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死骸のちひさし

   ワンスアポナタイム。

   私は私の頭蓋の、歪な十字にひび割れた薄壁を小気味よくたたき、声にならぬ念仏を唱えていた。

   すると、時は満ちた。瓦礫の本体らしきイメージは、一挙にして崩れ去ったのだ。

   その拍子に何枚もの薄袋が破れた。中に詰まっていたポテトチップス状の何かがバラバラに弾けて四散したくらいの音が間近に聴こえ、小気味よくたたいていた木魚には、真っ黒の眼玉が二つ、ぎょろりと幻出した。

   その片方の黒い隙間から洞穴を覗いてみたら、黒の奥にまた深い黒があり、何物も、識別しようにも目視できなかった。目視しようとして眼を点にすると、網膜が充血してきて渇きながらじろじろ熱くなるだけであった。私は負けのような姿勢を改め、頭を悪戯に掻き毟り、それから腰を入れつつスローモーションで屈伸をした。勇足であった。

   さて私は、ドアをひねり、向こう側へこれを開いてみせた。そして足元に沈殿したどろどろのモノを踏み込んだ。目前の天井から破廉恥にぶら下がった反吐のカーテンを唐突にナイフで切り裂き、さらにその切り口の向こう側に現れた己れの残像を抉り出し、これもブラックペッパー状に砕いて掻き消してみせた。ナイフなど、さっきは持っていなかったはずだが、気がつけば右手にしかと握り締めている。私は二つ三つ日本語になっていない独言を吐き、身に絡みつく悪寒を薙ぎ払った。その途端、廊下で生きていたすべてのイメージは雲散霧消し、家屋は焼失した。まったく訳が判らなかった。

   私は腐ったドス黒い脳髄をごまかしの巣窟の実世界たるこちら側へすべて引きずり出した気になって、急拵えの空閑から中核の肉の塊に向かってからだごといっきに銀貨のようにめり込むと、血とニコチンの臭いが充満する、グロテスクの装飾のある新たな部屋に入り込んだ。いとも容易く引き裂ける肉は、豆腐ほどに柔らかかったのだ。

   それから私は、私と云う小さな存在に没入した。

   私は恍惚感を伴う光と交わった。

   其処にはなにやら一風変わった、おしゃべりな彼奴等がおった。私はその、その芸術的な表面装飾として体を成す一群と、目と目を合わせた。それらのケバケバの極彩色であり、立体の失われたモノクロにもなりえる奇怪な絵画は、私に対し、まるで聖母の名画を模したかのような、奇妙な、奇怪な、旧知の笑みを浮かべて煤けた壁に飾られていた。

   ...たしか、今し方考えていた冒頭はこうだった。

   さらに私は続ける。

   彼奴等は、かつて私がまだ母の胎内に住んでおった折から、そのなめらかな羊水の寝室に小さく丸くなって横たわる私の原型となるであろう、産まれたばかりの穢れなきやわな珊瑚礁の隅に、すでに恭しくタコ壺然としてこちらに空洞を向けつつ鎮座していたものかもしらぬし、あるいは私が惨めに幼少期を過ごした、あの朧げなる追憶の断片、割れた硝子越しにわずかに視え隠れしている、まだ天使が天使だと自負していたなんとも哀れなる晴天の日、ちょうど童らが笑って戯れながら藪に紛れたり川で水浴びをしたりした際に出会す山蛭に化けて、耳から鼻から口からアナルから偶然に貫通、闖入されたものかもしらん。あゝそのような、むやみに文字数ばかりが列なり、漫然とジョーカーのカードだけが卓袱台に積まれてゆく卑怯なイカサマで私は空白を、空白を、空白を驟雨に似た灰色で、灰色で、灰色で空白を彩る。そんな木魚の下卑たリズムはともかくとして、話をしておきたいのは、私はそのようにして頭の中に巣食う"虫"たちに魅入られてしまい、目前の先何十年をこの辛辣な蟲とともに生きてゆく奇縁を結んだということである。その蟲の実体を、私はついぞ掴めなかった。

   軽快なリズムで、愈々人生がはじまったのさ。

   たとえば人生に不遇はつきものであるが、不遇とはつまり、私の場合、披露するべき時期を耐え忍んで待つ必要に迫られた、人生を費やした一発のジョークなのである。つまり私がそれをいつの日か大いに物見客に披露するべく、昼間2時代のディレクターとしてやすっぽい悲劇を喜劇っぽく育て上げたのだとしたら、私は今や、そのマニュアル通りに改竄され完結された脚本を懐に大事そうに隠し持っていることになると云えよう。

   しかし、あのときの私は違った。自我に目覚めた私は、皆に同じような具合いで燦然と笑って欲しくはなかった。真剣に耳を傾けて、そこでじっと待っていて欲しかった。

   喜劇とは、決して、ただ笑えるだけの種類のものではないのである。眉間に皺を集め、けれども口角は少しだけ意地悪く尻上がりになっているその冷たい表情を、いつしか私は求め、アンダーグラウンドの床に、コンタクトを探るような具合で這い回っていたのだろう。

