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走ることについて

最近、ハーフマラソンに向けて、走っている。
走っていると、頭の中のごちゃごちゃが咀嚼されて、ふっと整理されて、自然に言葉が紡がれることがある。
それを書き留めてみたい。

走るということは、片足ジャンプの連続だ

「歩く」と「走る」の違いは、両足が地面についているかどうかだ。走っているときは、少なくともどちらかの足が地面から離れている。それの繰り返し。つまり、片足ジャンプの連続だ。
跳ぶたびに、足には体重の3~5倍の負荷がかかっているらしい。体重が60kgなら、180~300kg。なかなかの負荷だ。
仮に歩幅を1mとすると、1km走れば1000歩。10km走れば10000歩で、片足5000歩ずつ。
10km走ったら、片足ジャンプを左右5000回ずつやったということだ。これはなかなかハードなメニュー。「よくがんばった!」と自分を褒めてあげたくなるし、他のランナーへのリスペクトの気持ちも増してくる。

every footprint pushes me forward

これまで走ってきた道のりが、足跡たちが、自分の後ろに連なっている。
その紛れもない事実が、自分に自信を与えてくれる。
ランニング後半のつらい時でも、もう一歩、まだ一歩いける、という前進気勢を生んでくれる。
そしてその新たな一歩たちがまた軌跡となり、さらに自分の背中を押してくれる。

自分だけの世界、と思いきや、すべて繋がっている

走っていると、まるで精神と時の部屋にこもっているかのように、「自分だけの世界」に入っているような感覚になることがある(精神と時の部屋には入ったことないけど)。
道は自分のために用意され、他人からの情報はシャットアウトされ、自分の思考が内側から湧き上がってくる。
息を吸う。息を吐く。呼吸に集中し、整える。
心臓は悲鳴を上げていないか?足は異常を訴えていないか?自分のペースを、体を、コントロールできているか?と、自分の身体の声と対話する。
ついペースが速まるときは、落ち着かせてスローダウンする。馬術で言うと、伸長速歩ではなく、収縮速歩。ポンッ、ポンッ、と上に跳ねるように、軽やかに走る。

などと、自分だけの世界に入っているかと思いきや、自分も、自然という大きなシステムの一部であることに気づかされる。
酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出す。その二酸化炭素は植物が吸い、酸素を吐き出す。
自分の体を構成している原子も、もとは自分のものではない。自然からもらったものだ。
自分は、大きな循環の輪の一部であるにすぎない。
そもそもなぜ走っているのかという点についても、元はと言えば他人からもらった刺激がきっかけだ。「強い体をつくりたい」という一見すると自分起点な動物的本能がはたらいているとしても、それもご先祖様から脈々と受け継がれてきた遺伝子に刻まれたものだろう。
そう考えると、自分という個は、色々なものが寄り集まってできた虚像にすぎないのかもしれない。

そんなことを考えながら、足は回転し、体は前へと進んでいく。


(参考)馬術のイメージ


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