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「哲学」ってなあに?ジャズギタリストが書いてみた③構造主義

Guitaristのタナカ裕一です。noteはじめました。

「お字書き道TALKSの記事」から借りて来た画像
話し相手⇒書き手。ですね

突然だけどぼくは「哲学」が大好物なのです。

「哲学」が大好物だと言うと、なんか宗教?と思われたり、「思想強そうww」とか、ようするに煙たがられたりするのだけど、それはぼくにとって何とも生きずらい。

でも。ここで言っている「思想」と言うのは「主観(思い込み、それはアナタの感想ですよね?)」が強そう。って意味でしょう。

けれど、哲学と言うのは主観や思い込みを解体しようと言うような取り組みなので、真逆なのである。

哲学と言うのは主観や思い込みを解体しようと言うような取り組み


それってアナタの感想ですよね?って煽りを真正面から受け止めて跳ね返し、粉砕しようとする戦いの歴史なのである。


振り返り

※前回、前々回を既読の方はこの項目は飛ばして大丈夫!

①昔々、いや今でも人類は自然の驚異の中で暮らしている。でも、この世界の成り立ちを知ることが出来たら対応策も立てられるよね!ってことで、いろいろ考えて、神話や言い伝えで何とか世界を理解しようとしてたんだけど、それ(神話)ホント?ってなった。

②それで、せっかく古代ギリシア人たちが世界は「原子」とか「数」によってできてるんじゃないの?って頑張って考えてくれた。神話じゃなくて、考えごとで世界を理解しようとした。

③けど、当時の科学力では世界が「原子」とか「数」によってできてるとは証明できなかったし、「全知全能の神がいるとしてそれを信仰しよう」ってなった。

④でも教会はそのうちに腐敗して、上手く行かなかったので神の代替品を探した。「人間の理性」これは信じられそうだし、理性を働かせたら本質に到達できそうだ。

けどふと気が付いた。

⑤本質とか言いますけどね。全ては「○○のために」生まれてなんかないでしょ?だから本質(もともとの意味)なんかないのよ。意味なんかないの。だから意味を自分で見つけて、自分の理想の世界、社会を自分で作って行くんだよ。


神の時代を脱した(完全、無限、絶対みたいなものを頂上に置いて、それを最重要とする時代を脱した)ものの、一部の賢い人たちが「本質」を追い求めたり、結局は王様が好き勝手やってて、「オレ」は幸せじゃなくて、なんなら絶望してるし、生きてる意味も分かんね…はぁ(溜息)

みたいなところから「人間の本質は○○です」と言ったって、「オレはそれに逆らって、絶対に○○しない!」が可能だよね。それにそもそも人間に限らず全ては「○○のために」生まれたり、存在したりしていない。

オレの主体性によって、例えばリンゴを食べると美味いから、コレは食べ物だ!とか意味を与えているだけであって、リンゴはオレに食べられるために生まれたり、存在したりしていない。

主体性によって全てに意味を与えていくんだ!そしてより良い世界を作っていくんだ!「オレ・アナタ自身によって世界、社会に参加して、オレ・アナタの理想の世界を叶えていくんだよ。」と、理想の世界、社会を作ることに夢中になってくのでした。

さあ、ここからどうなる?


未読の方は①、②をお読みください。


ココから下が今回の内容↓↓↓



見出した意味は、結局「構造」を脱せない。

ぼくは個人的にはこの「構造」ってやつが大好物です。各個人が個々に見出した意味など、結局「構造」を脱することは出来ない。

構造の中で起こっている個別事象でしかない。

結局、「それってアナタの感想ですよね?」と言う煽りは最強にも思える。


でも、サルトル(仏、1905年6月21日 - 1980年4月15日)が残した深い考察から、ムーブメント的には自らの意味を自ら見出して、歴史に参加しよう!みたいな感じで民主主義からの、資本主義からの、マルクスが社会主義だのと、理想の社会を自分たちで考えて作ろう!みたいな感じになっていた。

実存主義ばんざい!


