概念にすがるいきもの

今年、弟が結婚した。めっちゃめでたい。
相手は性格も頭も顔もいいという非の打ちどころのない方で、弟は一生分の運を使い果たしたと自分で豪語していたけどほんとそうだと思う。彼女に逃げられないように今後もがんばってほしい。
弟の結婚という事態に、わが家の両親はおおいに張りきった。新郎の親が張りきってもしょうがないのだが、彼らからすると「本家長男の結婚」は一大事なのだ。
ちなみに本家とか言っているが、地方都市のただの家に本家もくそもなく、だからなに? って私や弟は思っている。なにがそんなに偉いのかまったくわからないが、父親の人生を支えるアイデンティティが「本家の長男」なので、多少張りきるのは仕方ない。

そう、父親にはそれ以外にアイデンティティがない。生まれたときから「長男」としてたいそうかわいがられてきたようだけど、言ってしまえば多分、「長男」以外の個性に関してほめられたことがなかったのだろう。結果見事に愛着障害を起こし、自分は両親に愛されなかった、と嘆くようになり、私たちきょうだいにはそんな思いはさせまいと様々な選択肢を用意して彼なりに愛するとともに、「自分は長男として家を継ぐためだけにかわいがられたのに、自分の子どもたちはたくさんの選択肢があるなかでのびのび育っていてずるい」という自家中毒を起こしてしまった。そして私たちを虐待し、虐待しては泣いて詫びるみたいなことをしてしまうしょうもない男に育ったのであった。

父親自身はたぶん今でも上記の心理状況を言語化できていないし、気づいてもいないと思う。私なりに30年つき合った感想として、まぁ大体このような精神状況だったのだろうなと考えている。
それはそれでかわいそうだし哀れだし、結局言葉をもたない人はこういうときつらいよな~という同情もあるけれど、自分の力で打破できなかったのは父親の責任で、それを子どもに向けるような人が子どもをつくるべきではなかったし、他人ならかわいそうだな~で済むけど実際にもっとかわいそうなのは私では? と思うので、今でも父親の所業を許していないし、今後も許すことはない。

話を戻すと、そういうわけで「長男」「本家」アイデンティティがすさまじい父親は、息子の結婚という場でマウントをおおいにとりまくった。顔合わせから現在のお歳暮のやりとりにいたるまで、お相手の実家へのマウントが強すぎて、見るたびにうんざりしてゲボ吐きそうになってしまう。あまりに「俺TSUEEEEE」マウントをとるので、相手の親が「フゥン、おもしれーじゃん」みたいな感じになって、「すてきなお宅を拝見したいですなぁ(どんなもんか見せてもらおうじゃん)」とうちの実家に訪問してきたので、相手の親もなかなかやる。さすが京都人である。

われらきょうだいは、なんかわかってはいたけどやはり面倒くせぇなという感想以外もちえず、私はひたすら弟の妻が心配になった。ごく普通の家庭で育ったごく普通の20代の価値観をもっていそうな彼女が、この義実家に耐えられるだろうか。いや、全然耐えなくていいんだけど、うまく心の距離を保てるだろうかと余計なお世話ながらに心配してしまう。

先日両親と弟夫婦、そして私の5人で父親の還暦を祝ったときのこと。もじもじしながら母が弟夫婦に「2人は今年、年賀状出すの?」と聞いてきた。

ねんがじょう…?

3人の心の声が重なったと思う。年賀状? 寝耳に水だ。2人とも寝耳に水って顔をしている。両親の説明するところによると、結婚したご挨拶として親戚に年賀状を送れということらしい。

「正月に帰ったら親戚に会うのに、なぜ別途郵送の必要が?」

と弟が言った。そのとおりすぎる。

「年賀状出すの? って、それって出せってことでしょ?」

とたたみかける弟。それもほんとそう。田舎の人間はこのように「察し」を求めてくる。社会や世間の空気を読むことこそがもっとも大切な生き方、みたいな雰囲気を醸し出してくるのだ。
年賀状なんて今まで出していないので今年もまったく考えていなかったということを説明し、なんなら両親ももうやめればよいのでは? と弟が提案してみたが、「そんなことをしたら変だ」と言う。

「変ってだれかに言われるの? あからさまにヒソヒソしたり悪口を言ってくる人が周りにいるの? いないでしょ、いたらそんな人とは距離をとればいいでしょ」と私が、「だれかに変と思われるんじゃなくて、自分がそれを変だと思っているだけなのになぜ周囲のせいにするの?」と弟がつめてみたけれど、なんかちょっとけんかになりそうだったので、結局弟は両親がどうしてもとゆずらない2軒にだけ年賀状を出すことに決めた。

こういうとき、弟の妥協スピードの速さにかしこいなぁと思う。両親のしょうもないプライドや価値観を傷つけてまで争う時間が無益、と考えるのだ。同じ土俵に乗らない。ナチュラルに下に見ている。だから、くだらねーと思いながらあっさり飲み込める。
わたしは両親のしょうもないプライドや価値観よりわたくしのプライドや価値観の方が圧倒的に大事なので、のこのこ同じ土俵に乗っかって、そっちが認めなさいよと最後まで戦って消耗してしまう。だから結婚などの社会的行事に向いていない、というか、実家と社会的にかかわらなければならない場面をできるだけ避けようと考えると、結婚などは避けるが吉なのだ。社会的に大人とみなされる行為をしたところ、勝手に仲間だと思われてしまうことに耐えられない。

この本当にしょうもない年賀状論争の間、義妹は口を開かなかった。神妙な顔で場にいるだけだった。こういうときに「じゃあ年賀状出しますよ」とか言いそうになる気がするけどそれも言わなくて、巻き込まれない処世術がわかっているうえに、出さなくて済むならそれでよしなので夫に交渉を託す強さみたいなものがあって、本当にかしこくてえらいと思った。お前の親がごねてるんだからお前がどうにかしろだよな。このようなできた人からすると、やはり夫が両親との交渉を投げたり面倒くさがったりしたり、あるいは両親からの空気読み強要が激しくなったりしたら、デメリット強すぎて弟と別れてしまうんじゃないかと思う。
弟には改めてがんばってほしい、私は両親がしょうもないことを言い出すたびに反対勢力を張って援護しようと思っています。

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