月9ドラマ『女神の教室』第6話の考察(弁護士の視点から)
第5話に引き続き、「女神の教室〜リーガル青春白書」第6話を見て弁護士視点で個人的に気になったことを、つれづれなるままに書き留めます。
藍井ゼミがいよいよスタート
いよいよスタートした藍井ゼミ、今回は「憲法」が課題です。さて、憲法について様々な文献を読み込み、法学にも精通した藍井先生が、学生たちに何を伝えるのかと、期待が膨らみましたが・・・。
「表現の自由を制限する問題では厳格審査基準だ」
この藍井先生の言葉は、多くのロースクール生にとって拍子抜けしてしまうものです。なぜなら、「表現の自由」で「厳格審査基準」を適用するというのは、(ロースクールではなく)法学部の憲法の授業ではじめのほうに習う「あまりにも基本的」な話だからです。「優秀な精鋭たちを集めて、何の話をしているのか」と。私自身、はじめはそう思いました。
ただ、改めて考えると、この藍井先生の言葉は、司法試験対策において重要な視点であるように思います。
私がロースクールに通っていた頃、ある教授が、講義の中で、「ロースクールで難しいことばかり覚えて、基礎的なことが理解できていない学生が多い」とおっしゃっていました。ロースクール生になると、「大学生時代に基礎はマスターしている」という思い込みから、基礎的な理解を疎かにしていることが多いように思います。それは、私自身もそうでした。
「曖昧な規範や原則をベタベタ貼り付けようとする者がいる」
この一言に、はっきりと、「あー、やってたな」と思いました。ロースクール生になると、「大学生時代とは違うから、もっと難しいことを勉強しないと」という心理が働いて、様々な学説の勉強に手を出してしまいます。これ自体は法律の勉強において有益ですが、問題は、その学説に対して十分な理解もないのに、大切な試験の場でその曖昧な規範を披露し、失敗してしまうことです。
この失敗の恐ろしいところは、自分で「失敗だ」と気づけないことです。自分の中では、「難しい学説のことまで触れられたから、答案で勉強した成果を出し切ったぞ!」と思い込んでしまうのです。
※「規範」とは、事案を解決するための前提となる法律的な考え方のことです。例えば、契約の成立について検討するならば、「一方が申込みをしたこと」、「その相手が承諾をしたこと」が「規範」です。法律的に事案を解決するためには、その「規範」を踏まえて、「レジで買い物かごを差し出すのは申込みか?」「店員がバーコードを通し終えて金額を告げる行為が承諾なのか?」などの検討(あてはめ)をしなければなりません。
「単なる抽象論では、答案としては全く意味がない」
この一言も、「あー、本当にそうだな」と感嘆しました。司法試験の憲法の論文式問題は、長文で書かれた複雑な事案を読み込み、規範にどうやってあてはめるかを論証するものです。
「単なる抽象論」とは、「規範や原則をベタベタ貼り付け」ることに答案用紙を割いているものです。「規範や原則」の論証に時間を割くと、それだけで与えられた時間の多くを使い切ってしまい、本当に答えなければならないこと(「その規範を踏まえてどのようにこの事案を解決するのか」)に割く時間がなくなってしまいます。
憲法の論文式問題は、与えられた事案から必要なキーワードをすべて拾い上げて、それを答案に反映させることを求めています。そこを意識できているかどうかが、司法試験合格への大きなカギとなります。
制作スタッフの本気
藍井ゼミの講義シーンは1分程度でしたが、そこで(ドラマの展開にはほとんど関係のない)試験対策のノウハウを詰め込んできたことには、制作スタッフの本気を感じました。
藍井ゼミ部屋は文科省の方針への反発心を象徴している
窓のない薄暗い空間、外向きに置かれた机、あの謎めいた部屋は、どのような意味があるのでしょうか。
なぜ窓がないのか?
