【全話】ドラマ「たとえあなたを忘れても」神戸街歩き弁護士の考察まとめ
ドラマのロケ地に主に着目しながらドラマ考察を続けてきましたが、ここで、これまでの考察をまとめておきます。ロケ地に着目することで、意外なことが見えてきました。
美璃・空(沙菜)・茜の家はどこに?
これまでの考察をもとに、上のようなマップを作成してみました。
すると、美璃・空(沙菜)・茜の家をつないだエリアのほぼ真ん中に、美璃・空が初めて出会った場所(石屋川公園)が位置していることが分かります。
美璃の家はどこ?
美璃の住んでいる場所は、第3話のシーンから、灘丸山公園の付近と推定されます。
第3話で、美璃がみなと銀行水道筋支店から北上した場所を歩く帰宅シーンがあります。そのシーンでは、背景に神戸市バス2系統が映っていることから、美璃の住んでいる場所は、灘丸山公園の付近と推定されます。
実際にマップにしてみると分かることは、空がキッチンカーを出していた場所(実家の近く)と、美璃の家が、それなりに離れている点です。美璃は、空に会いに行くために、JR摩耶駅まで歩いて(片道徒歩30分程度)、そこからJRと六甲ライナーを利用していると推定されますが、この距離を毎日のように往復する美璃の献身さが感じられます。
※市バスを利用するルートもありますが、倹約家の美璃は、市バスを利用してはいなかったと想像しています。
なお、空と沙菜が通っていた神戸高校や、空の父親の墓地(長峰霊園)も、この近くに位置します。
空(沙菜)の実家はどこ?
空(沙菜)の実家であるアパートは、六甲アイランドのリバーモールの近くです。このことは、空の母親が、(リバーモールで出店していた)空のキッチンカーから(美璃と一緒に)自宅に戻る際に、「すぐ近く」と話していたことから分かります。
茜の実家はどこ?
保の患者である茜の実家は、阪急御影駅の近く(かつ南側)であると推定されます。このことは、第5話・第6話で、茜が同駅南側のケルン(パン屋)で同級生と会うことや、その他のシーンでも繰り返し同駅の近隣が登場することから推定されます。
保の勤める病院はどこ?
保先生の勤める病院は、神鋼記念病院です。美璃と保先生が時々ご飯を食べているのも、院内にある「然の膳」という食堂です。
もっとも、ドラマでは架空の病院とされているため、もしかすると、六甲アイランド近くに位置している設定なのかもしれません。
美璃と空が初めて出会った場所はどこ?
美璃と空が初めて出会った場所は、(御影公会堂の近く)石屋川公園です。前述のとおり、石屋川公園は、美璃・空・沙菜・茜の住む場所のほぼ真ん中に位置し、このドラマにおいて重要な意味のある場所であることが分かります。
美璃と空がいつも訪れる廃墟は?
美璃と空がよく訪れる廃墟は、(旧)摩耶観光ホテルです。摩耶観光ホテルからは、ここまで紹介した美璃・空・沙奈・茜の家、そして、石屋川公園を一望することができます。
摩耶観光ホテルは、美璃と空が現実社会の時間から解放される場所であるとともに、このドラマを象徴する場所でもあります。
さらに、摩耶観光ホテルは、このドラマのテーマにかかわるもう1つの重要な意味があります。その点は、後ほど言及します。
「火垂るの墓」から着想を?
考察を重ねるうちに、このドラマは「火垂るの墓」から着想を得ているのではないか?と思い至りました。
「火垂るの墓」はどのような話だったか?
戦後間もないころ、妹の節子の後を追うように、現JR三ノ宮駅で清太が亡くなるところから物語が始まります。亡くなった清太は、間もなく節子の霊と再会し、神戸空襲当時の世界へと誘われます。
神戸空襲の戦火を逃げ延びて河川敷にたどり着いた清太と節子は、焼け野原となった神戸の街を目の当たりにします。その場所こそ、現在の石屋川公園であり、このドラマで美璃と空が初めて出会った場所です。
そのとき、清太は、節子に対し、御影公会堂を指しながら、「みてみ、あれ公会堂や」と話します。
その後、母親を亡くした清太と節子は、西宮の親戚の家で暮らすことになります。しかし、清太は親戚のおばさんと対立するようになり、ニテコ池の壕で(子ども2人で)自給自足の生活を営むようになります。
しかし、子ども2人での生活は最終的に限界を迎え、最終的に、節子を死の道へと追いやることになります。
節子を弔った清太は、ニテコ池の壕には戻らず、現JR三ノ宮駅で息絶えます。
このように、清太と節子は、(死後も)戦時下の経験をループしながら、現代の神戸の地に今なお宿り続ける霊となります。
物語は、清太と節子の霊が、山上から神戸の市街地を眺めるシーンで幕を閉じます。
ループし続ける運命
このドラマでは、過去のつらい体験(父親の死)を潜在意識の中で何度もループ再生し続ける空、そして、空が記憶を失うたびに失恋を繰り返す美璃や沙菜の運命が描かれています。
(記憶を失っていたころの)空が、美璃とのドライブで、毎回のように、(淡路島での釣りの思い出を連想させる)海や、(高校時代の通学コースや実家を一望できる)旧摩耶観光ホテルを選択していたのも、潜在意識の中で、家族のこと(父親のこと)を何度も思い出していたからではないかと推測します。
