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「ロックとHipHop」フィッシュマンズの曲を原田郁子さんがカバーしていた話を聞いて思ったこと。

Guitaristのタナカ裕一です。noteはじめました。

「お字書き道TALKSの記事」から借りて来た画像
話し相手⇒書き手。ですね

友人からLINE。先日のフジロック2023にて、フィッシュマンズ「新しい人」を原田郁子さんがカバーしていた。

音楽はなんのために 鳴りひびきゃいいの
こんなにも静かな世界では
こころふるわす人たちに 手紙を待つあの人に
届けばいいのにね

フィッシュマンズ「新しい人」

と言う歌詞が頭の中をずっとグルグルしているのだそうで、何なんだろ?これはと言う内容のメッセージだった。

以下にはいろいろと書くのだけど、念のため、ぼくはフィッシュマンズも原田郁子さんも大好き、ファンのひとりであるし、以下に連呼される「雑魚」と言う言葉も、自分もその一人であって、だから救われたし、救われているのだと言うことは先に書いておきますですね。


思ったこと①

音楽はなんのために 鳴りひびきゃいいの
こんなにも静かな世界では
こころふるわす人たちに 手紙を待つあの人に
届けばいいのにね

フィッシュマンズ「新しい人」

歌詞の全文は引用のとこに貼ってあるリンクから飛んで読んでみて欲しいのだけど、どうもこの手紙を待つ、こころふるわす人たちとは

  • 新しい人 格好悪い人

  • やさしい人 みっともない人

のようだ。「格好悪く」て、「みっともない人」が手紙を待つ、こころふるわす人たち。この音楽、歌詞、曲を求めている人たちらしい。

もう少し説明すると、新しさゆえに既存の社会・世間から疎まれて、格好悪い認定、レッテルを張られて苦しんでいる人。

やさしさゆえに一歩引いてしまうなどして、結果ババ抜きのババを掴まされてしまって、何だかみじめ。みじめでみっともないように感じている人。


だから、落ち込んで自己嫌悪、自分のことが「格好悪く」て、「みっともない人」に思えて仕方ないときなんかに聴くと、その格好悪さや、みっともなさが、自分の新しさゆえ、やさしさゆえ、であるような気がしたり、とにかくそこへ向かってお手紙(この音楽、歌詞、曲)を送ってくれる存在があることに救われそうな感じがしますよね。

ぼく自身も、救われたことがあるし、救われている。

けれど、こう言う世界観の存在は回り回ってより一層苦しさを推し進めそうに思うのだよね。話は続く。


思ったこと②

この歌詞の例えで言うと、ならばそもそも手紙を待つ人がいない方がいいんじゃないかな?と思うのだよね。

落ち込んで自己嫌悪、自分のことが「格好悪く」て、「みっともない人」に思えて仕方ないときなんかに聴くと、救われそうな感じがするね。

と書いたけど、救われる人なんかそもそもいない方がいいんだと思う。全員が既に「救われて」いたらいいんだと思う。

既に「救われて」いたなら、改めて救われることはない。

救われる人は、いまはまだ「救われていない」から救われるのだ。そう言う意味で、救われる人なんかそもそもいない方がいいんだと思う。救われていない人はいない方がいいんだと思う。

みんなが既に救われていて、ハッピーだったらそれに越したことはない。


話は戻りまして。

ではなぜ、「救われていない」のかと言うと、現実にはその弱さのために環境に支配されて、結果さらに弱って、どうしようも無いからと、せめてもの手紙(ロック、音楽etc)を必要としている人はいる。

けど、その人たちがいる前提で、そこに向けて慰みの言葉を投げかけることをビジネスにしているのはどうかと思う。これは批判ではない。現にたったいま私も救われているのだから。

つまり根本のその弱さを解決する方向である方がすがすがしいよね。と言うことで、そうであれば音楽なんか聴いて己を慰んでいる場合ではない気がする。そのiPodsを耳から引っこ抜いて、ベッドから立ち上がれ!

強くなるのだ!!


思ったこと③

しかし、現実には、皆が皆、強くなんかないし、強い人だって弱ってしまう事もあるのだから、「救われたい」と言うことには一定の需要があって、その需要は消えることは無いように思えるけど、何故消えることが無いのかと言えば、結局冒頭に戻る。

つまり、弱いから。

弱さを中途半端に救ったり、肯定したり、しちゃダメなんだよ。

弱いんだから。もし救われるとしても、雑魚は雑魚として救われないとダメなんだよ。

生活保護を貰えるように頑張ってます!(目をキラキラさせて語る)

みたいな清々しい雑魚さじゃないとダメなんだよ。弱いから強者に匿って(かくまって)もらう的でないと。

弱くて雑魚なんだから。

そこを、中途半端に慰めて、謎に肯定して、それで明日も(強者をさらに強者たらしめるための)お仕事(現実、労働etc)がんばってね!

みたいになっちゃうことは、無限ループのうえ、この構造が強化され続けることになっちゃう。


中途半端に救われるのではなくて、自らが自らを救う「強くなるのだ!!

もしくは、弱いのだから全力で強者に匿って(かくまって)もらう。雑魚は雑魚として救われないとダメなんだよ。弱者を救うのは強者の努め。

ノブレス・オブリージュ!!


思ったこと④「ロックとHipHop」

ロックって、当初どうだったかは別として、ある時からこの傾向(弱者に寄り添い、中途半端に慰める)が強くなった感があると思う。だから、原始的、原理主義的なロックはさておき、ある時からこんな傾向だよなあと。

おおよそ元々は、スター、ある種の神様的な存在として、オレ(ロックスター)がお前ら(全員)を救ってやるぜ!みたいな感じだった気がする。

それは、既存の社会、世界をぶっ壊して、到来する新時代、その神として君臨するオレ(ロックスター)についてこい!的であった気がするのだ。

でも、新時代は待てど暮らせどやって来ないし、ジョン・レノンでさえ音楽で世界は変えられなかったよ。


一方、ヒップホップの方が「(何らかの集団)をレペゼン(代表)して、フッド(仲間たち)をオレが背負って、あげてくぜ!!」みたいな感じがあって、いま的なロックと比較すると、好感が持てると言う次第。



フジロック2016に筆者も出たことあるよ!!



以上。感想などなどもお気軽に。

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今回以上です!

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