藍井ゼミ部屋には、なぜ窓がないのでしょうか。
試験対策においては「本番に近い環境で練習する」ことも重要ですから、窓のない部屋で勉強することが試験対策上有益な方法とは思えません。藍井先生も、その点は理解していると思いますので、おそらく、もっと別の意味があるのでしょう。
あくまでも私見ですが、この部屋は、藍井先生が「外では言えない本音」をさらけ出せる場なのではないかと思います。
法科大学院における教育方針について、文部科学省は、次のような考え方を示しています。
藍井先生は、あの部屋で、「答案の型を覚えろ」「議論は一切しない」「暗記しろ」と熱弁していましたが、これは、文部科学省の方針に真っ向から反するものです。
藍井ゼミが、門外不出の「裏授業」である理由は、まさにここにあるのだと思いました。
外向きに置かれた机
机が外向きに置かれているのも、議論を本質とするロースクールのあり方に真っ向から反するものです。
第1話の考察で、藍井先生の授業が、本来のあり方(ソクラティック・メソッド)とは異なる暗記型教育であることに触れましたが、藍井ゼミ部屋は、まさに、その究極形といえます。
藍井ゼミが司法試験合格への最短ルートなのは事実
藍井ゼミのやり方は無味乾燥で、教育といえるのか疑問ではありますが、司法試験合格のための最短ルートを貫いていることは確かです。
司法試験合格者の数だけでロースクールの善し悪しを測られる社会では、ロースクール制度の真の理想は追求できないという現実を、痛感させられます。
柊木先生への恨みにつながった一言
左陪席裁判官の「訓戒」?
柊木先生が被告人から恨まれた「1から人生をやり直してください」という言葉、そもそもあれは何だったのでしょうか。
一見、柊木先生の言葉は、判決後にありがちな裁判官の最後の一言なのですが・・・実は違います。
判決後に裁判官が被告人に一言伝えることを「訓戒」と言いますが、刑事訴訟規則において、「訓戒」は裁判長にだけ認められています。柊木先生は裁判長ではありませんでしたので、柊木先生の一言は、法律上の「訓戒」ではありません。
柊木先生も当然それは理解していますので、発言前に、裁判長の許可を得ています。裁判長には訴訟を指揮する権限がありますので(刑事訴訟法294条)、裁判長が認めれば、裁判長以外の裁判官が判決後に被告人に話をすることも、違法ではありません。
ただ、被告人から見れば、裁判長でもない柊木先生から訓戒されたことに、「いったい何様なのか」という憤りを感じたのでしょう。
今回の被告人は、法律を自分なりに勉強していたようですので、刑事訴訟規則の「訓戒」についても知っていたのではないかと思われます。
特に、柊木先生は、一番経験の浅い裁判官(証言台から見て右側に座る裁判官は、左陪席と呼ばれ、一番経験が浅いことが通常です。)でしたから、そのことが、被告人の感情を逆なでしてしまったのでしょう。
「訓戒」の必要性については賛否両論
少し脱線しますが、裁判長による「訓戒」については、法曹界で賛否両論の意見があります。
弁護士ドットコムが弁護士に実施したアンケートでも、「訓戒」について、「高いところから見下ろして話をすることに疑問」「裁判官が自己満足で綺麗事を述べるだけ」といった反対意見が少なからず見られたようです。
弁護士ドットコムニュース「ピエール瀧さんに10分、裁判官の「説諭」が話題 弁護士からは「不要」と厳しい声も」(2019年7月8日)
crow事件はあくまでもフィクションですが、現実社会にも、「訓戒」に対して批判的な考えは、少なからず存在しています。
一方で、「訓戒」が、判決には示せない裁判官の本音を伝える機会として、被告人の更生に有益であるとの意見もあります。私も、判決後に「訓戒」があると、「きっと裁判官はこういう気持ちで事件と向き合っていたのだな」と人間味を感じ取れるので、賛成派の立場です。
人を裁くことの難しさ
刑事訴訟を担当する裁判官は、一度も被告人の立場になったことがありません。そのような立場において、被告人とどのように向き合い、どう裁くかは、大変難しいことであると思います。
~おわり~
※ noteで執筆する内容は、私の個人的な見解に基づくもので、所属する事務所としての見解ではございません。
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