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フィリピンで総額1億円でビーチリゾートを作る 完結編

念願の夢が叶いフィリピンでビーチリゾートを作りそこの現地総支配人になれたわけなのだが、そこを蹴り自由な道を選んでしまった私。

あそこで現地支配人になってくれと言うオファーに乗っていたらどういう人生を歩んでいたか?今でも考えなくはないが、こんなコロナの状況下で現在フィリピンでの職を全て失い日本に何とかギリギリで帰国でき、母がやっているパン屋を何の縁もゆかりも友人も親戚もいない山口県で手伝っているギリギリ人生の最中においても、やはり選ばなくて良かったなと思う。

「自分がやりたいこと、好きなことを貫きただガムシャラにやり続けて来た人生において誰かの下に置かれたり、自由度を失われてああしろこうしろと上から押さえつけられることほど耐え難いものはない」

そういう人生とは30歳でお別れを告げたから、会社員もバイトも個人事業主も結婚も子育ても様々な国での仕事も日本での下働きも死ぬほどいろいろ経験してきたから人生は修行だと思うし、良いことも悪いこともいろいろ勉強だと思いやることいっぱいあるけど、そういう下働きはもう必要ないと私は思う。

結局4,5年かかりビーチリゾート完成

あれからどのくらいの年月が経ったか正直覚えていないが、4,5年かかったはずだ。

やっと今年、2020年3月末にコロナ下ロックダウン真っ只中にビーチリゾートは強引にオープンした。

オープニングパーティーもかなり強引に開かれほぼ身内ばかりで何のために行われたのか、フィリピンお得意の見栄だとしか思えなかったが、驚愕すべきがその後(本当かどうかは確認のしようがないが)どうやらお客さんがかなり入っているということ。

支配人は私が紹介した人間だし、オープニングパーティーを見る限りでもシェフも良く知る人間だけど、お世辞にもプロとは言えなくド素人の烏合の衆なのだが、それでもフィリピンには未知のポテンシャルがあるらしく、ネグロスオリエンタル州という田舎にも関わらず連日人が多く訪れ人気のリゾートになっているらしい。

これはかなり驚いたが逆に言うとこのフィリピンのポテンシャルは凄まじく総額1億円かけ素人集団で運営するビーチリゾートでも十分人は入るし、運営のしようがいくらでもあるということだと思う。

このようなお粗末なビジネスを日本でやったらどうなるかは誰でも予想はつくのだが、フィリピンならそのポテンシャルの高さから思いがけず上手くいってしまう。

買い手も多くどんどん増えている、また購買意欲も凄く高くかつまだ未成熟社会、何がヒットするのか予想がし難い。

ビーチリゾート現状

これで成功するならいくらでも作れる

何はともあれゼロからリゾートを作っていくノウハウはマレーシアでもフィリピンでも経験済みで今回は特に何からなにまでしっかりと嫌というほど身に着けられた。

建築監督、コンサル、デザインチームは未だお付き合いがあるし、総額1億円ビーチリゾートプロジェクトを他でもやりたいと興味を持ってくれている。現状動いているビーチリゾートもあるわけでここをモニタリングしつつ新たなものを作っていくのも面白いと思う。

日本でやるよりも遥かに安いコストでオペレーションなどはるかに洗練されていなくてもフィリピンなら、他の国なら何とかできてしまうし、このような思いがけない成功例を作ることもできる。

昔から日本の高い技術力やサービス精神、細部までこだわり抜く仕事を貫き通せればどこの国であれ成功すると思ってきた。

Made by JapaneseでMade in Philippinesだったり他の国であったり、現地の人を上手く起用し働きやすいようにその人達の特徴を活かしてあげる、ジャパニーズなコンセプトだが無理にそれを上から押し付けるのではなくしっかりと理解してもらった上で繰り返し教育していけばフィリピン人にだってできる。フィリピンでやるのだからフィリピ―ノジャパニーズ、ジャピーノになってしまってもコンセプトやブランディングがしっかりしていれば後はお客さん次第であると思う。

ビーチリゾートフィリピンバージョン

実績になり次の仕事へと繋がっていく

こうして無謀とも言える挑戦は無事と言えるかわからないが形になり完成し、まだロックダウン中なのでこの先はわからないが現状は地元の人に人気のビーチリゾートになっている。

完成待たずに途中で辞退してしまったが、クライアントからは皮肉も込めてかもしれないが「あなたが頑張ってくれたおかげでビーチリゾートは完成した、間違いなくあなたの実績と言えるものです」と言ってもらえたので少し自信が持てた。

何はともあれ実績とかはどうであれ、この4,5年リゾートを立ち上げる過程においては多くのことを経験しやり遂げた事実はあるわけでそれだけで十分ではないかと思う。

多くのことを学ばせてもらった中で私自身も少し驚いたが自分はやはり自由度がある程度ないと、自分のやり方である程度やらせてもらえないと力を全く発揮できなく、また自然と半ば防衛的に、縛られたり、上から押さえつけられることを回避する習性のようなものが身に着いているらしい。

それは逆に言うと私が長年住んでいる国、フィリピンの人達も同じような傾向があるのかなと感じた。

福沢諭吉の有名な言葉の一つに天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずというのがあるが、これを小学校高学年の時に見た時は凄く感動して福沢諭吉の伝記を全て読破してしまった思い出があるが、実はこれはアメリカの独立宣言の引用らしく、その後諭吉自身は人の世は平等ではないと言っている。

諭吉さんは人の差は生まれつきにあるのではなく学問をしたか、しなかったかによるものだと言っているようだ

ベースとなる教育、学問やその後いろいろな物事を通して身に付けて行く実学

この二つをバランス良く身に着けることこれを仕事を通して、ビジネスを通してまずはフィリピンでやっていきたいとビーチリゾートプロジェクトを辞退した時に思った。

人の下になってしまうのにも理由や状態があるのでそうならないためにも自分自身を磨いていかないと、そういう立場にならないためにはそうならない自分を創っていかないとと思った。

こうして基本的には人の下にも上にもならない自分のスタンスみたいなものが出来上がっていった。

こういうスタンスでいるとどんな人が来ても怖くはないのだ

終わりに

Noteの書き初めにフィリピンでビーチリゾートを作った時のことを思い出しながら書いてみました。

あの時のように手探りでNoteを書きながらいろいろ試行錯誤してみて新たな記憶が蘇ってきました。

今もあの時も必死に動きながら、とにかくやりながら進んでいきました。

今もあまり変わりないのかもしれませんが、当時は自分にはダイビングしかなくダイビングは季節もので収入が安定しているわけではなく、かつかなりの体力気力勝負なのでいつまで続けられるかも不安要素としてありました。

ダイビングではないことをいろいろやらせてもらい、学ばせてもらいその後どこで聞きつけて来たのかダイビング以外の仕事の依頼がどんどん増えていったので凄く驚きました。

まずは先のことをあまり考え過ぎず、結果を求め過ぎず、とにかくやってみる、今をガムシャラに楽しみながら動いてみる、それが何かに繋がる、繋がせてもらえるのだとこの時のことを思い出しながら今の人生最大とも言える困難期を迎えている自分に言い聞かせながらこのビーチリゾートプロジェクトの話を新たな媒体Noteで書き始めてみました。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

今後はもう少し読みやすいように、もう少し誰かの役に立てるようなことを自由度は保ちつつ書いて行こうと思います。

よろしくお願いいたします。


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