   それにしても言葉になる以前のものが、淀む。淀んで重くなり、地に付くほど弛んでしまう。淀むことで、現場側と管理側の方では情報がスムーズに伝達せず、つまりは辻褄が合わなくなり、よってさまざまな情報が錯綜し、しかるにそんな時でも、幸せな巡り合わせは一度も回って来ないのである。運命は変わらず、時の鐘は止まず、定期的に気怠い絶望感がやって来る。

   このまとまらない思考の一本調子が、いつも決まった箇所で滞り、抽象的に存在するそのドアの前で具体的に渋滞している。勢いがあって、八つ当たりで、どこをどう防御しようにも、無茶苦茶な、多勢に無勢の状態では、手の施しようがない。ここにいると、下請け企業の物流倉庫にいる気分になる。どんどこどんどん積荷が落とされ、仕分けなど間に合わず、どんどこ焦り、どんどん追い詰められる。ここにいるだけで、ここにいたいわけじゃない。けれどもドアはなかなか開かない。ドアはフェイクである。あらゆる荷は仕分けられず、積荷はしかるべきトラックに載らない。しかるべきトラックに積載されぬと云うことは、つまり積荷はしかるべき宛先の住人には届かないと云うことになる。

   倉庫の嘘が、嘘のまま実在すると云う、嘘。

   意識をそのような陰鬱な倉庫から、一度外へ向けてみるのだ。外は外で、きっと閑散としているから。

   ここで私は次のシーンに気が付く。

   湯桁にぽつんと落ち、かき回すとじんわり浸透してゆく赤い血液がある。君の鼻血や、君の潰した面皰の血だ。その血がぽつんと滴り落ち、湯桁にゆっくりと浸透してゆく、この感じがある。たしかにある。私は今、液体化している。

   堆積した濃密なオレンジの夕焼けは、まさに鮮烈な血の赤だ。山間から放射線状に段々と青黒くなってぼやけてゆき、やがて真っ黒に溶けて奥深く浸透する。まだかろうじて明るい夕闇の上澄みでは、鴉が群れて山並みをまたぎつつ悲しげに鳴いているが、塵を猛烈に巻き上げながら、かと思いきやそれを瞬時に離して落下させてしまう冷たき北風の視えない渦と渦が、それらの素朴な風景を無用に取り巻いてしまった。

   そして私の世界は、私を私の内側に執拗に形作ろうとしているのである。なるほどすべての動きが、すべての振動や蠢動は、最期は重力に引っ張られて重々しくぬかるんだ箇所に集まり、つまりそれに伴って意識は私を、私の意識の中に留まらせるのである。それらは沈殿し、やがて固着し、カビやサビになる。私はそこへ永久に気を取られる。

   頭蓋の内で暴発し、脳みそごと生臭い破片となった。魂も、何もかもが、ミクロの印象物になった。

   そこで、私はいっそミクロの印象物になって、無様にコンクリートに横たわった灰色の骸骨の前に立ったのだった。チェルノブイリ原発の面影があった。差し出されたクエスチョンマークがあった。そして私は正座して、ノックした。天国へのドアを、正座したままノックしたのだった。ノックをしても応答は無く、私のノックは前衛的なリズムを帯び出した。そうするうちにリズムはやがて歌になり、歌はやがて呪詛となったのだ。

   中空で散布されたカス。それが、霧状に霞んで視える。皆がぽかんと口を空けてその靄の中にいる。

   カスは、灰の雨となり、しかるに地中に浸透することはなく、地面に霜降り生地となって襤褸が敷かれた。灰色の毒であり、有毒の灰であった。決して視覚的に灰色だというわけではなく、心象的な、灰色の、切り取った言葉に魅せられた為の視覚異常であった。灰色に彩った自らの煉獄を歩き、便利なちりとりを携行して慰み半分戯けていた。この場合のちりとりとは、純粋な道化であった。

   薄れゆく意識と薄れゆく日々を思い、私はドアをノックし続けた。

   ここに孤立する、一葉の写真を見よ。

   この写真に写り込んだ鏡のような空は、仰々しく澄んでいる。真っ青に怯えて、澄んでいながら、雲翳と淀みを隠してチカチカまたたくのだろう。卑猥なやり口で、見る者を魅了している。私は、写真に写り込んだ隙間に動かぬよう植えつけられた、四角い中空の一切の無を眺む。実際の空閑を放棄し、一切の行為の無い空閑に閉じ籠もらんとする。

