瓦
私には、誰にも言えない秘密がございます。
これは私の遺書のようなものになるやもしれません。私が死んだときに、もしかするとこの封筒は、綴じられたまま、誰にも見付けられることがなく、永遠に闇の中に葬られることになってしまうやもしれませんが、これは、最後の、ひとつの賭けなのでございます。こうやって気持ちをひとつひとつ字にして、私の罪を告白しておきたいのです。
私は今の年齢になるまで、自分の身が可愛くて、どうしてもこれを言い出せませんでした。私は怖くて、そして勇気がなく、まわりの人間の誰よりも卑怯で、臆病で、そのくせ他人の優しさには鈍感な男でございました。今年で五十一になりましたが、所帯を持たず、職を転々とし、育ての親とも疎遠になり、これまでに友人も何人かはいましたが、皆、私との関係は長続きせず、しまいに呆れて果てて、離れて行ってしまうのです。それというのも、私が極度に内向的な性格の持ち主で、いつもビクビクし、自分からは他人に話しかけることができず、人にほんとうの気持ちを打ち明けることができないような弱い人間ですので、それではいつまで経っても、誰かと仲良くなって打ち解けるようなことはできませんよね。ですから、秘密を誰かに打ち明けるチャンスなどは、一度もなかったのです。おまけに、酒も、煙草も、ギャンブルもやらないので、ろくに誰かと遊んだ記憶もございません。社会に出てからというもの、仕事も続かず、何をやってもダメで、どこにいてもできるだけ目立たぬようにして、ほんとうにいつも一人きりで過ごしてまいりました。
このような性格は、すべてあのときのことが原因なのです。
私はそれまでは、比較的明るい子供だったと思います。友達同士で野球をしたり、段々畑を走り回ったり、隠れんぼや、虫捕り、いろんな遊びをやりました。兄妹も多く、長男坊でしたので、弟や妹をつれてよく川遊びなどもやりました。川では釣りをしたり、藻の生えたカニを捕ったりしました。その頃の楽しかった記憶は今もはっきりとあるのです。両親もその頃は私のことを、面倒見のいい長男だとほめそやしてくれました。私はそれが自慢で、頼りがいのある長男を得意になって演じていたのだと思います。
あれは十歳の夏の日でした。
私は下の弟とともに段々畑で隠れんぼをしておりました。家には妹がいましたが、両親は外出していて留守でした。両親には兄妹の面倒をみろと言われておりましたが、上の弟は友達と遊びに出掛け、妹はまだ小さくいつも居眠りばかりでしたので、私は下の弟と二人で外に出て遊ぶことにしたのです。
そうして弟と、家のまわりにあるミカンの段々畑を駆け回り、そのうちにわけのわからない、探険隊の隊長と部下みたいになって遊んでおりましたところ、いつの間にか、弟の姿が見えなくなってしまったのです。
私は弟の名前を呼んでそこら中を探したのですが、それに弟が答えてくれることはなく、弟の姿はどこにも見当たりませんでした。私はそのとき、弟は、疲れたので家に戻ったのだろうと考えました。
私は急に退屈になり、畑のミカンを無断で取って、はるか下に見える道路をめがけて投げはじめました。
ですが、道路はそこからけっこう遠く、ミカンではとても届きそうにありませんでした。
次に私は、石コロを手に取りました。石コロはミカンよりも遠くに飛びました。けれど、その道路にはもう少しで届きませんでした。
次に私は、半分に割れた瓦を見付けて手に取りました。石コロよりもはるかに重かったのですが、私はそれを振りかぶって投げました。
すると瓦は、ブンブンブン、と勢いよく縦にまわりながら、思っていたより遠くに飛んだのでした。けれど道路までは飛ばずに、数段下の畑のミカンの木に落下しました。
その投げ心地が気持ちよくて、投げがいがありましたので、私は畑の中でまたあらたな瓦を探しました。すぐにさっき投げた瓦のもう半分が見付かりました。
私はもう少し投げやすい場所に移動しました。その場所がミカンの木々が邪魔して投げづらかったからです。
私はちょうど良さそうな開けた場所を見付けて、そこから下の道路を眺めました。道路の白いガードレールがやっと見えておりました。
あのガードレールにぶつけて、カーンと音を鳴らそう。私はそう思いました。
私はまた思いっきり力をこめて瓦を投げました。
ブン、ブン、ブン、とゆっくり瓦は飛んでゆきました。そして、思いの外、飛んでゆき、そのあと木々の中に見えなくなってから、ガシャガシャン、とちょっと凄いような音を立てたのです。
