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こういうのでいい

祖父母が住む地域は過疎化が進んでいて、若い人は歩いていないし、遊ぶ場所もない。見渡す限り自然が続いていて。祖父母には「何にもなくて楽しくねんでろ」と数えきれないほど言われた。

でも、私はそんな場所だからこそ、祖父母の家に行くのが大好きだった。

家の近くの住宅街は人がほとんど歩いていないからこそ、いつもよりたくさん息を吸える。いつ電車が走っているか分からない踏切が、キラキラして見える。

小さい頃は、おばあちゃんが作ってくれたお弁当を持って滝を見に行くのが好きだった。

滝の側まで行くと、勢いよく水しぶきが当たって。いつまでも帰ろうとしなかったのを覚えている。

この滝より迫力のある滝を、私はまだ知らない。

夏になると、おじいちゃんが畑から取ってきた野菜をおばあちゃんが料理して、それが食卓に並ぶ。

「今年は上手くできた」と嬉しそうに野菜を取ってくるおじいちゃんを見て、私もちょっと嬉しくなる。

今はずいぶんと規模を縮小したけれど、可能な限りずっと続けてほしい。おじちゃんの野菜よりも美味しい野菜、まだ見つけられてないから。

お昼ご飯の献立に悩んだおばあちゃんが、「たいしたものでねえぞ」と言いながら、食卓に並べるご飯をみんなで囲む瞬間。

そこには、おじいちゃんの野菜が必ず使われていて、それをみんな知っている。


少し前に、駅前にすごく立派なホテルができた。大きな図書館も併設されていて、2階にはPCをカタカタする若者ばかり。

若者が集まるような活気のある場所ができたんだなあ。と嬉しくなる一方、せかせかと野菜を作る人はどのくらいいるのだろうか、とちょっとだけ不安になった。

自分も帰宅したら、忙しなくデスクに向かう日々が戻ってくる。

インターネットで全国各地の人と出会えて、毎日のようにzoomで様々な地域に住む人と会話をして。色んな人と出会って、仕事が生まれ、可能性に溢れる世界だな、と思う。

恵まれている時代に生まれたと分かっていながらも、「何もない場所」が愛おしくなることがある。

便利じゃなくていいから、「ただ生きることに集中できる瞬間」が自分には必要で。

「コスパ」とか「タイパ」よりも、本当に大切なことを見失わないように。肩書きや知名度を追いかけても、手に入らないものがあることを忘れないように。

夢も、大切なことも、自分が自分でいられる瞬間も、全部リュックの中に詰め込んで。「こういうのがいい」と思えるように、空を見上げて大きく息を吸って生きよう。

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