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ベトナム戦争証跡博物館

いつもnoteを読んでるくださる皆さん。
おはようございます。
おかげさまで熱は下がりました。
まだ頭が重く本調子ではないですが、
今日はシンガポールへの移動日なのでゆっくり動きながら休もうと思います。

さて、今日は少し重めのテーマで書いて行こうと思います。
しばしお付き合い頂ければ嬉しいです。

ホーチミンには、戦争証跡博物館(しょうせき)という世界10大博物館にアジアから唯一ランクインしている名門博物館があります。

また別でホーチミン旅をゆっくり振り返ろうと思うのですが、今朝は戦争証跡博物館について触れたいと思います。


この博物館はそこまで広くなく、3階建ての展示スペースは約2時間で回ることができます。音声ガイドキットが貸出されていて日本語も用意されています。

実は私、勉強不足でこの博物館の存在自体、知らなかったんです。
相方のひとが回りたいと言ってくれて足を運ぶことが出来ました。

ベトナム戦争について丁寧に写真を中心に展示を鑑賞できます。

この機会に、ベトナム戦争について簡潔に触れてみたいと思います。

wikipediaによると、1964年8月から1975年4月30日まで、約10年以上続いたとされています。

1975年は私が生まれるほんの14年前です。

ベトナムは第二次世界大戦後、建国当初より南北に分断されました。
ベトナム戦争ではソビエト連邦、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国が北ベトナムと呼ばれていたベトナム民主共和国を支持。
対する西陣営はアメリカ合衆国、大韓民国、タイ、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランド、日本など。

日本は医療関係で西側を支援しました。

ちなみにインドネシアは東西冷戦当時、中立国を宣誓しています。
国内の共産党との抗争でそれどころではなかったと映画でみた気がします。話逸れちゃいますがこの映画がすんごく面白いし、勉強になります。蛇足ですが、ご紹介までに。
ジョシュア・オッペンハイマー監督の「アウト・オブ・キリング」、続編として「ルック・オブ・サイレンス」の2作です。


さて、ベトナムに戻りましょう。
この戦争の最も酷いところ、それは、ベトナムという国が分断されて衝突して世界大戦の戦場になり一般人が数多く巻き込まれたことです。

約800万人の犠牲者が出ており、そのうち一般人の犠牲者は半数以上の約458万人に上ります。

凄まじい暴力が繰り広げられ、展示されている写真は動いていないので見ることが出来ましたが、あまりの酷さに気分が悪くなりました。周り人も顔をしかめていました。

人間は弱い生き物だと思い知らされます。

そして、ベトナム戦争最大の暴力は化学兵器の使用です。

ゲリラ戦に手こずっていた西側南ベトナム陣営は上空から枯葉剤を巻き、
ジャングルを丸裸にしようと試みました。

その結果、ジャングルは汚染され、大量の健康被害が続出。
毒物摂取による奇形児の出産などが相次ぎました。
この展示スペースが最も凄惨でした。
回り切るとぐったりしてしまいました。

戦争は東陣営が勝利を収め、ベトナム社会主義共和国が誕生しました。

商業中心地して栄えているホーチミン市はホーチミンという東陣営指導者の名前から取っています。戦中まではホーチミン市はサイゴンと呼ばれていました。

ちなみにサイゴンビールは軽くて苦みが薄く熱帯気候にとてもよく合います。ベトナム料理にもよく合い、美味しかったです。

そんなサイゴンという街の名前に取って代わり名付けられ、
その名前が世界に轟いているホーチミンという人物は一体、
どんな人だったのか。

明日はホーチミンについて少し触れてみようと思います。


ホーチミン像とホーチミン市議会庁舎


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