、なっとるのである。

一週間は、観光目的で滞在するには長い。
楽しいけど、普通に疲れるのだ。
一泊二日を短距離走とするなら、一週間は持久走である。一泊二日のスケジュール詰め詰め弾丸旅行に慣れていた私には、ペース配分がとても難しかった。
まぁ、そういうのも実際に滞在してみなければわからなかったことなので、後悔はしていない。むしろ、長い旅行で疲れる私、面白いな…と思っている。

それから、私はどうやらホステルという場所に滞在するのが向かない人間のようだ。
前シェアハウスに住んでたし大丈夫!と思っていたのだが、知らず知らずのうちに今の暮らしの快適さに慣れすぎてしまっていた……。
お部屋自体はとても素敵だったし、共用部もおそらく毎日清掃してくれているのだろう、とても綺麗で機能的で、使いやすかった。
スタッフさんや他のゲストさん、長期滞在の方も親切だった。
ただ、予期せぬタイミングで(たとえばトイレから出た瞬間とか、ぼーっと歯磨きをしているときとか)他のゲストさんとエンカウントするので、そのたびにびっくりして心が休まらないのだ。「何それ?」と思った人は一回体験してみてほしい。
これは全然平気な人もいるだろうから、完全に私側の問題である。

5泊お世話になったお部屋。ありがとうございました。

冷蔵庫に保管していた食料も無事に使いきり。
荷物をまとめてチェックアウトを済ませる。
しかしあれだね、チェックアウトするときのがらんとした部屋って、なんかいいよね。必要なものが全部キャリーケースに詰め込めるのもいいね。
このくらいの、いつでもキャリーケースひとつで引っ越せるくらいの身軽さで普段から生活できたらいいのになと思うこともあるが、余計なものだらけのいつもの生活にも愛着がある。
生きるってままならない。でも、だからきっと面白いのだ。

さて、最終日の本日のテーマは「血液が抹茶になるくらい抹茶を摂取する」だ。
早速いってみよー。

まずは京阪電車で祇園四条まで。
インスタで見て絶対に行きたかったカフェ「Panel Cafe」を目指す。

抹茶大福パンケーーーキ。

抹茶ティラミスパンケーキと非常に迷ったのだが、今回はこちらに軍配が上がった。
抹茶味の求肥がのっていると聞いたら、求肥大好き村田さんは食べざるをえない。
大きな求肥のシートに包まれたパンケーキは、フワッフワのぷるっぷる!
思わずお皿をゆすって揺らしてみてしまった。プリンに対する扱いである。
中につぶあんと生クリームが入ってるので、求肥と一緒に食べると本当に大福みたい。
隣のソフトクリームもあわせて食べるとなお美味しい。
一緒に頼んだカフェラテが適度に甘さを和らげてくれる。ああ、至福。
しかし、まあまあ待ったのに、すぐに食べ終わってしまった。食べ終わるとなくなっちゃうからかなしい(これ二回目な気がする)。
満足だけど、次は抹茶ティラミスも食べたいな!

第一抹茶は達成できたので、このあたりでお土産を買いたかったのだが、なんと早すぎてお店がほとんど開いていなかった(11時前だった)。
よし、なんだかんだちゃんとお参りしていなかった八坂神社へお参りしよう。

立派な御本殿。
うさぎさんも感染対策ばっちりです。

あと、これは前から言ってるんだけど、八坂神社の狛犬さんたち、カッコいいのよね。

阿。
吽。

強そう。八坂神社を外敵からめちゃくちゃ守ってそう。おやつあげて(狛犬って何食べるんだろ?邪気?)えらいね〜ってよしよししてあげたい。突然の妄想の世界。

そんなこんなで周辺を散策していると、こんなものを見つけた。

明智光秀の塚!家に空目したけど、塚。

「英雄学園」というシリーズものの舞台で三度に渡って朱智(あけち)ミツヒデという役を演じてからというもの、織田信長と明智光秀は未だになんとなく特別な存在である。
前に来たときは、道すがら本能寺を発見して立ち寄ったりしたっけ。
見つけてしまったからには行くっきゃない。
どうせ時間はあるんだ。お店開かないと買い物できないしね。
円山公園を抜け、てくてく歩いていく。
知恩院を過ぎると、もはやほとんど人気がない。まぁ観光の人もここには押し寄せたりしないだろうし。
大河やってた頃は訪れる人もいたのかしら。

ひっそりしていて、やはり誰もいない。

周りには普通の民家が立ち並び、とても静かな場所だった。
お花が飾ってあったりお餅が供えてあったりして、どれも新しいところを見ると地元の人に大切にされているようだ。
信長や秀吉と色々あった光秀も、今はここで静かに眠っているんだなと思った。
そっと手を合わせて、離れた。
ちなみにここは首塚で、胴塚は小栗栖にあるそうです。小栗栖ってどこだっけと調べてみたら、絶妙な距離感だった。

そろそろお店も開いた頃合いだろう。
中心街に戻るとする。

柳の枝がゆらゆらり。

「京都地検の女」でこういう景色出てきた気がする!と興奮したけど、多分京都的には普通の通りなんだろうなぁ(京都地検の女好き)。
東京だとこういう通りの脇って銀杏が植わってるイメージだけど、京都は柳なんだ。という発見があった。
あと、欄干のない橋、めちゃくちゃスリルあってドキドキするね。夜とか渡れない。落ちそうで。