   私は、時の早さ、社会の移ろいの早さ、人生の過ぎ去るむなしさを痛切に感じて生きた。

   他人から時間を託され、その時間が青々しさを保ちながら舞い落ちてきて、磁石のように我が身に降り掛かり付着する。その瞬間にはクエスチョンマークがある。場面に差し出されたQには、アンサーとなる返球が必要である。私は急いで脳の全システムを稼働、回転させるのだが、その検索結果がなぜだか口からなかなか出て来ず、あ、あ、あ、あ、とつっかえたまま暫し全体的なものが中空に浮いてしまうのである。当然、他人からすれば、たまったもんじゃない。貴重な時間が、はっきりとかがやく一瞬が、今にも燃え尽きてしまいそうな頭文字の藻屑によって、苛立ち、同情、差別、嫌悪といった一日に隠された忘れ去られるべき出来事に成り下がるのである。人生と云うなら、君らは人生を待ち侘びることなどしなくてよいのだ。時間は皆に平等なのだから、忘れ去るべき無駄はできるだけ排除していけばよい。君らは白く輝く羊たち、黒く光る狼たちだ。しかしその苛立ちを、嫌悪を、私が最も自らに感じ、私が自らそれを生成しているのだから、これは当然、ダメである。あれ、なんか、おかしい、と云う漠然とした不安から可愛い芽が出て、やがて大きくそれが生育し、醜悪さを醜悪さと自覚するまでに、大した月日はかからなかった。私は自分が白痴だと考えるに至った。毒々しい花が鉄のレール脇に咲き誇った。

   散文的だと人はきっと云う。人の思考とは元来散漫なものだろう。理路整然と分割され種別に抽斗に考えがまとまっているのなら、彼も君も、あんなにも頭の中の機械構造が複雑奇怪にはならぬだろう。頭蓋に張り巡らせた電子の通過する蜘蛛の糸。あるいはもつれた、ネバネバに発酵したもの。

   生活力の乏しい人間ほど、夢みがち、過信に陥り易い側面が、残念だが確かにある。これだけできないことが多いのは、何かひとつ、皆にはできぬとっておきのことが秀でてできる力が実は備わっているからで、できないことが多いのは、その為の犠牲なのかもしらんと。そ、そ、そのように私もあなたも考えがちである。

   夢をみて、なんら生活には直結していないのだ。私は生まれながらにして、そういう種のタチの悪い人間かもしらぬ。

   書かねばならぬことがあるが、書いてしまえば、完成してしまう。完成してしまったら、もう取り返しがつかない。書いたものはゴミでも、焼却できぬゴミである。だから怖い。

   だから、私の最初の灰色の景色を話そう。

   まだ四、五歳ほどだろうか。私は園児が着る幼げな制服を着用していたから、おそらく、園児、そのものだったのだろう。皆は凧揚げをして走り回っていた。たしか造成地の乾ききって死んだ土の上に、私だけはカカシと見紛うほどぼうとつっ立っていた。ふしだらに切り立つ崖と早春の寒空を見上げて、そこに風とともに飄然と立っていた。山を半分断絶したような場所だった。私は知らぬ間に皆に避けられ、知らぬ間にあしらわれて、1人で広場の隅にいたが、山蔭の風が冷たくて、骨の髄から寒さに震えていたのを思い出す。たしか、雨上がりの晴天の日であった。数羽のゲイラカイトが空高く飛んでいた。逆光によってその派手な模様は真っ黒になり、何がなんだか飛んでしまえばわからないが、自分たちでつくった、思い思いの表情をした数十羽の鳥たちが、強い風に吹かれて水溜りの底を激しく飛んでいたはずだ。上昇する風が埃も凧も童心も巻き上げていた。そこには視えない渦と渦あった。私の記憶が正しければ。

   私は突然、倒れた。意識が朦朧とし、身体中が硬直して、硬い土に叩きつけられた。まだ風は渦を巻いていた。頬を撫でてゆく地上の冷ややかな流れを感じた。視界はモノクロだった。色彩がまったくなかった。恐怖も、焦燥も、憤りさえ瞬時に掻き消された。

   私は水溜りに浮いていた。かすかに、泥の表面に上空が映り込み、黒い凧が静止画のごとく静止していた。

   誰かがそんな状態の私に気付くまで、随分と時間がかけられたのを覚えている。貧血か、パニックか、ストレスか、貧弱ゆえか、原因はわからぬが、"助けて"の最初の"た"の音さえ、口から出ては来なかった。私の身体は完全に固着し、サビとなり、朦朧とした意識の中で、一羽のゲイラカイトだけが低く低く水溜りの底を舞っていた。

   私に侵入するな。私に侵入するな。

   私は念じ続けた。

   今、私は住宅地の隙間に落ちてくる冷たい日向に身を屈め、夢想に耽っている。

   私の頭蓋には、沢山の死骸があるからだ。

   死骸のちひさし。

   その死骸をひとつずつ、優しく愛でている。

   私は小説を書く。

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