私はびっくりしました。
何の音だろう。何に当たったのだろう。と。
私は怖くなって、あわててその場を逃げ出しました。そして子供ながらに誰にも見られないように低い体勢で、なるべく音を立てずに、なるべく目立たぬように段々畑を家に向かって走ったのです。
ミカンの木は何本も何本もあって、子供の身長はその葉の影に隠れてしまいますので、誰にも見られることはなかったと思います。
家にはやはり下の弟が帰ってきていて、疲れて妹のとなりで居眠りをしておりました。
私はドキドキしておりました。弟と妹のとなりに横になり、忘れよう。忘れよう。とずっと頭に叫んでおりました。
そのうちにどっと疲れて、私は眠りに落ちてしまいました。
それから、いつの間にか両親が帰ってきていて、村中が騒ぎになっておりました。消防車と救急車のサイレンが鳴っていました。
私は、起き抜けに、母が父と話しているのを聞いたのですが、石壁にハシゴをかけて作業をしていた下の家のお爺さんが、ハシゴから落下して道路に頭を強く打ち付けて亡くなったのだそうです。
私は気持ち悪くて倒れそうになりながら、それをまるでこの世から遠ざかりながら聞かされていました。
弟は何もわかっておりませんでした。
そうです。私がそのお爺さんを殺したのです。おそらくは、私の投げた瓦が作業をしているお爺さんに当たって、そのせいでお爺さんはハシゴから落ちてしまったのです。
私も最初は何がなんだかわかりませんでした。夢の中の出来事のような気がして。
そのときの私は、ほんとうに夢なのだと思いこもうとしていたのだと思います。
そのお爺さんと両親とは顔見知りでしたので、そのあと父がお葬式に行ったのを覚えております。
結局、それは事故として済まされました。
私はそれからというもの、人が変わってしまいました。何をしていても、そのときのことが頭から離れないのです。
私は、弟が怖くて、ほんとうに何もわかっていないのだろうか。あのとき家に帰って居眠りするまで、ほんとうに何も見なかったのだろうか。とずっとビクビクしてきました。
幸いにして、弟はまだ幼く、何もわかっていないようでしたが。
そして私は、いつも悔やみました。あのとき、畑で遊んだりしなければ。妹のそばにいてあげれば。あのとき、瓦が半分に割れていなければ。
けれどいくら悔やんでも、お爺さんは生き返ることはありません。私の罪が、許されることはありません。私はこのときから、一生、背中に十字架を背負うことになったのです。
中学に上がっても、働くようになっても、飯を食べているときも、風呂に入っているときも、どんなときも、自分が人殺しだということが頭にあって、ひたすらそれを隠して生きてきたのです。
弟とは、たまに会っております。連絡をくれるので、一年に一度くらいですが、わざわざこっちにまで出てきてくれますから、たまに会って、家族の近状を聞いたりしております。けれども、あの目を、弟のあの目を見ることができないのです。あの透き通るような、人の心を見透かすような、あの目を見ていると、私はどうも後ろめたくて、恥ずかしくて、いっそ死んでしまいたくなるのです。弟は、ほんとうに何も見なかったのでしょうか。
ああ、私にはもう何もわかりません。
私はもう疲れました。私が死んだらきっと地獄に落とされるでしょう。いつか読んだ芥川の蜘蛛の糸にもありましたが、地獄に落ちた者は、きっと、何をやっても救われることがありません。救われるような人間は、はじめから、地獄には落とされないと思います。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。
みつる、だいき、ちえ、元気で。
みなさま、どうかお元気で。
この人生はいったいなんだったのだろう。
ご迷惑ばかりをおかけしました。
大樹はその手紙を綺麗に畳みなおし、封筒に仕舞った。そしてその封筒を背広の内ポケットの奥に忍ばせた。
アパートのドアを開けて、外に出た。冷たい風が重たくのしかかった。もう辺りは夜だった。
国道を跨ぐ歩道橋の上で人や自転車が行き違う。奇抜なネオンが点滅する通りで客引きが看板を持って風に耐えている。信号が赤からまた青になる。
瓦屋根の家々を頭に浮かべながら、
「ならば、俺が糸を垂らそう」
大樹はそう思った。
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