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銀河一等星の輝きを放ち砕け散れば、その時初めて君に届くのだろうか


忘れられない物事で埋め尽くされていく。人生とはそういうものである。その中で必要なものと必要でないものを脳が勝手に選択し整理して、時には必要だったものまで捨ててしまうから、思い出というものは残酷だ。おまけに脚色し、自分にとって都合のいいものへ変えていくのだから、人間は醜く浅はかな生き物である。

そんな、忘れられない物事があった。もう随分と薄れてしまった記憶。ただそこにいた人が、時間が、経験が。過去への旅に身を任せる度、事実であったと教えてくれる。

極たまに、隠しているわけではないけど信用した人にだけ、笑い話にしない人にだけ口を開く過去がある。それはいつも始まりの話。どうしてここにいて、書く事を選んだのか。

こんな職業をしていると、どうして書く事を選んだのかとよく聞かれる。あまりに多くの所で聞かれるので大体適当に誤魔化す。書き始めたら向いていた、投稿サイトを見つけたので、新生活に何か始めようと思ったから。どれも真実であるが、一番の理由ではない。

聞いてきた人たちはただ話の入りを探しているだけで、求めている答えは世間話。人生の一節、想いの籠った一文を知るつもりでもない。それを分かっているし、軽い気持ちで話すのは私が良くても相手が真剣になってしまうので大体、本当の事は話さないでいる。

でも極たまに。今年に入ってから珍しく二人に口を開いた。まあいいか、と思いつつ語ったちっぽけな後悔と一握りの勇気の物語は、どうしたって私をこの場所に連れてくるために起きたとしか思えないと、今になっては思っている。

結果論に過ぎないけれど、私はここに至らなかったら、書く事を選ばなかったら、多分どっかで腐っていたと思う。例えハッピーエンドを迎えようと、有り触れた日常の、多くの人々が望む普通に首を絞められていたに違いない。
もっとも、書く事を選んだせいで自分で自分の首を絞めまくった時間も沢山あるのだが。それはきっと、私の残したくだらない日々の文章で察する人は察するだろう。察しなくてもいい。てか察するな。しんどいから。

人生なんぞ笑ってる時間が多い方が幸せなんだから。

自分を責める時間も、他者を傷つけ傷つけられる時間も、嫉妬も羨望も、足の引っ張り合い、指を差され続けるのに圧倒的なまで遠くに行けない事。そしてまた、自分へ失望する。そんな時間は一秒たりとてない方がいい。

自己肯定感マシマシ、愛されてニコニコ笑ってるのが一番いいのだ。全ての人は救われると信じ、手を取り合えると本気で思っている能天気な人間の方が絶対に人生上手くいく。考えた人間が負けまであるくらい。

そんな、しょうもない能天気になれなかったお馬鹿さんの後悔である。

話す度に薄れていく記憶は時折、もしもの可能性へと変化する。もし、後悔が晴れる日が来たら。今だったら。そんな可能性がいくつも浮かんできては口を閉じる。

数年前までは望んでいたもしもは、いつしか何も望まなくなった。というのも、どれだけ願おうと現実にはならず変えようもないからだ。そのうち願う事も忘れ、届かないと結論づけた。

どれだけ書いても、どれだけ願おうとも、きっとあの時届けたかった言葉は自分のせいで届けられなかったから。あの時届けないと意味が無かったのに、今更届けても同じ意味を持ってはくれないから。

人は必要な時、必要な人と出会うと言うように。人は必要な時、必要な言葉と出会う。反対に、必要でない時にはその言葉に出会えない。だから結局私が犯した小さな後悔も紡げなかった言葉も必要じゃなかったんだろう。相手の人生に必要じゃなかったから、届けられなかったのだろうと思う事しか出来ない。

まあこれも、体のいい言い訳だけど。

何にせよ、もう届けられないのなら届ける事を考えず、自分のために書き続ければいいと割り切るようになったのはいつだったか。以来、才能とセンスと時の運、努力と呼べるとはまだ思えない時間、積み重ね、折れてはもう一度、這いつくばっては手を伸ばし、これしかないのだと前へ進んだ。

