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期待以上を返さないといけないという強迫観念【適応障害レポ】【考え込むINFJ】

こんばんは、いかです。

休職8日目。
復職(予定)まで3日。

今日は朝からなんだかそわそわしていました。
(家で集中できないからと言ってカフェや図書館へ行く気にもなれず。)


耳鼻科行った、過呼吸なった

耳のことがなんだか異様に気になるので、
午前の診療で病院に行こうとしたけど
思い立つのが遅くて間に合わなかったので、午後(15:00)からの診療に行きました。

いろいろ検査をしていただきました。
結果としては、問題なし。
今のところは大丈夫そうだよとのこと。
「でも実際聞こえにくいとかの自覚症状が、生活に大きく影響出るようだったら、もっと詳しい検査ができる病院を紹介できるからまた来てね。」という優しいお言葉をいただきました。

とりあえず一安心。
なのですが、

診察を待っている時くらいから「過呼吸になりそう」っていう感じがしていて。
診察は何とか乗り越えましたが、途中から半分過呼吸に片足突っ込んで帰宅。

しんどすぎて、その後は呼吸を整えることに集中していたら寝ていました。

なので、今日はほぼ何もできていません。
耳鼻科に行ったくらいですね。

期待以上の成果やレスポンスをしないといけない

今も、なぜだか泣きながら書いてるので、頭があんまり回っていません。
支離滅裂な文章になっているやも。。。

あ、前髪を切りました。
視界は良好です。

ごはんも、いつもよりは少し食べれました。

ここ数年でわかったことは、「(いついつまでに)完璧にしないといけない、期待以上の成果やレスポンスをしないといけない」という強迫観念みたいなものが私にはあるみたいです。

いつの時代のころからの習慣?癖?なのかはわかりませんが、「そうしないと自分が困るし周りも困る。自分の存在価値が下がる。だから完璧に、期待以上で返さないと。」と思ってしまいます。

そうすることで、相手が喜んでくれたり評価してくれるのがうれしいので、いつの間にかそれが私の当たり前になっていました。

「(相手を喜ばせるために)期待以上の価値を提供する」
悪いことじゃないし、みんながそうすれば世界は平和になりそう。(いきなり主語が大きい)

でも、この行動基準って一段階目が他人軸なんですよね。
他人からの評価。他人の喜び。
そこから生まれる私の喜び。

わからないんですけど、これって普通なのでしょうか。
捉え方次第?

「人と人は支えあって生きている」って金八先生はいってましたけど、それって人の喜びは自分の喜びってことなんでしょうか。
天使のジャイアンみたいだな。

一段階目が自分軸な生き方のほうが、生きやすいのかな。
その考え方がわからないから、困りものなんですけどね。


泣いても過呼吸になっても、体力が削られます。
しんどいな。やだな。

今日はネガティブ全開の記事になってしまいました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

気分転換に、私の大好きな ちいかわ みてお口直ししてください。
おやすみなさい。

癒やしのちいかわ

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