第二次世界大戦を跨いで、1960年代くらいまでの若者たちはこう言う意識が強かったんじゃないかな?だから当時の若者(現在70-80歳とか?)は理想の社会みたいなの好きよね。「ぼくがかんがえたさいきょうの社会」みたいなのが頭の中をグルグルしてる人多いってことだよね。

とは言っても、この実存主義が大いにウケているころ、そこへマジレスする空気読めないやつ。盛り上がりに水を差すどころか、ぶっ壊しにやってくるのだ。そう言うのが哲学者ってもんなのだ。

ちょっとしたマジレスなら一笑に付されてしまうから、超強度のマジレスを用意して目の前の「正しそうに見える何か」を粉砕しようとする戦いの歴史なのである。

これまで、言い伝えの神話を考えごとで、考えごとを人間が考えた全知全能の神(概念)によって、神を人間の理性で、理性によって到達しようとする本質を「オレのオレによる意味」によって打ち破って来たけど、オレのオレによる意味「ぼくがかんがえたさいきょうの○○」をもぶっ壊す。

「構造主義」がやってくる!


枠組み(構造)の中でいろんなことが起こってるだけ


無意識

ジークムント・フロイト(独、1856年5月6日 - 1939年9月23日)って人がいましてね。心理学者、精神科医で、無意識を発見したのでした。

精神疾患抱えてる人を診察していたら、例えば何かのトラウマの原因となった出来事をもう本人はすっかり忘れてしまっているのに、それによって心身に悪い影響が出てしまっていると気が付いた。

あれ?すっかり忘れてしまって、覚えてもいないと言うのに心身に影響が出ちゃってるじゃん。意識の上にはないこと「無意識」にアナタは影響を受けちゃってるじゃん。

ってことはさ、実存主義!オレが世界の中で、オレにとっての意味を見つけ出すんだ!とか何だか、各自がそれぞれ自分で考えて主体的に行動してます。みたいな感じが流行ってるけどさ、「主体的」ってのも結局は何らか「無意識」に影響を受けた結果なんじゃないの?

実存的、オレ的、主体的であることって怪しくね?ってなる。


「構造」ってのがある①

レヴィ=ストロース(仏、1908年11月28日 - 2009年10月30日)って人がいましてね。人類学者。フィールドワークで熱帯の部族、未開の部族を渡り歩いたりした人。

そしたら、多くの部族が持つ共通の社会ルールを発見したりした。婚姻に関するルール「交叉いとこ婚はOK!平行いとこ婚はNo!」が多くの部族の間で共通していることを発見した。説明は割愛するけど。

このルールを守ると家同士の交流が広がって、社会が発展しやすくなるよ。


しかし、この婚姻に関するルールは別に誰か創始者がいてそれが各部族に伝わったわけでもなければ、何でそのルールがあるのか?と言う理由も良くわからないけど、各部族はそれぞれこのルールを守っていた。

あるいはこのルールが存在した部族だけが生き残っていまに至っていると言うことだったのかもしれない。

けれどとにかく。


「構造」ってのがある②

誰か頭のいい人が「いいルールを思いついたぞ!」それで、ルールの素晴らしさが受け入れられて各部族に採用されたというわけでは無かった。

ここが重要。


人間の意志がまず最初にあって、その意志によって主体的に考えて、いいアイデアにたどり着いたのではなくて、もともとそう言う仕組み、構造が世界には備わっていた。

ルール交叉いとこ婚はOK!平行いとこ婚はNo!を守ると家同士の交流が広がって、社会が発展しやすくなるよ。

これは仕組み、構造であって、発明したものじゃない。

「発見」した。

ジャンケンの3すくみも別に人間が発明したわけじゃない。発見しただけ。そう言う仕組み、構造を発見して、使って(採用して)いるだけ。

枠組み(構造)の中でいろんなことが起こってるだけだった。


  • 実存的、オレ的、主体的であることは無意識から受ける影響を排除できず。

  • 実存的、オレ的、主体的に考えた(ような気がする?だって、無意識から受ける影響を排除できない)「ぼくがかんがえたさいきょうの○○」によらずとも、「発見」した「構造」を採用してそれで成り立っている世界、社会があった。


「ぼくがかんがえたさいきょうの○○」をもぶっ壊した!