悲しい事に、私には本当にこれしかないので書けなくなったら冗談抜きでアイデンティティ喪失するし、逆に考えればどの時代でもどこにいても何をしていても、空想を吐き出せる場があって、誰に見せるわけでもなく書いていたらそれで満足するのである。気持ち悪……。

世渡り上手なわけでもなく、愛想は人生経験で得たもので、本質はくそ生意気で我儘、人間嫌いの共感性ゼロ、傷つきたくなくて諦め、割り切った結果の末路である。ので、こんなヒトモドキが並大抵の幸せを得られるのだろうか。いいや、得られはしない。人間界に馴染もうとしたらメンインブラックみたいにエージェントに見つかり光線銃で殺されるような存在である。

いっそ光線銃で跡形もなく焼き殺してくれたらどれだけ良かっただろうか。中途半端な人生を送りくすぶり続けては膝を抱えるみたいな、そんな時間もなく一瞬にして終わりを迎えるなら正直ハッピー。と、私は思っているのだが、何にせよレーザー光線で撃ち殺される事も、惑星を移動するのも出来ないのである。地球はひとつ。僕たちはひとつ、ってリトルグリーンメンも言ってたしね。


そんなこんなで随分と成長し達観してしまったお馬鹿さんは、相も変わらずヘイトを集めやすい。何一つ発言していなかったとしても、積み上げてきたキャリア、年齢、容姿、立場で勝手に判断されては嫉妬されるのがいつもの事で。それに慣れてしまった自分もいて、何かやっとると思う度自分に対して悲しい気持ちになるのである。そんな事に慣れないでよ、大事にされる事に慣れたりする方がずっといいのに、止めてくれよ。お前。可哀想だぞ。

なんて、思っては長いようで短い人生を振り返り、まあこんな人生送ってたら仕方ないねと言うしか無くなってしまうのも切ない話で。私はそろそろ大事にされる感覚を知るべきだし、誰か洗脳とすり込みでそれを教えてくれねぇかな。その感覚が増えたらより良い物が作れるかもしれないのに、と思うあたりどこをどう転んでも書く事に繋がってしまうのは悪い事ですね。

慣れた私は思う。同じレベルで返しては意味がない。だから圧倒的なまでに届かない場所へ行かなきゃ、と。きっとどこに行っても何をしても、私が私を辞めて惨めったらしく路地裏で膝抱えて泣いてない限り、進む事を止めない限りこれは死ぬまで食らうと確信しているのでもうどうしようもない。進む事を辞める日は無いし、もし辞めた日が来たら、私は死んでいるだろう。

例え生きていても、屍のように彷徨うだけの存在になるだろうから。

なら届かない場所へ。そんな声が聞こえない所。空の向こう。圧倒的な星。月の裏側まで。飛んで飛んで飛び続けて、足を引っ張られようが羽を燃やされようが、届かない所まで行ったら。きっとそんな声も気にしなくなるから。満たされていれば、きっと耳に届く事さえ無くなる。

だから圧倒的な距離まで飛んで、まるでよだかの星のように。銀河一等星の輝きを放ち、宇宙の果てで思いっきり砕け散ってやれば。何億年も光は地球に届き続けるはずだ。嫉妬を向けた連中は、地上でしか生きられないから。圧倒的なまでになればもう何も言えなくなるし、言ったとしても大気圏を言葉は越さない。

なんて日々考えながら書き続けている。そしていつか、砕け散った日に初めて、届かないと思っていた言葉は届くだろうか。いなくなった便りを出す事が出来るだろうか。その時何を思うのかな。出来れば何も思わないで欲しい。ただ、ああ、死んだのか。それだけを感じて終わりにして欲しい。

でももし、何か思うのなら。あの短い過去へ一瞬でも踵を返して過ごした日々を懐かしんで欲しい。


そんな、星になりたい。

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