つらい体験を何度もループする運命、そして、その背景にある「死」というテーマが、「火垂るの墓」における節子や清太のことを連想させます。
「火垂るの墓」を連想させるシーン
前述のとおり、空と美璃が初めて出会った場所(石屋川公園)は、清太と節子が焼け野原となった神戸の街を目の当たりにした場所でもあります。この場所には、「火垂るの墓」の石碑があります。
また、「火垂るの墓」において、清太と節子が山上から市街地を眺める場所は、千万弗展望台と推定されます。千万弗展望台は、ドラマに度々登場する摩耶観光ホテルに近接しています。
さらに、第5話では、父親のお墓参りに訪れた空に、沙菜が、“死んで生まれ変わったときに私のことを思い出してほしい”という(何とも意味深な)言葉を投げかけるシーンがあります。このような沙菜の言葉も、霊となった清太と節子が再会するシーンを想起させるものです。
このように、このドラマの中では、「火垂るの墓」を想起させるシーンが度々登場しています。
「火垂るの墓」との決定的な違い
このドラマが「火垂るの墓」とは決定的に異なるのが、ループの中で生き続けるのではなく、その運命からの脱却が大きなテーマとなっていることです。
全体を通じて決して明るい内容ではありません(その理由として、このドラマがもともと「火垂るの墓」から着想を得たからではないかと考察しています)が、希望の光が常に感じられる展開が、このドラマの魅力を引き立てています。
空は美璃のことを再び忘れるのか?
第1話の最後、空が美璃のことを忘れたのはなぜでしょうか。
このとき、空と美璃とが待ち合わせをした場所は、山陽電鉄の須磨浦公園駅です。
あくまでも推測ですが、空はこの日、須磨浦公園駅(あるいはその近く)まで来ていたのではないかと思うのです。
車窓から須磨浦や、その先の淡路島をひとりで眺めていた空は、父親との幼少時代のこと(洲本の海岸で一緒に釣りに行った思い出)、そして、父親の死について想起し、蘇るトラウマから、再び記憶を失ってしまったのではないかと想像しました。
ただ、空は、美璃と海に出かけたときには、記憶を失うことはありませんでした。このことから、美璃とともに人生を歩んでいけば、父親の死へのトラウマによって再び記憶を失うことなく、生きていくことができるのではないかと思いました。
この点について、保先生は、空が頭に強い衝撃を受けて1週間にわたって意識を喪失したことを理由に、「再び記憶を失うかもしれない」と指摘しています。たしかに、空の記憶喪失の原因が、外傷性の高次脳機能障がいによるものであれば、保先生の指摘も理解できます。ただ、空の記憶喪失の原因は、高次脳機能障がいではなく、父親の死に向き合えないことへの心的要因にあるように思うのです。そうであるならば、美璃とともにトラウマを乗り越えることさえできれば、空は再び記憶を失うことなく、2人で人生を歩んでいけるのではないかと思うのです。
なお、第7話は、空が美璃のことを忘れたようなシーンで終わりましたが、こちらについては、(美璃を支えていくことへの自信を失って、美璃に自分のことを忘れさせようとするための)空の虚言ではないかと予想しています。
ところで、このドラマのタイトルが、「たとえあなた『が』忘れても」ではない点も、重要なポイントであるように思います。
仮に、空と美璃との関係を表現するならば、「たとえあなた『が』忘れても」と美璃の目線からの表現を用いるのが自然だからです。
このタイトルは、「たとえ『父親のこと』を忘れても」、その過去から解放されることのない、空の運命を示しているのではないかと思い至りました。
このタイトルは、(たとえ記憶を再び失うことがなくても)空が過去と向き合いながら生き続けることを暗示しているように感じます。
空は、たとえトラウマから解放される結末を迎えるとしても、過去の過ちと向き合う姿勢を失うことなく、生き続けるのではないかと思います。
美璃は過去のトラウマから脱却できるのか?
美璃は、過去の失敗からのトラウマで、ピアニストとして生きる希望を失っていました。ただ、過去のトラウマを乗り越えようとする空や、同じく記憶障がいをかかえる茜との出会いを通じて、再び昔の希望を取り戻しつつある姿がうかがえます。
そのように感じさせるのが、美璃が第6話で演奏した、自作曲です。
この曲は、前半で大きな盛り上がりを見せた後、後半で短調的な表現へと遷移します。これは、自身の過去のプレッシャーと挫折を表しているように感じました。そして、終盤の穏やかなメロディが、再びピアノを純粋に楽しむ心を思い出しつつある美璃の心境を表しているように感じました。
このドラマは、挿入曲も魅力的です。静穏なメロディーと、シリアスな展開とのギャップが、視聴者の心を惹きつけるように感じられます。
まとめ
このドラマは、ロケ地や音楽に着目して考察することで、ストーリーがより深く理解できます。視聴率が伸び悩んでいるようですが、私個人としては、奥深さのある作品であるように思います。
神戸・兵庫街歩きブログのご紹介
最後に、私が不定期配信している街歩きブログのご紹介です。
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