<人間は「○○のために」生まれてきたわけではない!自由で主体的に理性を働かせて、決断を積み重ねて、理想の△△を作るのだ!>

たったいま現在だって、そこかしこでこんなような雰囲気の集団、人々が散見されることはイメージできると思う。

例えばどうしたら家同士の交流が広がるか?と、婚姻に関するルールについて話し合っていたとして、「ワタシは○○と言うルールがいい(さいきょうだ)と思います!何故なら・・・!!」と熱弁をふるっていたとしよう。

けど、前項のルール交叉いとこ婚はOK!平行いとこ婚はNo!を守ると家同士の交流が広がって、社会が発展するよ。を知らずに熱弁をふるっていたとしたら何だかアホらしい。

だって、妙案をひねり出さずとも。ただ単にこのルール、構造を発見して、採用することで存続し続けている未開の部族がいるのだ。

「ぼくがかんがえたさいきょうの○○」なんて必要ないんじゃないか?と言う可能性は、婚姻に限らず、どの分野についても言えそうだ。


「構造」を発見して採用すると言うただそれだけである。

まだ発見していない「構造」があるとしたら、<人間は「○○のために」生まれてきたわけではない!自由で主体的に理性を働かせて、決断を積み重ねて、理想の△△を作るのだ!>の持つ意味はかなり怪しくなる。

ある日その問題を解決する「構造」が発見された瞬間に、名案だと思われていたアイデアの数々はきっとほとんど無意味になってしまうだろうし、「自由で主体的に理性を働かせて、決断を積み重ねて」と言う部分が無意識から受ける影響を排除できないのだから、そもそもがフワフワとした話。

仮に<理想の△△>へ到達した場合でも、そこへ到達する条件が満たされたためにゲームで言うところの「フラグ▲▲」が立って、<理想の△△>がそこに現れただけかもしれない。そう言う仕組み、構造だっただけである可能性をいつも否定できない。

とにかく、発見の経緯はさておき。発見されてしまった「構造」がそこにあるならもうそれ以上は何も言えない。ジャンケンの3すくみと言う仕組み、構造があることはもうどうやったって覆しようが無さそうだ。

この「構造」の持つ超高強度さ、覆せそうになさ。これは理性を働かせて本質へたどり着くのだ!の「本質」に似ている気がする。ただ、各自の理性を自由に働かせて!自由闊達に!ではない。

「構造」を発見して採用すると言うただそれだけである。


ついに、構造主義によって「ぼくがかんがえたさいきょうの○○」をもぶっ壊した!「実存主義」は「構造主義」によって粉砕されたのだ。

念のため。これは哲学の歩みにおける話であって、各個人がどんな「主義」を採用して生きているかの是非を問うものではありません。

筆者個人的に言えば、「個人の暮らしは実存主義的」に、「考えごとは構造主義的」であるのがいいのかなと思っています。


次回予告

構造主義もオワコンに…次の刺客は?

それってアナタの感想ですよね?って煽りを真正面から受け止めて跳ね返し、粉砕しようとする戦いの歴史はまた一歩前進した。

けれど、この「構造主義」も次なる刺客によって粉砕されてしまう・・・

哲学と言うのは主観や思い込みを解体しようと言うような取り組み、とすれば、ここまで「構造」って超高強度だぞ!と述べて来たものもまた解体、粉砕されてしまうってことなのです。ドラゴンボールじゃないけど、このどんどんインフレしていくバトルにはワクワクを禁じ得ない。

しかも…次の刺客は「構造主義」の中からやってくるのだ!!


次回は「構造主義」の粉砕のされ方だったり、じゃあその次の主義、新時代の哲学はどうするのさ?について触れていきたいと思います。


以上。感想などなどもお気軽に。

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今回以上です!

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