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43. 皿洗いと意識

運動は、我々の日常生活において無意識的に行われることが多いです。

例えば、皿洗いをする際、手が自然に動いていることに気付かないことがあります。

このような自動化された運動は、視覚と思考から切り離され、脳の余白を生み出します。

運動が自動化されると、我々はその運動を意識的に行わなくても、体が自然に動きます。

例えば、歩くことや自転車に乗ることは、ほとんどの人にとって無意識的な行為です。
視覚は、このような運動においてはあまり関与しません。

私たちは目を開けていることで、周囲の状況を把握しながら歩いたり、自転車を運転したりしますが、具体的な運動自体は視覚から切り離されています。

運動が自動化されると、思考も切り離されます。例えば、皿洗いをする際、具体的な手の動きやスポンジの使い方を意識的に考えなくても、体が自然に動きます。

このような無意識的な運動は、脳のリソースを節約し、他のことに集中できる余白を生み出します。


一方で、脳の余白を自ら埋めにいく行為は、運動にとって不都合になることがあります。例えば、新しい運動を学ぶ際、意識的に動きをコントロールする必要があります。

「肘をもっとあげよう」
「お腹にもっと力を入れて〜」

こういった意識はときに運動の自動化を阻害します。

身体の詳細部位を意識するということは身体のスイッチを増やす事だと考えています。
どこでスイッチを入れるかは個人の能力や環境により変化します。
ただ、運動が開始されたあとにもスイッチを押し続けている状況は好ましくないと思います。

ですが、高度なスポーツや芸術的な運動におい意識的なトレーニングが必要な場合があります。
この場合、脳の余白を自ら埋めにいくことは、運動の向上に寄与します。

二つの矛盾した問題を解決するためには運動発達の知識が必要になってきます。

まず土台として無意識下で働くシステムが働いているかという所です。

漠然と自分の存在を認識できる。
呼吸や摂食、排泄などの生命維持の機能が働いているか。
という前提条件が揃ってから筋肉や関節たちの登場になります。

もちろん呼吸などにも筋関節は使用されますがそれを司っている全体のシステムが働ける環境にあるかという事です。

筋や関節にもレベルがあり最初に例として取り上げた歩行や自転車というのは高度な運動をするためのもう一段階前に使用するシステムです。

CPGというある程度自動化されたプログラムを使用する事で脳の省エネをしてくれています。

以上の土台がきちんと機能しているレベルになると身体の詳細部位への意識が可能になります。
運動の「巧みさ」と言われます。

前段階を無視して運動を学ぼうとすると問題が生じます。

例え話としてムカデに「歩く時どの足から動かして歩いているんだい?」と尋ねるとムカデはその場で固まってしまい動けなくなった。というのがあります。

私たちの身体は意識せずとも無意識の中でたくさんの情報を処理して上手に動いてくれる素晴らしい仕組みになっています。

この無意識の土台やセンサーを働かせる方法にもっと目を向けられるように学びを深めていけたらなと思います。


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