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一緒に昇っていた階段を後ろから見守る日が来るまで

ウォルドルフスクールに通う娘は金曜日は半日で学校が終わるので、娘を迎えに行ったら、ランチは家で一緒に食べる。

ある日の金曜日、歯の矯正治療の痛みで学校を休んだ息子のために、雑炊を作った。娘には雑炊でもいいし、サンドイッチでも、昨日の残りのパスタでも食べればいいかと思っていた。

車のドアを閉めて、娘に

「今日のランチは、雑炊か、サンドイッチか、昨日の残りのパスタがあるけど何がいい?」

と聞くと、娘はちょっと考えてから

「うーーん、あたし、自分で作る」

と言うのだった。

「あたし、自分で作る」

顔には出さなかったのだけれど、その言葉にジーーーンときた。
9歳になる娘がさらっと言い放った言葉に静かに感動しながら、軽やかに玄関の階段を駆け上がっていく彼女を追いかけた。

以前、料理でストレス発散という記事で書いた通り、私は料理やベーキングが得意ではない。もちろんやる。
ただ、どうしても「楽しい!好き!」とはならないのだ。

かたや娘はクッキングやベーキングが大好きで、本当はクリスマスになったらお母さんと一緒に生地からジンジャーブレッドハウスを作ったり、おやつにデコレーションをしたロールケーキやかわいらしいアイシングクッキーを作ったりしたいはずだった。

私もそういうお母さんだったらいいなと思うのだけれど、現実はうまくいかない。

もちろん私なりに努力はする。
彼女は「料理が楽しい」のだから、その想いを生かしてあげたいと思う。
だけど、私は上手に彼女の想いを汲んでやれない。
今はもう古い価値観かもしれないけれど、「母親なのに」という言葉がのしかかる。そのことが罪悪感となって私の心に居座っている。

そんな母を持つ娘は、youtubeを見ながら自分でお菓子を作り、幸いなことに夫が私以上に料理上手なので、ご飯を作るときに横に立ってお手伝いしながら料理の経験を少しずつ増やしている。

だから、今日彼女が

「お母さん、これ作って」

ではなくて

「あたし、自分で作る」

と言った時に「お母さんに頼らなくても自分でできるから」と言われた気がして、ジーンときてしまったのだ。

この子は必ず私を超えていく。
子供は親を超えていく。

子供はいつまでもずっと親の腕の中にいるような気がするけれど、少しずつ少しずつ、自立の道を歩いている。

自分で作った納豆としそ昆布の巻き寿司を頬張る横顔を見ながら思う。

一緒にいられるのもあと10年やそこら。

これからは、静かなる感動が増えていく10年なのかな。
まだ思春期を迎えていないから、純粋にそう思えるだけかもしれないけれど。

今までの私たちの子育てがどんな花を咲かすのか、親としては楽しみであり、どきどきでもある。


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