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50.私たちは都合のいいように世界をみている

視覚というのは辻褄合わせの達人です。

目の前の現象というのを過去の経験に合わせて都合よく作り変えることで世界をみています。

コリン・ブレイクモアとグラハム・クーパーの実験で子猫を生後2週間暗闇の中で育てその後5ヶ月、1日5時間ずつ縦縞だけが見える環境で育てたと言うものがあります。

1970年の実験なのでかなり残酷な事をしているなと感じますが縦縞だけをみて育った猫はどうなったのでしょうか。

そのネコの第一視覚野の反応を計測すると縦の線にのみ反応するようになり横線には全く反応しなくなったそうです。
また、猫の前に水平に障害物を置いても見えておらずぶつかってしまうようになったとのこと。

非常に示唆に富む実験ですが、このように視覚というのは実際に起こっている現象や障害物に関わらず都合のいいように世界をつくりかえる事が出来るようです。

聴覚でも似たようなことが起こっていて、韓国のポップミュージックでは人がいいと思える曲を分析してそれに合わせて曲がつくられるため、自動的に似たような曲ばかりになるそうです。

自分にとって都合いいことばかりの世界になった場合その世界はどうなってしまうのでしょうか。

良い悪いの判断基準は比較対象があるからこそ存在します。

もっといえば良いことの中にも悪いことは存在し、悪いことの中にも良いことは存在します。

そんな複雑な関係があるからこそ世の中は形を成しているのかなと感じます。

SNSのアルゴリズムでは個人の検索結果や趣向から次々と個人にあったものを提供してくれるようになりました。

大変便利にはなったと感じるのですが、自分に都合の悪いものを排除し続けた先にある未来に怖さを覚えます。

身体にいいとされてるものだけ食べる。
汚れるからといって自然に触れない。
問題が起こるからとコミュニケーションを避ける。

そういった極論のような行動や思考も都合のいいものだけ見れるようになった事による弊害なのかなと感じてしまいます。

私たちは目を使わなくても「みる」ことができたり耳を使わなくても「きく」事ができたりします。

そういった少し低次といわれる感覚「感じる」という事に重きを置いてみても良いのではないでしょうか。

風の音や水の音など。良いも悪いもないそんな情報こそ世界を偏りなくみるために必要なことなのではないでしょうか。

どこかに偏ることなく常に揺らぎながら世界を捉えられるようになると何に対しても優しくなれる気がします。

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