中心地へ戻って買い物。今回は会う予定がある人も少ないので、買うお土産も少なくて良いだろう。
それでも、これは喜んでもらえるかしら、迷惑にならないかしらとあれこれ悩んでしまう。厄介なさがだ。
色々悩んで歩き回って、ようやく一通り買えた頃にはうっすら汗をかいていた。
休憩しよう。

ここで第二抹茶である。
ずっと買ってみたかった「抹茶共和国」の抹茶ラテを、鴨川のほとりで。

画が9割緑〜。

チーズ岩塩抹茶ラテと悩んだけど、濃い抹茶ラテにした。
このボトルがかわいいでしょ。
ずっといいなぁって思ってたんだ〜。
しかもボトルはプラスチック製だとばかり思っていたら、ちゃんとガラス製だった!
落として割ったりしないように慎重に飲んだ。
抹茶の苦みとほどよい甘さで幸せな気持ちになる。濃いほうにしてよかった。
でもやっぱりチーズ岩塩抹茶ラテも気になる。

鴨川のほとりは、風が爽やかで気持ちよかった。
水の音がして、鴨も泳いでたりして。
トンビが飛んでるので「トンビでっけ〜」とつい目で追ったり(カラスの倍くらいあって、ピーヒョロー言って飛んでて怖い)。
青鷺もたくさんいるね(細身のハシビロコウみたいでまた別の怖さがある)。

すぐ飲みきっちゃったな。

うん、帰るか。
コインロッカーに預けていた荷物を取り出し、京都駅へと向かう。

京都駅ではまず、新幹線の時間を2時間ほど前倒しに変更した。まさか前倒しに変更するとは思いもしなかった。
もう満足したので、早く帰って荷解きをしたいし、おうちのベッドで休みたいという気持ちだった。

それから、自分へのお土産に「551蓬莱」の豚饅を4つばかり買った。
これで家でも手軽に最高になれるというわけだ。外で何かあっても「私の家には551の豚饅があるんだぞ、フフフ」と思えばそれだけで強くなれる。そのくらい551の豚饅にはパワーがある(個人の見解です)。

そろそろ少しおなかが空いてきたような気がして、新幹線に乗る前に遅いお昼を食べることにした。
駅ビル内の「エスタシオンカフェ」。

予想を上回る豪華さ!

若鶏のステーキのおばんざい膳。
カフェごはんだからそんなに量はないだろうと踏んで注文したのに、想像の3倍くらいあってびびり散らかした。頑張って完食したけれども。
どのおばんざいも美味しかったけど、茄子がとくに美味しかったかな!

そして、これが本日最後の抹茶。

もう、純粋なる抹茶。

これも、カフェの抹茶と侮ることなかれ。
すごいちゃんと抹茶〜!(語彙力)
隣の丸いのは、お餅ではなくて砂糖。
砂糖は全入れしてちょうどよかった。
これで血液半分くらい抹茶になったかな?多分なったと思う。

キャリーケースと共に、新幹線に揺られて東京へと向かう。
一週間も京都にいたのが夢みたいに感じられる。
不思議な一週間だった。
楽しかったというより、興味深いという意味で面白かったと言ったほうがしっくりくる。
“自分探しの旅”と言うとなんだか青臭くて恥ずかしいけど、自分を見つめ直す時間にはなったようだ。
こういうことは苦手なんだとか、こういうものに興味を惹かれるんだとか。
こういう認知の歪みがあるな、と気づいたり。
(認知の歪みっていうのは、勝手なジャッジだったり自分を縛るような考え方のこと)
特別お金になるわけでもないし、どれだけ読んでもらえるかもわからないのに、このnoteをせっせと書くあたり「書く」ということが好きなんだなぁとあらためて自覚したり。
人との関わり方も、苦手な関わり方と上手に関われるパターンがあって。苦手なほうに無理に取り組むんじゃなくて、そっちはほどほどにして、上手にやれるほうを伸ばしていけばいいんじゃないかとじんわり思えたり。
明確に何か掴んだとか変わったというわけではないが(たかだか一週間で劇的に変わるわけもない)、なんとなく良い方向へ向くことはできている気がする。わからないけど。

うとうとしながらそんなことを考えていると、東京に着いた。
東京駅に着いたときの安心感といったらなかったし、相変わらず働きたくはないが(これは働き始めた18の頃から常に思っている)日常に帰ることを嫌だと思わないのは新鮮だった。
思い返してみれば、この一週間は自分への“時間”のプレゼントだったのだ。
私に必要なのは遠出をすることもそうだが、それよりも”何にも縛られない時間”だったのだろう。
コロナのこともあるし、また別の病気が海外で流行り出したと聞くから今後どうなるかわからないが、定期的に自分にこういう時間をプレゼントできたらいいなと思う。
ま、次は長くても3、4日でいいけどね。

★ 最後までお読みいただき、ありがとうございました!村田先生の次回作にご期待ください ―――!

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