見出し画像

ナレッジネットワークという組織

2001年12月にそれまで勤めていた会社を辞めて独立しました。
2002年1月4日に設立したのが『ナレッジネットワークコンサルティング』という会社です。当時は株式会社設立の最低資本金が1000万円ということもあり、資金が足りない私は有限会社としてこの会社を立ち上げました。

なぜ、ナレッジネットワークなのか?

誰しも自分の会社を立ち上げるという時に、社名については悩むところだと思います。当時、ほとんど個人でのコンサルティング事業として会社を立ち上げることになったので、「森戸企画」などの個人名をつけた会社名でもよいのでは?ということを友人たちからは言われました。ただ、会社名には事業のビジョン的な部分も含めた方がよいのではないかという思いもあり、会社として、個人として実現したい世界観を社名にしました。

ナレッジネットワーク:
知識(ナレッジ)を組み合わせて(ネットワーク=連携して)価値を創る

今でいうシェアリングエコノミーのスキルシェアやクラウドソーシング的な発想です。もともと、大手のシステム会社の中で働いていたサラリーマンだった私は、会社の中での事業の作り方は一通り経験してきました。11年間のシステムエンジニア育成講師、7年間のクライアントの事業創造のためのセールスエンジニア、4年間のクライアントの課題解決のためのコンサルティングなど。その中で、大手企業が自前主義で新しい事業をつくることの難しさ、海外や首都圏の企業が地方で事業展開することの難しさ、大手企業の中に居続けながら常に変化し続けることの難しさなどを感じていました。

アルビントフラー(未来学者)が言っていた第3の波


に影響を受けてIT関連企業に入社した私としては、なかなかその波がこないな...と。工業化(昭和のモノづくり)時代の業務形態でその業務効率化を支援するITというツール。たしかに少子高齢化で人手不足時代になるのはわかっているが、人の動きをサポートするためのITではなく、人の替わりに働いてくれる技術、その場(職場)に人がいなくても違う場所から人が働ける技術、優秀な人の頭脳を皆でシェアできるような技術が出てくれば、

固定化された正社員雇用(終身雇用)
8時間勤務(勤務時間の固定化)
固定された職場(勤務地の都市部への集中)
定期的な転勤(これはあまり意味がわからなかった)
劣悪な通勤環境(満員電車での通勤はもはや肉体労働)

などが改善できるのではないかという思いが強くなりました。

そこで独立して、作った会社の名前が、

ナレッジネットワーク

東京以外の地域や、大手企業ではなく中小企業のITによる変革支援ができればという思いで、講演やセミナーで全国を飛び回りました。

今では累積の講演やセミナーの回数は、3000回を超えています。その移動距離や費やした時間の分だけ人のネットワークは構築できました。明治、大正、昭和の時代に作られた業種、東京から放射線状に繋がっている地方都市、シニア層が歪に膨らんだ人口構成など、分断されている業種、地域、世代を連携させて価値つくりする素地をつくるには、まずは自分がネットワークのハブになれるように全国各地の人に会わないといけないという思いで、飛び回りました。その連携のベースになっている施策は総務省、経産省、様々なITベンダーが一緒になって取り組んだ

全国IT推進計画になります。全国の自治体、公的団体(商工会議所など)、地方銀行、信用金庫などの金融機関などの協力もあり、ほぼ毎日、全国どこかで講演やセミナーを開催しているという生活が4年ほど続きました。地方都市の企業のIT化、中小企業のIT化がまずは急務だ!という思いでしたが、支援をする中で、昭和の産業ベースで業務効率化だけを謳っていても効果を出すのは難しく、時代の変化に合わせて業務変革、新事業開発を推進していく必要があるという思いが日に日に強くなってきました。

日本マイクロソフト社の活動を引き継いだ組織が一般社団法人日本中小企業情報化支援協議会になります。

文字通り、日本の中小企業の業務変革を情報化で支援しようとする組織です。こちらの活動も10年ほど行なっていく上で、事業承継などを本気で考えるのであれば、昭和的な事業は大きく変革して新事業創造的な動きに大きく活動をシフトしないといけないと感じています。今、日本はベンチャー的な動きをする企業や人に対しての支援を厚くしています。その動きと中小企業の事業承継や地方都市の課題解決の間には大きな溝があり、支援者の違い("過去の成功体験や知識での支援者" と "未来を切り拓く勇気と知識を与えてくれる伴走者")で、結果も自ずと変わってきているようにも感じています。この組織についても近い将来、大きな変革を求めないといけないと考えています。

なぜ、大学生を支援するのか?

昭和的な産業構造や雇用形態、マネジメントから脱出できない日本の企業が、次世代を切り拓く若者に強いているのがいわゆる就職活動ではないかと常々感じていました。合同会社説明会、エントリーシート、SPI、面接などネットがなかった時代の工夫を、いまだに学生に強いているようにも見えます。「こちらの村に入るためには、郷に入れば郷に従え」と言っているようにも見え、彼らの想像性と無限の可能性を潰しているのが就活ではないかとも感じています。当然、言われたことだけをやるという作業要員的な仕事もあるわけなので全てに当てはまるという訳ではありませんが、そこにはアルバイトやパートという仕事があり、高等教育を受けている大学生を思考停止に陥らせるようなアプローチはいかがなものかとも感じています。

ただ、一方的に変われない企業サイドが悪いとも思っていません。大学で何も考えずにダラダラと過ごしている学生がいるというのも事実です。また、企業と同じで変われない教育機関(大学)という存在が問題を複雑にしています。ただ、複雑になればなるほどシンプルに考えることも重要だと思うので、企業を変えよう!学生を変えよう!大学を変えよう!とするのではなく、サードプレイス(まったく別の場)をつくるというアプローチがよいのでは?と考え、2つの場を作りました。

肩に力を入れて、教育改革だ!就活を変える!などと言わずに、そもそも大学にしても、就活にしても昭和の工夫なので、今から必要となる場を作ってみてはどうか?というアプローチです。

社会に対して新しい価値を提供して、その反応をみながら応援してもらうNPOという組織。次世代に必要となるサービスを創造して実際に販売して事業化していく会社という組織。その2つを大学生中心とした若者に任せています。大学に通いながら新しい自らの未来を切り拓くにはよい環境ではないかと思います。なんでもやってあげる(守ってもらっている)大学にいる大学生にとっては最初は戸惑いもあるようですが、作業を行うアルバイトなどよりも、企業の仕事の一部を手伝うが結果責任が伴わないインターンシップなどよりも様々な学習ができているようです。

最近、その学生にラジオという昭和のメディアの企画・運営を任せています。過去の価値を将来の価値にするために連携の重要性などを学ばせています。ラジオは情報提供だけでなく、人の出会いの場、新しい視点を持つ場、新事業創造の場として定義しているので、リスナーの数だけでなくメディアミックスによる価値創造に重きをおいています。その価値がわかる企業に協賛をしてもらい運営を行なっています。

学生は本当に可能性の塊で、きっかけを掴めれば大きく化けます。ただ、20年ほど昭和的なしばりで物事を判断する習慣がついていますので、頑な部分もあるので10年以上、試行錯誤しています。ただ、確実に進歩している実感と彼らでも簡単にサービスを作れるテクノロジーの進歩というのがあるので、最近は大きな手応えを感じています。


つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?