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無意識の深みと美しさ

なんとなくですが、

信頼も共感も有意識で行っているうちは限界があるように思います。

無意識で行えるなら底知れぬ深みや美しさがあるのではないでしょうか。

感謝しようと思ってする「ありがとう」と、
心のうちから湧き上がる感謝の気持ちの「ありがとう」は、
同じ表現だが伝わり方はまったく異なる気がします。

自ら意識して「ありがとう」を発するのではなく、「ありがとう」の方が自分の体に宿るような、そんな湧き上がり続ける生き方が自然なような気がします。

でも、意識して「ありがとう」を発するのがダメなわけではなくて、
無意識で信頼や共感が宿るには、最初は意識的に信頼し共感するんだろうなと。

信頼して信頼し切る。
共感して共感し切る。

そして喜びだけでなく、裏切られたり、自分のエゴを感じて苦しくなることもある。

どうしようもなく無力を感じるほど信頼や共感をした先に、無意識の信頼や共感、そして利他の心が湧いてくる。

だから、人を信頼したり共感したり愛したりすることは、意識的でも無意識的でも美しさへと導かれていると信じて、諦めなければよい気がします。



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